長生きしたけりゃ女房を選べ 落語・「短命」
2008年 08月 23日
伊勢やの養子は短命だ。
来る人来る人一年もすると死んでしまう。
何故か?
ハッツあんに隠居が説明する。
あそこは番頭が良く出来てるから主人夫婦はやることがない。
一日中離れで二人っきり、しかもおかみさんは33歳、ふるいつきたくなるようないい女。
それで短命。
分からない、ハッツあん。
しょうがないから隠居は二人の食事風景を録画中継する。
ご飯をよそって、こうシナを作って、お椀を渡す白魚のような指と指が触れ合うよ、袖口にのぞく二の腕は抜けるように白い、、あたりに人はいないよ、、、
それで短命。
なかなか分からないハッツあんに焦れてなんどもビデオの巻き直しをする隠居。
炬燵編もやってみる。
足と足が触れ合って、、。
やっとわかったハッツあん、うちに帰って女房に飯を給仕させてみるが、、
「ああ、俺は長命だ」。
「腎虚」もう少し分かりやすく云えば「房事過多」。
これ以上は俺も書かない。
シモネタといえばシモネタを、品を落とさずに、死んだ男なのに、あの養子の野郎うまくやりやぁがってと感じさせ、どっこいハッツあんも考えてみりゃあシヤヤセなんだと笑わせる。
なかなか噺家の力量というか芸風が試される噺、先日の末廣亭、さん喬はサスガでした。
こういう噺は若い子にはどうだろうと場内を見渡すと(いつもの指定席にいたから)、”なんだか落語って面白いんだって行ってみない?”風のギャルふたり連れはワカンナ~イ!仏頂面。
”あたし最近落語にはまってる”風にはうけていた。
小学生くらいの男の子が二人、ニコニコしていたのでびっくり。
こんな噺、聞かせて良かったんだろうか。
問題ないよね。
分からない子には人畜無害だし、分かる子はそれだけの年になってるってことだもの。
「やりすぎ」(アア、書いちゃった!)みたいな直截な云い方をしないでいろいろに言い換えるって、とてもシャレている。
森まゆみも「円朝ざんまい」に円朝の「できちゃった」などと書かずに「深い贔屓にしている」とか「仔細(ワケ)」「不行跡(ふしだら)」などと表現するのに感心している。
「わりない仲」なんていいなあ。
ニュアンスってのがあらァね。
実も蓋もない言い方では表せない感じ。
分からんやつには分からんままにしておく方が好い事が世の中にはあるってこと。
これでもか、これでもか、とやたらに分かりやすく、言葉をアラワにし、足りなきゃ映像もつけ、しかも繰り返し繰り返し、解説までしてみせて、世の中の知的レベルはどんどん上がるかと思うとさにあらず、むしろ下がってきたようだ。
人の考え方に奥行きとか陰影がなくなって薄っぺらになってしまった。
それで長命?
参るなあ。
うちのハッつぁんはシヤヤセそうな顔をしてました。
死んでも化けて戻ってきてくれるそうです。
つまりは、国会議員やタレントになるのに、教養や洞察力は不要であるとか、偉そうにコメントするのに専門知識は不要であるとか、いみじくもテレビが刷り込んでくれちゃったのかなと。
就職して間なしの私、 朝先輩方との無駄話で「今日は腎虚でネ」と言う人に、後に転じて文学部教授になる人が、怪訝な顔をして「腎虚って?」と聞き返したことを……
視聴者も耳触りのよいコメントで満足して(フラストレーションを癒してくれるようなコメント)、それ以上考えないようになってしまった。
昔は情報量が少ないから”知らない”ことも多かったかわりに知ったことについてはもう少しきちんと考えたのじゃないかなあ。
こんなだと体に良くないかも。
暑くって汗だらだら流しながらし、方触れあうも うっとぉしい、
子どもが少しづつ大人の会話の禁忌に触れてものを知っていくことが大事。あまり急にストレートに知るんじゃなくて、と思います。
ラジオで三亀松を聞いていて大笑いしたら両親がまじめな顔で黙り込んだのを思い出しました。
>分からんやつには分からんままにしておく方が好い事が世の中にはあるってこと。
そうですね。私も余計なお節介をしていることがあります。
本来「中東専門家」としてメディアにデビューしたのに、いまやオリンピックから女優の離婚まで解説している連中ほどではないにしても..
テレビには疎いのです。