嫉妬することもできない人たち 断層ができた日本

生まれもったもの(家柄であれ容姿であれ金であれ)の運がよい人が、そうでない人への想像力に欠け冷たい、という傾向も事実ですが、恵まれない人の嫉妬も、程度の低い醜いものです。
先日の貧困についての記事に頂いたコメントの中にあった文章だ。
俺の記事およびコメントへの返信は”恵まれない人の嫉妬”については言及していない。
健全な社会とは自己責任の適用領域について線引きできるはずなのにそれが出来なくなっているのは貧困の実態、”溜め”がない実態が知られていないからでもある。
ところが貧困層から富裕層はみえても富裕層は貧困層が”見えない”。
貧困層にいかに”溜め”がなくなっているかが見えない。
と湯浅氏の本に書いてあったことを紹介したのだ。
もちろん強い共感があったから。

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(自由学園・明日館)
それはそれとして、恵まれない人は嫉妬しているのだろうか?
通勤途上で考えてみた。

俺は?
嫉妬心が強い男かもしれない。

才能、財力、世の中の評価、肩書き、人から与えられる関心、敬意、配慮、愛情、、ま、いろいろ俺が人よりも恵まれていないと思うことは一杯ある。
でも、そういうものに恵まれている人に対して直ぐに嫉妬するかといえばそうではない。

イチローや世界の大富豪に対して嫉妬はしない。
昨日書いた亀井一族の血筋とか才能や努力に対しても嫉妬しない。
好きなブロガーがいろんなところでコメントして盛り上がっているのに俺のところにはちっとも来てくれないとちょっと妬ける。
ジムで気に入っている女性スタッフが俺の挨拶に気がつかなくて変なジジイに親切にしているとサビシイ。

はなっから別世界、別次元の話みたいなものには関心すら持たないかもしれない。
最初からそういうもんだと思っているんだ。

手の届くところにある、またはあったかもしれない何かがたまたま俺の手には入らなくてあんな野郎が手にしてやがると思うと妬けるんじゃないか。
政治家や経営者、マスコミなどがあまりにも脳タリンなことを言うと、あの程度で黒い車を乗り回すのかい!と嫉妬する。
ずばり言えばそいつの持っている”世の中に対する影響力”に嫉妬する。
俺ももっと影響力を行使して世の中に働きかけたいのに虚しく吼えているのは不公平じゃないか!って。
ま、最初に書いたコメントのご指摘どおり”程度の低い、醜いもの”ですね。

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(四谷・塩湯。なんとまあ。俺は女湯の脱衣所に入ってしまった。幸い着衣のおばさんとばったり「ここは女湯よ」「きゃ!すみません」ですんだ。紙一重で有名人になれたかもしれなかった。ああ、おそろしい。)
しかし、俺のことじゃない。
貧困層が富裕層に嫉妬心を持つとしたら、それはちっとも”程度が低く醜いもの”ではないと思う。
貧困層に押し込められた原因が”自己責任”によるのではなく新自由主義政策の結果によるものであれば嫉妬どころか怒りを感じて当然だと思う。
リストラされて(必ず誰かが会社の政策に”協力する”必要がある)雇用のセイフテイネット、企業福祉のセイフテイネット、公的扶助のセイフテイネット、、必要な”溜め”をなくしてどん底に陥っている人たちが、増え続ける役員報酬や株主配当または先祖から相続した資産などのお陰で(あんまり本人の”自助努力”の結果とはいい難い?)安楽な生活を保障されている人たちに羨望の眼を注ぐくらいなことは大目に見てやってもらいたいものだ。
富裕層が貧困層の実態に気がつかないことと、貧困層が富裕層に嫉妬心を抱くことを等価とは考えたくない。

いや、本当のことを言えば、現在の貧困から抜け出せない、毎日のクウネルトコロにありつくのが精一杯の人たちは富裕層に”嫉妬する気力”すら残っていないのではないか。
既に彼らにとって富裕層は別世界のことになってしまっている。
同じ国で同じ空気をすっている人間同士であるということが信じられなくなっているんじゃないか。
それが”自分自身からの排除”と言うことではないだろうか?
地震が今まで美しい姿をみせていた山を二つに分断してしまったように日本も分断されてしまってはいないか。
橋も道路も切り落とされて孤立しているエリアが日本のいろんなところに出来ているのではないか。
不可視(アンタッチャブル?)のエリアが。
砂の女だよ。
Tracked from 好都合な虚構 at 2008-06-17 14:45
タイトル : 奮ってご参加を!     
以下のTrackBackを頂きました。極めて重大な内容の記事なのですが、イヌの写真の下では見逃される危険が大きいので引っ張り出しました。 Tracked from 梟通信~ホンの戯言 at 2008-06-16 14:08 x タイトル : 嫌でも見なければならない貧困 湯浅誠「反貧困ー『すべり台.. 凄まじい勢いで貧困層が拡大している。 東京新聞、2007年3月25日付は雇用、社会保険、公的扶助(生活保護)の三つのセーフテイネットがほころび始めたことを報道した。 1995年からホー...... more
Commented by saheizi-inokori at 2008-06-16 23:03
鍵コメさん、ありがとう。
おかげさまで考え方が少しは深まりました。
Commented by henry66 at 2008-06-17 00:18
佐平次さんのご意見に共感します。
私も一時、一文無し同様の暮らしをしたことがあります。でもそれは「貧困」などではなかった。私は「お嬢さん育ち」でしたので、無一文でも無意識のうちにまた元通りの生活に戻る道を容易に見つけるのです。それは「自己責任」とは何の関係もありませんでした。そういう意味で私の「無一文」は偽物でした。それにひきかえ、私の友人はそれこそ「溜め」のない人で、目の前にセイフティネットがあってもそれに手を出すことさえ考えつかないのです。それも「能力の欠如」とは無関係だと私は思います。
これは私の周りではよく話題になるテーマです。で、それが私には「話題」でしかない、という現実によって「お嬢さん育ち」を思い知らされて劣等感を抱きます。
Commented by hiranuma-nasubi at 2008-06-17 04:10
うふ^^佐平次さん、おかしいですね。好きな女性のブロガーさん(あっ女性とは書いてなかったですね。)さんに焼餅焼いたりするのですか?私には焼いてくれない事に、私はちょっとヤキモチ。

私が運動体に身を置くきっかけともなった、一つの忘れられない出来事に、札幌母親餓死事件があります。もうあれから20年が経つのですね。あのころはまだ、行政への抗議行動の中でも、マスコミからも、当局からも、自己責任という言葉を聞いた記憶がありません。中には「売春してでも生き残れ。」と言う人もいました。私も、運動とは別に、私がもし彼女だったら、どんな事をしてでも、(白石区役所の窓口で裸になっても)生き残ってやる、どうして彼女は黙ってアパートの中で死んで言ったんだろう、制度以前に、(例えば戦後の中で生き抜いてきた女性たちのように)その人の持つ生命力に弱さがなかったのか、悲しみを怒りに変える力がなかったのではないか、と言う思いがずっとありました。
Commented by hiranuma-nasubi at 2008-06-17 04:51
原発、保育料値上げ、売上税、消費税、PKO、私学助成、子どもの権利条約、眼内レンズ、小選挙区、などなど、個別に署名を集めに行くと必ず、つましく人に迷惑をかけることなく、幸福な家庭生活を築いてきた人に限って、大変厳しく冷たかった、と言う記憶があります。「自分で出来ることは自分でしないとね。」とか「国が困ってる時に、ねー、福祉に使われるなら仕方ないんでないの。」とか。(運動母体が嫌われ者だったせいもあるんですが・・・)けんもほろろでした。その方々のほとんどが今、後期高齢者になられています。
そしてもっと貧しい家庭からは、お線香の臭いがしていました。

あれから20年、運動に対する私のごくごく個人的ジレンマは別として、私は世の中が良い方へ変わっていくことに、ぜんぜん絶望していないのです。こんなに無力で、徒労に終わったとしても、必ず、いい変化が来ると思ってるんです。なぜなら、今の政権はたった四分の一の有権者にしか支持されていないから。

Commented by 74mimi at 2008-06-17 06:21
あはは~ッ・・・「女湯」ですって。何か考え事でもしてらしたのでは。でも、久しぶりに「銭湯」があって安心しました。
嫉妬心ねぇ・・・お金はあっても人間的にはゼロの人も多いですからねぇ。この国には貧困を種に先祖代々福祉で生活している人も沢山いますし。難しいですねぇ。
Commented by saheizi-inokori at 2008-06-17 07:43
henry66さん、自助努力という言葉がセイフテイネットからこぼれおちた貧困層の人たちの生活保護の申請をためらわせている事例は相当あるようです。
そのことと窓口の役人の“水際作戦”(拒絶する)とがあいまって結局憲法で保障されている生存権を下回る生活を強いられてしまう。
なんと、厚労省はそういう人たちのデータを「だから生活保護基準を下げても生きていける」証拠ととらえ基準の切り下げをしたわけです。
実態も知らずに「タダ乗り」とか「優雅な生活をしている」というイメージ操作に乗っかってそれを後押しした“豊かな国民”たちがいたというわけです。
Commented by saheizi-inokori at 2008-06-17 07:50
hiranuma-nasubiさん、おっしゃるように「自分は頑張ってきた」「俺なんかもっと厳しい人生だった」という個人的なストーリーがほんとうは仲間であるはずの人たちの一番の壁になってしまっているのかもしれませんね。
記事に書いたトップ富裕層・権力層はそうい貧乏人同士の争い?を冷ややかに、都合の良いものとして観ているのです。
もっとやれもっとやれ。
Commented by saheizi-inokori at 2008-06-17 08:01
74mimiさん、そういう人がいるかもしれないけれど本当に信じられないような暮らしをして生きている人もたくさんいる。厚労省が生活保護基準を下回っても生きているという人たちの生活。
単身世帯(60歳以上)の食費は一か月22650円だそうです。
一食200円ちょっと。
健康で文化的な生活、でしょうか?
銭湯が今月から450円になりました。
それでも銭湯経営者は苦しいといいます。
でも値上げしたら風呂に入れなくなる人も出てくるそうですよ。
私なんか罰が当たるほどいい思いをしているなあ。
ァ、女湯のことじゃないったら。
Commented by saheizi-inokori at 2008-06-17 11:14
hiranuma-nasubiさん、私は先行きをあなたのように楽観できないのです。
それなら行動を起こせばいいと思いながらもウダウダしている。
そんな人間(私)が多いから悲観的なのです。
福田総理が環境問題で前向き?発言をしたことを歓迎している人たちが多いことに悲観します。
エコ家電の販売促進運動に素直に喜ぶ人たち、いい人たちだと思うけれど、そういういい人たちに悲観してしまうのです。
Commented by molamola-manbow at 2008-06-17 11:34
このような学園に学んだら心豊かなヒトになれるな~、でも、一歩外の誘惑多い街に負けちゃいそうだな~、私は後者だな~と。
列車のトイレ、ガラリと開けるとうら若い女性がしゃがんでた。
「失礼」の声掛ける間もなく閉めたけど、「失礼じゃない」と文句言いにきた。
「バカヤロウ、鍵掛けるのが礼儀だ」と受け答えしつつ、抗議にきた度胸?には感服!
シリ合いになったのだから、友達になっとけばよかった。
ずれたコメント、失礼しました。
Commented by saheizi-inokori at 2008-06-17 12:59
molamola-manbowさん、私は逆はありますが。〆たと思っていたのに、、。
抗議には行きませんでしたね^^。
Commented by convenientF at 2008-06-17 13:43
>増え続ける役員報酬や株主配当

そしてまったく増えない、どころか減り続ける従業員給与!

「高度成長」「一億総中流」を形成したメカニズムを新自由主義派の政治家官僚共は知らない?
まさか。

「高度成長」「一億総中流」を知っている自民党の長老たちがようやく動き出したようだが、間に合わないだろうなぁ。
Commented by saheizi-inokori at 2008-06-17 15:45
CFさん、反動ではしょうがないと思います。
新自由主義が台頭するある種の必然性はそれまでのバラマキ、右肩上がり前提の、保守政治の弊害がもたらしたモノでもあるように思います。
そういう意味では本当は若い人の中に新しいリーダーが登場して欲しいですね。
間に合わないかもしれないけれど。
Commented by convenientF at 2008-06-18 08:45
>なぜなら、今の政権はたった四分の一の有権者にしか支持されていないから。

しかし投票に行くのが5分の4くらいですから過半数になってしまうでしょ。
Commented by convenientF at 2008-06-18 09:22
富裕な友人たちに電話やemailで「貧困層」ってどんな連中だと思うか訊ねてみたら全員が「ホームレス」および/または「工事現場」と答えました。制服を着ている店員たちやスーツを着て歩き回っている人たちは「貧困層」だと思われていないのです。

このイメージ、認識が定着してしまったのは誰のせいでしょうか。メガバンクや巨大小売店などの制服を着ている連中の年収は100万ぐらいです。
もっと凄いのは「介護」の仕事に従事している人たち。24時間いつでも呼び出されて力仕事似従事していますが月収5万もあればいい方。その人たちに介護作業を頼んでいる富裕層の人々はそんなこと考えてもいないでしょうね。

Commented by convenientF at 2008-06-18 09:22
もっと身近な話。

>単身世帯(60歳以上)の食費は一か月22650円だそうです。
一食200円ちょっと。

私たち夫婦の食費はこの単身者の数字を2倍にした金額です。イヌたちの食費を含めると3倍ですか。要するに同レベルなのです。紙メディアにも電波メディアにも露出していても、実際の生活はこの水準です。
丁度20年前に「給与生活者」から「自営業者」に転向し、収入総額はグングン増えましたが、一方で扶養家族がいなくなったこともあり、課税所得をもっと急速に増えました。

富裕層の人々や楽観的なセンセイ方の仰る通りに自助努力しても増えるのは「課税所得」だけですよ。各種公租公課を全部払ったら、学友、元同僚たちとの会合に年数回出席するのが精一杯。普段は「カップ麺」レベルです。

セガレや甥姪が時々バーや飲み屋に連れ出してくれるのがささやかな楽しみ。

狡猾なsaheizi-inokoriさんに乗せられてついに正体をあらわしてしまいました!
Commented by saheizi-inokori at 2008-06-18 09:51
CFさん、昔の私はもっと貧しい食生活でした。
しかし、何の根拠もないのにいつかもっとよくなるという気持ちがあったし、周り中の人たちも似たような食生活でしたからちっとも辛くはなかったのです。
今の、とくに若い人たちは周りでは飽食、グルメ、自分達はネットカフエとアパートの行きつ戻りつ、ホームレスさえ射程距離。
しかも貯金があるわけでもなく昇給やボーナスもない。
一番辛いのはそうなったことを「負け組」、お前が駄目だからだと親からも言われてしまうってことではないでしょうか。
負け組が存在することを前提にして出来上がった日本経済です。
彼らこそ国際競争におけるトオトイ戦士なのにねえ。
Commented by convenientF at 2008-06-18 14:15
私が議会や官僚組織の指示を必要としない独裁者になったら、先ず所得ベースの税その他の課金を全廃します。
所有と趣味嗜好奢侈の為の支出だけに課金します。
そのような社会での「勝ち組」は誰?
税金を沢山払う階層ですよね。

今の世の中、一番けしからんのは働いて手にした僅かなゼニからは容赦なくピンハネするくせに、相続か何かの行きがかりで所有してしまった資産の価値が、勝手に、どれだけ増えようがピンハネされないことですよ。現金化し、代替資産の購入などの差し引きで利益が生じたときだけピンハネ。

何かの行きがかりで偶々所有者になってしまったヤツが「勝ち組」。
国会議員も東大生も”何かの行きがかりで偶々所有者になってしまったヤツ”かその子ども。

アホラシ....
Commented by saheizi-inokori at 2008-06-18 15:12
CFさん、さっきランチ(焼きソバ)、これだけで950円、を食べながら「相続を認めない社会(めちゃくちゃ相続税を高くする)」はどんなもんだろう、と考えました。
そうすると働く意欲がなくなると言う人が多いけれど、本当にそうなんだろうかって。
ただ、この間書いたように能とか芸術と言うものは相続の上に成り立つし、所有欲が優れた芸術にパトロンがつく要素になるのでしょうね。
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by saheizi-inokori | 2008-06-16 22:25 | 梟のゴタク | Trackback(1) | Comments(19)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori