乱世に出現する鵺 友枝師、国宝にふさわしかった 「鵺」(セルリアンタワー能楽堂定期能7月公演)
2008年 07月 27日
頭は猿、尾は蛇(くちなわ)、足手は虎のごとく、その鳴き声はおそろしくすさましい。
世は近衛帝、鳥羽法皇と崇徳院が骨肉の争い、乱れ乱れて人の道などはどこにある?
鵺は
われ悪心外道の変化(ヘンゲ、化け物)となって、仏法王道の障りとならんと夜な夜な幼い天皇の御殿に飛んでくる。
哀れ、天皇は怯えて気絶する。
俺の力を見たことか、と暴れまわっていると思いもよらず頼政に射殺されてしまう。
小さい頃に絵本で読んだお噺、元は平家物語だ。
世阿弥はこの噺を取り上げて頼政ではなく鵺を主人公にしている。
(世阿弥は頼政を主人公にした曲も創っているのだ)
解説の馬場あき子も云っていたが世阿弥はこの鵺なる悪心変化に並々ならぬ思い入れがあったようだ。
足利義満に寵愛されて能楽の基礎を創ったものの義満亡き後は義教によって佐渡へ島流しにされてしまった世阿弥。
守るべき仏法王道が既に乱れている世にあって鵺はむしろヒーローだったのか。
なんだかビンラーデインみたいなことを云っちゃったネ。
前シテ(友枝昭世)は舟人、実は殺されて空舟(丸木舟)に押し込められて流された鵺の亡魂、黒い蓬髪を長く後ろに垂らし、墨色の水衣(絹の単衣)をまとい棹を持って現れる。
暗い闇の中であてどもなく彷徨いながらもなぜか毎夜この州崎に現れるのだ。
涙を流し棹は持っても棹さすこともなく潮に流されてここに来る。
今まで観た友枝さんとはまるで違う太い低い声で謡いだす。
闇から来た鵺の声だ。
ワキ(旅僧・森常好)は”舟の形はありながら、ただ埋もれ木のようなもので乗っている者の姿もはっきりしない不思議な”姿に不審の念を抱きシテと問答する。
「どうみても人間には見えないぞ。名を名乗りなさい」、僧の追及の前にシテは亡霊であること、頼政に射殺された顛末を語るから弔ってくださいといい、仕方噺で頼政の様子をして見せる。
(御殿の上に黒雲がひとむらくるのを)頼政きつと見あぐれば、雲中に怪しきものの姿あり地謡、囃子のテンポが上がって
よっぴき(よく引き)ひやうと放つ矢に、手応へしてはたと当たる、得たりやおうと矢叫びして落ちてくる鵺を家来の猪の早太が
つつと寄りて続けさまに、九刀ぞ(三回)刺いたりけり「きっと」顔を上げたり、祈ったり、矢を射ったり、エイエイとばかりに刺したり、はっきりした力強い動きをするのは鵺の姿をした頼政でありその家来の早太だ。
俺は頼政(早太)=鵺という対称性を世阿弥は考えたのか、と思った。
「悪の権化・鵺」と武勇・容姿・所作、すべてに人間として最高のものをもっている、いわばこの世の「善の権化・頼政」は同じ者の裏表ではなかったか。
そんな何の根拠もない妄想にとらわれている余裕はない。
舟人はまたもや空舟に浮きぬ沈みぬ、見えつ隠れつ、おそろしくもすさましい鵺の声が何度も響き渡る中を消えていく。
アイ(所の者・深田博治)がワキをおとずれ頼政・鵺の物語をする。
アイは最初も出てきてワキに一夜の宿を頼まれるが“大法”で禁じられているからと断り州崎の御堂(無人)に泊まれと云ったのだ。
「あの御堂はあなたが建てたものか?」いいや違います。「それじゃあなたに宿を借りることにはならないね」。
ちょっとおかしなやりとりがあった。
それが伏線だったかな、ワキは、坊さん大丈夫かな、あそこは幽霊が出るところだから、と様子を見にやってきたのだ。
後シテは鵺そのものの姿、「猿飛出」という面をつけ、白髪、袷法被に半切、前シテに比べるとずっと派手だ。
声も高く細い。
僧の読経にひかれてここまでやってきたことを感謝する。
そしてまた、頼政に退治された時のことを語り(地謡が)舞う。
毎夜、御殿を襲うことを語るときは舞台を斜めに横切るのが悪魔が空をつーっと飛ぶかのように見える。
頼政の
矢先に当たれば変身失せてで扇を下腹に突き立てて、反り返り、
落落磊磊と、地に倒れて、たちまちに滅せし事で、よろよろと後退し、膝をつく。
頼政が天皇から褒美に御剣を賜るときに即興で歌を詠んだエピソード
頼政右の膝をついて、左の袖を拡げ、月を少し目にかけて、弓張月の入るに任せてと、仕り御剣を賜りあっ晴れ、頼政が男をあげるところが格好いいったらない。
それにひきかえ(シテは又頼政から鵺に戻る)、「私は汚名を流し空舟に押し込められて淀川を流れていくのです」
打杖を両手で首の後ろにあてがい反り返って、つま先立ちで流れるように舞台を下がって一の松に行く。
(シテ柱にシテの肩がぶつかってしまった、ひやり)
一の松で膝をつき、杖を捨て扇をもって立ち上がり、再び舞台に。
月日も見えず暗きより、暗き道にぞ入りにけるフイナーレだ。
ぐあーんとお囃子と地謡が盛り上がる。
シテはワキ座の前からシテ柱の方を向いて、扇をかざし前に出した左手に重ねてから左手は左下、右手は右上に開く。
暗き道を遠望するのだろう。
はるかに照らせ、山の端の扇を招くようにしながら橋掛かりまでいく。
はるかに照らせ、山の端の月とともに三の松まで行き扇を左手に持ち替え
海月も入りにけり、海月も入りにけり後ろに飛び退って膝まづいたような気もするのだが幻だったか。
三の松で足拍子を踏んで終わる。
凄かった。
鵺になったり頼政になったり、くっきりと演じ分けて息詰まる場面展開。
同じようなことがアイの語りも入れると三回語られる。
それが退屈な繰り返しにはならずピンと張った緊張感が徐々に強まって怒涛のフイナーレになだれ込む。
そうかと云って乱暴とは無縁、鵺の哀しさがひたひたと押し寄せてくる。
負けて闇に落ちる哀しさと、鵺であることの哀しさが。
落語は一人で何人もの役を演じ分けることが大きな特徴だが能にもこういうのがあるんだね。
先に狂言「栗焼」。
太郎冠者・野村万作
主・野村万之助
これも気の利いた洒落た喜劇で楽しかった。
あの記事でビール会社の幹部と書いたのは実はサッポロの社長だ。
今頃、キイタかな^^。)
大鼓・亀井広忠 小鼓・曽和正博 太鼓・大川典良 笛・槻宅聡
地謡 大島輝久 友枝雄人 金子敬一郎 内田成信
中村邦生 出雲康雅 香川靖嗣 長島茂
ちょっと涼しげなお話に、今日は私はきんきんに冷やしたワインを戴いています。
旅の前から続けている散歩を、今日は夕方した後にシャワーを浴びていい気分になっています~~^^
今場所はがっかりですね。
鵺・・もう一度見たいと思います。自分の中で消化できていません。
そう、仕方話を3回しているのですよね。そのくどくどしさを感じませんでしたー。ヌーッと立つ鵺・馬場あき子さんは、どうやら鵺について論文を書いていらしたようです。鵺と頼政は契りを・・なんていう話もあるようですが・・しかし、友枝さん、すごい!多くの人に見てもらいたいものです。本当に国の宝ですもの。高尚だとかなんだとかいっているのは素直でない証拠でないかと思うこのごろです。能楽堂は着物でないとダメなんでしょうなんていう人もいるのが現状。百聞は一見のなのになーと思います。
私はジーンズで能楽堂に行っちゃいました。^^。
夜中の森から聞こえてくる鵺の鳴き声、恐いですねえ~
暑い夜ちょっと涼しくなりました^^。
人里離れた静かな場所とか深夜は安全?