泣けたぜ 映画「光州5 ・18」
2008年 05月 24日
gakisさんに教わった映画。
1980年に韓国で実際に起きた軍隊による市民虐殺戦闘を事実をもとに描いている。
韓流ドラマって見たことはないけど、この映画のストレートに喜怒哀楽を分かりやすく伝える、ある意味では商業主義的な描き方が成功している。
それだけ素材となった事実に人を打つ力、衝撃がある。
すぐ近くの国でつい最近こんな事件が起きていた。
アメリカも、だから日本もリアルタイムで事実を知りながら市民を暴徒と決めつけ虐殺する全斗渙軍事政権を支持した。
貧しくても平和に家族、同僚、恋人と明日を信じて生きていた市民の生活をある日突破ズタズタにする軍事政権。
マッチポンプなのだ。無茶苦茶に暴力的な弾圧をして止むに止まれぬ抵抗を意図的に起こさせて、それを収拾することで政権の正統性を国民に知らしめる。当然、報道管制は凄まじい。
映画の主人公は戦闘の最期に投降すれば生き残って、恋人と普通の市民生活を送って、もしかして今も元気に暮らしているかもしれない。
しかし、軍隊が「暴徒は銃を捨てて投降せよ」と言う呼びかけに反発する。
俺は暴徒じゃない!
蜂の巣のようにボロ雑巾のようになって崩れ落ちる主人公。
弟がソウル大学に進学するのを応援しながらも勉強のやり過ぎを心配するようなタクシー運転手だ。
彼がそれまで自分の生活や世界観には無縁でまるで理解も出来ないモンスターの存在があることを知ったのは弟が殺され親友が殺され自分も殺される時だった。
モンスターとは国家権力だったのだ。
軍隊が撤収すると信じて国歌を誇らしげに歌う"暴徒"市民たち。
その一瞬後に一斉射撃が始まり市民は虐殺される。
制服の女子高校生はまず両足を打たれて動けないところを。
俺は泣きながらこの映画をみた。
裁判員制度をやみくもに進める日本はどうなんだ。
マサカ光州のように自衛隊の銃撃に曝されることはないだろう。
と、思うけど。
個人レベルで言えば集団リンチが待っているような気がする。
西部劇として見ていると面白いけど。
封印が解かれた光州事件の映画 『光州5・18』韓国は一番近い「国」。すぐ隣りなのに報道も少なく知らされざる地。その半島最南端、全羅南道の道庁所在地で1980年に起きた光州事件は、日本では話題にもなっていない。韓国でも軍事政権の情報操作で、長らく封印されていた事件。 映画『光州5・18』を作ったキム・ジフン監督は、事件当時は9歳。戒厳令下の報道は民衆を「暴徒」扱いしていた。真実を知らされなかったとはいえ、知らなかった自分を恥じた監督は、資料を調べ、当時の関係者からの丹念な聞き取りで完成させた作品だ。冒...... more
寝ている犬を蹴とばすと吠えるだろう。吠える犬は制裁しないといけない。そうして、その犬を棍棒で殴る。そうやって軍は暴徒を鎮圧した実績を作りたかったのだ。一般の市民にとり突然始まったかのように思える1980.5.18の市民弾圧のあと、ミヌたちはそのような意味のこと...... more
まさか、と思うようなことです。
かつてひどくアメリカで痛めつけられたので、被害妄想が膨らみ、そんなら軍隊に入っちまおうと本気で考えたことがありました。そうすれば移民の私でも「集団リンチ」は免れると、幼稚に信じていました。ベトナム帰りを間近で見て、そんな妄想は吹っ飛びましたけど。
それだけ日本の私は恵まれているのでしょうね。
でもこれからの日本は?
「神聖喜劇」で被差別部落出身で前科(それも冤罪に近い)がある男は当然に盗みもしただろうと、それを信じ込んでいる普通の男たちが描かれます。
なんと兵営で起きた盗難事件の犯人を全員の匿名投票で決めようというのです。
裁判員制度のことを真面目に考えてすぐに浮かんできたイメージはこの小説でした。
とてもリアリテイを感じたのです。
日本の安保闘争とか三井三池などとはまるで違いますね。
成田にしても、、。いわば百姓一揆。
そこまで追い込む、追い込まれる。凄い国です。
単純に比較はできないですね。
”凄い”という言葉の意味ももっと吟味してつかわなくてはいけない。
でもやはり凄いと思いました。私は同じ立場に置かれたら武器を取って戦うだろうか?
市民に向かって水平撃ちを命令できるだろうか。
今までの人生で起きたことと自分が取った対応を思い起こしています。
命令はできなかっただろう。武器も取れなかっただろうと。
「国」と書いたのは正確ではなかったかも。
ただ私の周りにたまたまそういう人が多かったのか部下が不当な目に逢っても救うために一言の弁護すらしない人が圧倒的でした。そういう人が武器を手に取って戦うだろうかとか、上から命令されれば水平撃ちの命令を拒否しはしないだろうとか考えていました。