ナチスは環境問題の優等生だった? 住 明正「地球温暖化の真実」(ウエッジ選書)
2008年 06月 18日
立ち読みしたり買ったり。
やはり本当はどうなんだ?ってタレントの離婚の真相なんかより気になる。
俺は誰が誰と結婚しているかも知らないのだけれど。
本書はとても冷静である意味では中立的な書き方だ。
現在の状況を冷静に把握し、将来に向かって最適な、節度ある行動の指針を与えるのが理性というものですし、それを支えていくのが科学的知見であると思います。という著者の結論は
今のまま化石燃料を使い続けていけば、地球は温暖化するが、破局はしない。種としての人類が破滅することもない。破局するとすれば、大量生産、大量消費、大量廃棄に慣れた現代社会の生活様式だ。というもの。
第2部は著者(東大気候システム研究センター所長)、石弘之(東大大学院新領域創生科学研究科教授)、松井孝典(東大大学院新領域創生科学研究科教授)の3人で「『人間圏』の未来を問う地球温暖化」と題する座談会。
ここでも住は
いろいろな議論を総合してみた時、科学的に素直に考えれば「温暖化ははっきりしない」というのが正しい答えですよ。という。
といいながら、それは何も対策を取らなくていいということではなくて、温暖化が提起した問題にいかなる対策を取るかについて話し合う。
(松井)地球という星が非常に特殊だったのは、そのシステムを構成する要素間で、モノやエネルギーの流れといった関係性を維持し続けていることなんですね。大陸とか生物圏とか、それまでにないまったく新しい構成要素が登場してそれが一時的に乱れても、その関係性が負のフィードバックを生み出して再び別の安定状態を維持することができる。それは人間圏と言う新しい構成要素が登場しても同様なんだと思う。それが何故環境問題となったかといえば、温度上昇のスピードが過去の地球の歴史上あらわれたものより急激なこと。
さらにかつては気候変化や人口の増大を受けとめる新大陸などの“溜め”(住は余裕というが)があったのに今やそれがない。
現代社会は、過去よりはるかに複雑な、脆弱な社会となっている。
地球温暖化は、地球科学の問題というばかりではなく、政治学・経済学、あるいは人文科学などにも関連した総合的な問題となっている。
(石)今の地球温暖化論は、(神社の木を切ると罰が当たりますよ、のような考え方よりは)もう少し科学的な装いをもった「戒め論」なんだ。僕がその戒め論に賛成なのは、今全世界の環境問題の七割は石油関連だからなんです。大気汚染にしてもプラステイック公害にしても。近代の自由・平等・博愛という精神こそが欲望を解放して人間圏を怒涛のごとく拡大した。
それは二酸化炭素を際限なく増やしていく。
しかし、この基本精神を否定しては近代国家は成り立たない。
即ち人権と環境とは究極のところでは矛盾する。
松井は江戸時代のようなフロー依存型(現代はストック依存型)の生活様式に戻るべきだという。
太陽熱を利用し、一年間に降る雨を使う。
(石)私は「三割理論」というのを主張しているんです。私たちの現在の生活は、うまくやれば三割を削っても水準は落ちない。つまり三割は無駄にしている、、。食料の廃棄率が三割だね。
(住)環境問題を社会として解決していこうと考えていくと、それはどうしても管理型社会以外にはないんですよ、エネルギーの総量を規制で決める。そうなると、一方では暑くてうっとうしいとか、不満が出てくるでしょう。
(石)方法は三つしかないんです。一つは、罰則を設けて政策的にがんじがらめにする。二つ目は、環境経済学者が言っていることで、そこに政策的なインセンテイブをかける。たとえばグリーン税、(略)。三つ目は倫理です。まず倫理は見込みなし。ナチス・ドイツががんじがらめのやり方では史上もっとも成功した例だという。
都市の規模は30万人が一番住みやすいとしてそういう都市を沢山つくった。
人を強制的に住まわせてアウトバーンで結んで周りに木を植えた。
(石)環境問題というのは、愛国的なナショナリズムと結びつくケースが強いんですよ。美しい国土、住みよい町はイコール、ナチスという。
(住)美しい国土、そして美しい人間だからね。外れたのは認めない。アーリア人ばんざい。(略)彼らのいう美しい側に入っていればいいけど、、。
(石)個人を権力でしばるということです。それが日本で耐えられますか。おいおい!
先日書いた「進め一億火の玉だ」はシャレじゃないってことみたいだぜ。
シンガポールでは国家として車の登録台数の上限を決めてあってそれを超えると誰かの所有権を買わないと車をもてないようにしているそうだ。
「欲しがりません、勝つまでは」ってかい。
本当に公正に行なわれるのなら持たざる者はあまり痛痒を感じないかもしれない。
本当に本当に公正に行なわれるのならだ。
そういうことがあり得るなら環境問題なんて起きちゃいないさ。
「美しい側」に入らない、入れない不可視の人びとのことはどうなるのか。
私を含めて、日本人は特に一つの見方に簡単に染まってしまう傾向があり、新聞・テレビはそれを助長していると思います。色々な観点から見る、捉え直してみる、そういう態度はいつも持っていたいものですが、そういう事にブログは貢献しているなぁと思うことがよくあります。今日、紹介する記事もそんな思いを新たにしてくれました。 読書家の響さんが、こんな本を紹介して下さった記事です。とても簡潔に分かりやすく紹介されています。一般的に流布されている観点とは違う観点から書かれた本を読んで紹介して下さるというのは、とても有...... more
けど、ゆっくり読ませていただく時間がなくて悔しいな。
帰ったら読ませていただこう。丸一日時間をとってゆっくり。
情けないですが、現実の人間はそんなものなのでしょうね。
江戸時代の生活に戻れれば一番よいのでしょうが、進むことより、戻ることのほうが難しいような気がします。
副都心線も、便利さを追求するあまり、作った人間が使いこなせなくなっているようで・・・
複雑すぎるのでしょうね。
って花の咲き方ですが。
もっとも最近のかくほうめんのキャンペーンの結果少しは変化してくるのかな。
ムードだけ?
やはりお上の強制力が必要なのかもしれないですね。そうであればあるほどほんとうに必要な施策と無意味な施策をしっかり見極めてほしいものです。
そういう同胞が多いとおのずから、、。オバマさんなどは環境問題に関心があるのでしょう?
掛け算や普通の作文を覚えるので大変な教育環境で大学教育の中身を議論するような感じになっていませんか?
実際はどうなでしょうか?教えてください。
メルアド送ります。
ナチがまさかと思いますが、納得できるな気もします。
シンガポール、3つの民族(中国が入っているのに)からなっていて、でも清潔、国土が狭いのに金持ち、不思議な国です。
語学教育の凄さもあるのでしょうか。
「ナチスが環境問題の優等生だった・・」とのご意見、小生も納得できるような気がします。
というのも、もう数年前でしょうか、統一なった後のベルリンからフランクフルトに回った折、郊外の某有名古城レストランに向かうべく、夜に照明もまばらなアウトバーンを大型バスで走ったときの車中を思い出します。
いかにも狼の群れ、あるいはマウマンゾウですら突然に現れてもおかしくないほどに、深くて、暗く、どこまでも続く鬱蒼とした沿道の樹林に、「鎮守の森」の畏れならず、恐怖感すら覚えたものです。
かといって、罪なきユダヤの民が息を殺して消費するO2を惜しみ、絶望に思わず吐くCO2を削るがために(まさに究極の「環境保護」のために)、アウシュビッツを選んだのかしら・・・。
花木は己が枯死するかも知れない恐怖感に駆られたときに一番見事な花を咲かせ、次の子孫たる実を結ぶとか。
今を盛りのサツキ(皐月)にしても、愛培家がこれでもかとばかりに根をいじめ、葉をふるって窮屈な鉢に無理やり押し込んだ賜物か。
庭先に飾られた見事なサツキの花を見つけたら、そこの親父のヒトラーみたいな容貌か、環境の悪化を疑ってみましょう。
そういうことに一番むいているのはナチスとか独裁国家ではないでしょうか。
記事にも書いたように民主主義と環境問題はどこかでぶつかるのでしょうね。
タダ都市の効率を考えた。
それは個人のわがままを抑え込むことだった。
すなわち環境問題の優等生に結果的になったということでしょうね。
いえいえ「正規雇用労働権」をご購入の高齢者の方には「埋葬料割り引き特約」が付きます(^^;)。さらに三等親以内での相続が可能ですが相続税は免除されます!
きっと何か胡散臭いものが潜んでいるようで。
雇用労働権、高齢者ももっと働けってことですか!
例の映画では
>喫煙者が本当に一掃されてしまったらオレたちは...
と言って心配しています。
>雇用労働権、高齢者ももっと働けってことですか!
それでは新自由主義の精神に反するじゃないですか!
盛大に「ボロ債」投機を囃していただかないと竹中半兵衛、じゃなかった竹中平蔵にコロされますよ。
とりあえずお知らせまで。リンク頂いて帰ります。これからもよろしくお願いします♪
こちらこそよろしくお願いします。