心の井戸の底に観たものは 味方玄「井筒」(宝生能楽堂)
2008年 07月 13日
今度は興奮した。
涙が出そうになった。
シテの気分が俺の気分と重なってきたのだ。
幼馴染の業平と契りを交わしたのに業平は他の女のもとに通う。
一見、何事もないかのような、むしろ上機嫌な様子で業平を送りだす紀有常の娘、「人待つ女」、幼馴染の求愛を待ち、他の女からの帰りを待ち、宮仕えから戻るのを待ちつづける女だ。
幼馴染とは不思議な関係、まるで家族のような、肉親のような気分が生じるのではなかろうか。
だから浮気をしていてもまず夫の身の上のことを心配してしまう。
そう云う女がいじらしくていじらしくて観ていてたまらない。
しかし、それが全てかといえば、そうではない。
心の奥底には苦しみが身をも焼きつくさんばかりに燃え続けている。
冷たい井戸の水をかけるとたちまち熱い湯になるほどだ。
その苦しさを口に出さないまま人生を終えた女が亡霊となって業平の形見の長絹(透けた紫地に藤の模様、素晴らしい)を身に着けて
恥ずかしや、昔男(業平のこと)に移り舞序の舞だ。
息をつめて観ていた。
終わるな終わるな、という気持ちがどこかにあったけれど、それを除くと夢中だった。
先日観た「松風」、あれはうねりながらも押し寄せ引いて行く波の動きが二人の女の心を映していたように感じた。
人待つ女の亡霊はいわば円、螺旋だろうか。
シテ柱から正面へ、そして地謡座から、囃子座に向い、大小前でくるりと回って足拍子。
舞台をぐるぐる回りながら途中で自らも回転する。
扇をゆっくり開いてかざす動きも円運動だ。
右手を大きく頭の上にかざして常座から目付柱へ進むのもひときわ大きな円を描いたようだ。
正面先に置かれた井筒は大地に丸く穿たれた穴なのだ(正確にいえば四角ではあるが)。
あたかもその深い、黒い穴の周りを廻り、穴の底を覗きこんでいくかのような女の動き。
それは人を待ちつづけた女が自分の心の奥底までを見据えようとしているのかもしれない。
穴に沿ってぐるぐる抉るように螺旋を描くようにして奥底を見定める。
暗く淀んでよく見えないなあ。ジレッタイ。
恋しさ、優しさ、苦しさ、憎しみ、あきらめ、喜び、、
さまざまな定めがたき心の底を探っていると月のさやけさだけが昔とひとつも変わらない。
変わったことは
生ひにけらしなと業平が詠んでくれた私が
老いにけるぞやああ、この冠り直衣の業平と契り交わしたことは、あれは確かなことだったのか、私の業平さまに対する恋心が昂じての夢幻だったのか、いやそうではないだろう、此処にこのように確かにあのお方の匂いすら留めているような直衣があって、ほれ筒井筒があるじゃないか。
井戸を覗きこむとそこにいるのは懐かしや、業平だ。
”移り舞”、とうとう一体になったね。
これが私の心!
喜びもつかの間
しぼめる花の、色なうて匂ひ残りて女はみるみる小さくなってしぼんでしまう。
”老いた”?
違うでしょう。死んでいるのですよ。
地謡、囃子、ワキがシンフォニーのように共鳴しあい多彩な情景を謡う。
リタルランドとかクレッセンド、ディミニェンド、、懐かしい音楽用語を思い出すような美しい演奏でありコーラスだった。
第18回テアトル・ノウ 東京公演
能の前に
仕舞 賀茂 味方團
船橋 河村晴道
地謡 梅田嘉宏 角当直隆 清水寛二 長山桂三
舞囃子 高野物狂
シテ 味方健
大鼓 亀井広忠 小鼓 成田達志 笛 一噌仙幸
地謡 梅田嘉宏 分林道治 浅見慈一 片山清司 梅田邦久
仕舞 花筐 梅田邦久
山姥 片山清司
地謡 谷本健吾 浅見慈一 河村晴道 角当直隆
どれも外の猛暑を忘れさせる美しさだったが特に梅田邦久の舞が渋くて良かった。
井筒
シテ 味方玄 ワキ 宝生閑
アイ 茂山七五三
大鼓 亀井忠雄 小鼓 成田達志 笛 一噌仙幸
地謡 梅田嘉宏 谷本健吾 長山桂三 分林道治
河村晴道 梅田邦久 片山清司 味方健
私も見たいなと思いました。
saheiziさんの語りが嬉しい。
でもこの能にはしびれましたよ。
昔教科書に載っていた「筒井筒」。「伊勢物語」では男は女のもとに戻ってくるんでしたよね。この話がずっと心に懸かっていて「恋する伊勢物語」(俵万智)を読みました。お能だとこういう展開になるのですね。
20日に大学時代の先輩能役者が出演するお能があるので着物で出かけてみようかなって思いました。わたしの場合半分くらい寝ちゃうんだけど、落語のときと同様、触れているうちにどんどん面白くなってくるかもしれないですし。日本の伝統芸はそんなに狭量ではないと思うので、現代を生きるわたしにもきっと理解できるときがくると思いたいです。
着物を着て半分居眠りしながらお囃子や地謡の音に身をゆだねていると極楽でしょう。
もっとも幽玄能は幽霊が出るのが決まりですが。
この曲も伊勢物語を踏まえながら有常の娘が幽霊になって出てくるのです。
美しい幽霊ですよ。