トリスバーも登場します セピア色の風景 井伏鱒二「駅前旅館」(新潮社)
2008年 04月 12日
業界用語や旅館業の裏舞台が面白い。
団体、連れ込み、家族連れ、東北、関西、、客の属性にあわせた接客、とくに客引きのやり方を変える話など前にも書いたイベントの客引きやチラシ配りのことも思い出した。
スレッカラシのようで憎めない番頭たちの友情、昼間は競争相手が一対一になると親身で助け合う、なんだかうらやましいほどだ。
こういうのも今はなくなってしまったのかも知れない。
人の行き来を眺めて裏表を見尽くしている男たちには綺麗ごとは通じない。大人の友情、でも子供っぽさがあるのが可愛い。
於菊と主人公・生野の交情、特に於菊の純情、哀れを描くのにユーモアの衣を着せている。
紡績工場の寮生たちが毎朝庭に出て故郷の方角に向かって姿勢を正して黙祷する。そのため、庭の隅に土俵よりもずっと大きな壇が作られてそのぐるりにそれぞれの故郷の町や村の名を書いた木標がその方角に立ててある。
寮生たちは壇に上がって自分の故郷の木標に最敬礼をする。
それから揃ってスエーデン体操をする。
芸者上がりの於菊は旦那の工場の寮長になって毎朝寮生の先頭に立って寮から工場まで走って行く。
(ね、たまらなく滑稽な風景なのに目頭が熱くなるでしょ)。
かつて吉原の引き手茶屋で豆女中をしていた頃から生野に想いを寄せていた於菊は、生野に
「さうなの。あたし、いつも口のうちで、足並そろへて一二三、足並そろへて一二三、と云ひながら駆けてゐます」と、目を細くして何だかたのしさうに口を聞いてをりました。生野も好きなのに一歩前に出ることができない。
スレッカラシだからか?
いや、心底はウブなのだ。
前にあげた中村明「文体」の中で中村との対談。
「井伏文学と言えばユーモアとよく言われるんですが、、、」ホントにセンチメンタルな照れ屋、ユーモアなしでは話が出来ない。
「僕はもともとセンチメンタルな人間なんですよ。(ユーモアは)それを消すためなんだ。」
(推敲について)
「直すほうでしょう。文章を飾ろうという気持ちが非常にあるからな。しかも、それを飾ってないように見せようという気がある。
丁度、女がお化粧をするようなもんだ。なぜああいうことをするんだろうね。人間をでかす道じゃないな、語尾なんかで苦労することは。」
この小説はまさにセンチメンタルな抒情をユーモアでくるんだものだ。
ちょっと衣の下から覗きすぎている面もあるか。
いや、これで丁度いい塩梅かな。
学生時代に読んだきりだった。
すっかり忘れていて主人公が骨董趣味があると思い込んでいた。
あれは「集金旅行」だったか、忘れているなあ。
さあ、俺はこれから房州・飯岡の駅前旅館に。
セピア色の友情と生きのいい魚が待っている、カナ?
子守り男に背負われて見た、花の下での葬式の光景。 保養先の鞆ノ津で、初めて海を見た瞬間の驚きと感動。 福山中学卒業と、京都の画家橋本関雪への入門志願。 早稲田大学中退前後の、文学修業と恋の懊悩。 陸軍徴用の地マレー半島で知った苛酷な戦争の実態。 明治三十一年福山に生れて、 今九十二歳の円熟の作家が心込めて綴った若き日々・故郷肉親への回想の記。 ... more
数年前に絶版になった記憶があります。
日本の小説家では、鱒二が一番好きです。
骨董趣味については、鱒二のおじいさんの話と
青柳という友人の話が愉快でしたよ。
自選、手を入れて話題になりましたね。
骨董趣味の主人公は、たしか『珍品堂主人』です。
あの自選集は、箱の絵も井伏が描いたものなんですよね。『山椒魚』はここへは最後の一行(「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」)を著者が削除して収録したことも話題になったと記憶します。
henryさん、私も日本の小説家では鱒二が一番好きです。