史上最悪のスキャンダル 伊藤公紀・渡辺正「地球温暖化のウソとワナ」
2008年 06月 08日
今や二酸化対策ガスを減らすことに協力しなければ国賊、人類の敵と言われそうだ。
でもここまでマスコミや、あのお役人、政治家どもまで口をそろえて同じことを言いだすとちょっと胡散臭い、きな臭い感じがしてくる。
「進め!一億火の玉だ」とか「贅沢は敵だ」って俺は話でしか知らないが、もしかするとこういう感じを煮詰めていった先にあったのではないか。
このところ「”環境問題”には嘘が多い」というテーマの本を何冊か読んでますますそういう気持ちになってきた。
ゴアの「不都合な真実」を何回かに分けて紹介したが、どうもお先走りだったかもしれないといういや~な気分になってきた。
本書を読んでその気持ちは確信に近くなった。
イングランドの中学では映画「不都合な真実」を教材にしていたそうだ。
それに対してある父兄が上映禁止を求めて訴訟を起こした。
教育条例に“授業で党派的な政治的見解の宣伝をしてはならない”と定めてあることが根拠だった。
裁判所は上映そのものは許可したが、映画が党派的な見解を推奨していることを認め教師たちがそれを推奨しないように注意しなければならないとし、いくつかの点について具体的に教師たちは生徒に注意するようにと注文をつけた。
それは有名な「氷河の後退」のシーンであり、気温の上昇が二酸化炭素濃度の増加によると云うグラフであり、気温上昇でハリケーンが増加しているというという指摘であり、ホッキョクグマが温暖化の結果溺死しているという指摘であり、、、。
それら俺も愚直にも信じて焦りを感じたゴアの指摘の数々が科学的には必ずしも立証された事柄ではないことを生徒にキチンと教えなさいと判じた。
センセーショナルな表題にもかかわらず本書の大半は淡々と現在の科学では気候変動を決める要因がなんであるかについてはよく分かっていないということを説明する。
二酸化炭素を減らせば温暖化が止まるというようなことは到底いえないと。
ゴアの「不都合な真実」にある誤りとか、古い知識を具体的に指摘する。
ゴア氏の警告は、健康のことを気にせず暮らしている人に「君、このままではすぐ死んじゃうよ」と忠告しているのに似ている。京都議定書はEUのたくらみに日本やアメリカ、カナダがはまってしまったのだ。
結局のところゴア氏の主張は、「なんでも二酸化炭素のせい」ということになるだろう。そういう「ひとつしかない指標」は不十分なだけでなく、実は相当危険なのだ。
「不都合な真実」は米国にはよいクスリになった。
おそらく、米国で環境重視文化の形成に寄与するだろう。
そんな動きが、地球環境問題を有効に解決する新しい条約や制度につながるとしたら素晴らしい。
1900年(なぜか2000年とか議定書時点ではなく!)を基準にして二酸化炭素の排出減少率を目標にしたら1900年以後、経済成長をして排出量が増えている日米、カナダには不利だ。
EUは加盟15ヵ国全体でマイナス8パーセントだが東西ドイツが統合されるなど90年以降古い発電所や工場が改良されたために京都会議時点でマイナス14パーセントになっていたのだ。
日本は当初0パーセント,EUマイナス15パーセントを目標にするつもりだったのに拙劣な外交でマイナス6パーセントを飲んでしまう。
二酸化炭素の排出量はGDPの増加と比例するから日米の排出量を抑え込み自らは増やしてもいいような目標を設定するということはEUの国際競争力を高める以外の何物でもない。
京都議定書通りの成果を各国が上げたところで、その前提となっている計算が正しいとしたところで地球の温度上昇を最悪の状態にするのに一年早いかどうかという程度の噺。
まして当時の計算とか科学が中途半端で二酸化炭素が気候変動に与える影響はそれほどのことはないと分かってきたのだ。
出来っこない、しかもやってもさして効果がない二酸化炭素排出量の減少を目標にして(気候変動を抑え込むのではなく)国際的な約束をして、今また洞爺湖でもっと義務をしょいこもうとしている日本。
できなければロシアあたりから排出権を買ってつじつまを合わせなければならない。
ロシアは目標0パーセント。
すでに毎年1兆円の税金を使って排出量削減のための努力をしている日本、涙ぐましいといえるがその金は本当に温暖化をとめることに役立つとは思えない。
そしてエコの名のもとに様々なイベントが行われ、新しい家電などが売られ、その名の研究には補助が出て、潤う人たちは笑いが止まらない。
ダイオキシン騒動は焼却炉メーカーと役人たちの仕事を増やすためだった。
狂ったように毎年1兆円も使うなら介護、医療、、使いみちはいくらでもあるはずだ。
も少し冷静に現在の科学的知見を学び意味のある金と知恵の使い方をするように政治や行政の在り方に監視の目を光らせなければならないと思った。
個人レベルで節約するのはいいことだと思うけれど。
でも余計なお世話だがお金が節約できてもほかのことに使えばそれは誰かが排出量を増やすことになるのだし、貯金したらその金を銀行はもっと排出量の増える企業活動に回すのだろう。
kkベストセラーズ
史上最悪のスキャンダル 伊藤公紀・渡辺正「地球温暖化のウソとワナ」 居残佐平次さんのブログ、いつも面白いんだけど、また 「環境問題」とされていることにどうもまやかしが多いというのは、現在結構な数の本がでていて、それなりに売れているようですね。 そして、それらが困ったことに、結構説得力があり、現在の「環境問題」や「エコロジー活動」は 「進め!一億火の玉だ」とか「贅沢は敵だ」って俺は話でしか知らないが、もしかするとこういう感じを煮詰めていった先にあったのではないか。 いい例ですね。 俺も話...... more
雑誌などに眼をとしていると、どうも「胡散臭い」経緯が背後にあるようだ。
特に、我々が庭先で燃やす程度の“ 焚き火 ”では、日常生活に影響を与えるほどのダイオキシンは殆ど、発生しないと!
コンチクショウメ、焚き火跡の近くの、蕨も、土筆も食べずに辛抱していたのに!
戦後われわれが吸い続けた田んぼの肥料はぶった曲げるほどのダイオキシンが含まれていたことも。
炭火焼のオヤジは死んだでしょうか?
ダイオキシン焼却炉は今も取り換えなどに税金を使い続けています。
関係者の責任を追求すべきだと思いますよ。
今二酸化炭素についても世界の多数派学者は温暖化の主犯ではないことを知っている。
今や、政治。マネーゲームの材料になっているのです。
せっせとゴミの分別に協力していますが,私の分別ほどには「分別回収」していないなと思っています。
「まだ使えるけど、省エネのために買い替える」というのは資源の無駄使い以外の何物でもないし、物を大切にするという美徳にも反していると思います。
燃費の少ない車や光熱費を節約できる住宅を作れる技術力の高さには感嘆させられるのですが。
今一番のニュースはガソリンの値上がりです。
毎日上がって、うちの近くでも1ガロン5ドル(看板には$4.99とありますが)になりましたから・・・
そうすることでほくそ笑む輩がいて民は面倒なことをそうとも知らずせっせと夫婦喧嘩してでもやっている。
「お父さん、今日は燃えるゴミだよ!」「るっせーな。たまには自分で出したらどうなんだい」
サマータイムなんて魂胆がみえみえですね。
サービス残業を増やし余暇対策と称して健康産業、ロハスと称して郷土料理、学習塾、、手ぐすね引いてまってます。
気候変動をコントロールするために何をやるかが問題なのに二酸化炭素を減らすことが最終目的・唯一の目的になってしまっているところが悲喜劇をうんでいるようです。
太陽熱とか風力など、二酸化炭素削減や排出権を買うために莫大なお金を使うなら代替エネルギー開発に使うほうが得策だと思います。
なんとかしなきゃならないのだから、何とかしなきゃならない時期にはある。
どのような批判があるにしろ、何とかしなきゃあいけないとなると、真剣に考えなきゃあ。
このことには何ひとつ意義を挟まない。
何人儲ける人がいるにしろ、そんなの小さいこと、それではすまない時期がくるのは間もなく。
科学的な根拠ではなくて、直感にすぎませんけど。
日本の国土としては人口五百万程度、そのような世界きますかね~?
地球が生物を養えなくなっているのだから、世は終末!
私は体験し、生々しく覚えています。学校の先生たちだけでなく、町内のオジチャンオバチャンたちが叫び、電柱にも塀にもベタベタ。
>「推計によると」「危険性」が2〜4倍高くなります,とのタバコの表示警告。こんな論理って,降水確率以下の信憑性しかないじゃあないかと思ってきました。
「倍」とか「率」ってからには、分子と分母をハッキリさせて貰わないと承伏できませんよね。
私の住まう辺りでは「ゴミの分別」はドンドン緩和され、間もなく「ガラス、陶磁器、金属」以外は全部一緒になりそうです。先日たばこ屋で市長にあったら「コストばかり掛かってやってられネエよ」と吐き捨てていました。
環境設備で大儲けした会社の卒業生に「豊かな老後」を自慢されると「殺したろか」って気分。
サマータイムに関しては
http://tetorayade.exblog.jp/8729103/
にコメントしてあります。
排出量の少ない国・地域がそれと交換にお金をもらう。
一見、正しいことのようですが、それらの国や地域、あるいは企業が
二酸化炭素の吸収を積極的に「増加」させたり、
排出量を「激減」させているわけではなく、
もともと排出量が少ないだけのことだということです。
そこから排出枠を買ってくるなどというのは、
まったくの詭弁だと私は思うのですが、、、
完全なことは分からないけれど少しでもエライ人たちのいうことのウソや誠を見抜ける力をつけることが大事だとこの本ではいっています。大賛成です。
環境対策で騒げば騒ぐほど役人の仕事が増えル。環境省の予算も増える。
なんせ世界の安全が関わっている。
無礼者控えおれ!といわれたら市民は平伏するのみ。
欲しがりません勝つまでは。
本当に勝つのならいいんですけどね。
ブッシュが議定書を批准しなかったのをケシカランと批判したけれどむしろアメリカ国民の生活を守るためにブッシュは当然のことをしたこと。私もブッシュ大嫌いだけれどEUのズルさをみれば日本もアメリカ、またはカナダのように出来ないことは出来ないというべきだったと思います。
挙句にロシアかどこかほとんど排出量削減目標を達成済みのようなところ(1900年対比では余裕で減少してしまっている)に何千億もの金を払うというのは全くおかしいですね。
後期高齢者や介護などお金の使い道はいくらでもあるのに。
先ず「住民税」が来ましたよ。
厚労省の分類では「年金収入:242万?」で「高所得」だそうですから国民健康保険税は例年通り上限一杯か。
「高所得」に分類されている皆さん、本当に払えるのかな。
「温暖化」よりもっと大きな疑問!
食料が絶対的に不足しているのか、あるのだけれど手に入らなくなっているのか、そういうことも今まではお上のやることを信じてきたけれどこれだけグローバルな時代になってくると市民も真相をつかむ努力が必要なのかも知れません。
しんどい時代ですね。早いとこバイバイしたい気持ちもちらっと。
でも子どもたち孫たちのことを考えると辛い。
重い気持が、少しアジサイの白さに救われました。