俺も吉原に行ってみたくなったぜ(うそうそ) 第5回「黒談春」(紀伊國屋ホール)
2008年 03月 26日
そうさ、一日に二度も行く日があるんだから。
どうにも止まらない若旦那のことを心配した番頭さんが意見をする。
分かった、これから月に一度にするよ、ってえからホッとしてよく聞けば、なんと月に一度行かない日にするよだってぇ。
番頭が吉原の良さを知らないとみてその魅力を語ろうってんでまず吉原への行き方をしゃべる。
川からと陸からとふたァツ行き方があるんだと云って柳橋から猪牙舟(チョキブネ)に乗り込んで北へつ~っと上っていく様を、チョキブネの名前の由来からその舟が速いから舟からタチションベン出来る男は随分遊んだ男だ、などと両岸にみえる「首尾の松」やら土手八丁、モノや地名、その由来をぺらぺらと、まるではとバスのガイドだ、若旦那。
このあたり、言葉の流れと意味の繋がり、川の流れのように滑らかにイメージが浮かんでくるようでなくっちゃ噺家は落第だ。
談春、吉原の灯が消えてから東京に出てきた俺でもわくわくするような躍動感があった。
志ん生の十八番だったこの噺、今日談春はネタおろしだ。
俺が持っているテープは、志ん生が倒れた後の音源でちょっとテンポが緩いし舌がもつれる感じもあるけれど、彼のこの噺に対する愛着が感じられる。
談春がやった道中案内のところは志ん生は吉原田圃をあるって行くって話から田圃の蛙たちが俺たちも人間のように一度遊んでみようと、「アオ」、「殿さま(背中の筋の様子がいいよ)」、「アカ」、「エボ(あいつはきたねえなあ)」、、連れだって(立ち上がって)吉原を冷やかしに行くという大傑作な枕になっている。
いい女がいるってンで若い衆に名前をきくのだが(蛙がだよ)
そんな女は家にゃいませんぜ。蛙は目が後ろについてるから立ち上がると後ろの店の女のことだった、なんて。
さて、談春。
そんなにいい女がいるならいっそ身請けして囲ったらどうです番頭がいうと
ダメなんだ。俺は女じゃないんだ。吉原っていう場所がいいんだ。「ぞめき」、ざわざわと冷やかして歩く。それがいいってんだね。
しょうがないから家の二階に吉原そっくりの街並みをつくってあげたらどうかってことで腕っ利きの大工・職人が集まって金に糸目はつけないで吉原そっくりを二階に作り上げる。
古渡り唐桟に手ぬぐい(夜露は毒だから頬っかむり)で支度をして、出来上がった二階へ、トントントン、上がって襖を引きあけると
すげ~ェ!忽然と現れたアナザーワールド。
衣紋坂があって脇にはちゃんと見返り柳がある。
大門を入ると、四郎兵衛会所があって、右が江戸一(江戸一丁目)で左が江戸二、間が仲の町を行くと茶屋が軒を連ねて灯がきれいだあ。
堺町、角町、揚屋町、京町一丁目に京二、名だたる店も、ぜ~んぶ揃ってる。
そうだ、いいことォ考えた。今度ここで花魁道中をやろう。ナンたって「道中」ってのは東海道中とこの吉原しかいわない。なぜ吉原かっていうと江戸町から京町まで続いているからで、、有頂天になって二階の吉原を歩く若旦那。
(ここも薄っぺらく嘘っぽくなると聴いていられなくなるところだ。)
でも、やっぱり人っ気がないのがチョトさびしい。
まあ、いいか、大引け(午前2時)過ぎだとこうなることもあるから、そのつもりでまことに素直な男だ。
その内、客引きの男が現れ、それをあしらい、上がっておくれ、誘う女がいてこれもやり過ごし、、(このあたりが「ぞめき」の真骨頂、醍醐味なんだろうな)して
忙しいね、ひとりで全部やらなくっちゃこのクスグリ、志ん生もやっている。
やがてぞめきも熱を帯びてくる。
お茶をひいた(客にあぶれた)女に煙草をもらいながら「目が細くて皺かと思った」などと悪たれてションベンするもんだから女が怒る。
タバコ泥棒!止めに入る若い衆、花魁、収まらないからあっちこっちから集まって来て、喉元絞め上げられたりわめいたり、ひとり何役?大変な騒ぎだ。
泥棒たァなんだ客に向かって!
フン、金を払うから客だよ。
お前のようにお足もない奴は泥棒で沢山だい
なにうォ~
下にいた親父、「たまに家にいるかと思えば、いつの間にか友達をたくさんひっぱり込んで、しょうがねえなあ、喧嘩してやがる」。
小僧の定吉に言いつけて「上を鎮めてこい。」
定吉が上がってみるとおりしも若旦那、自分で自分の首絞めてる。
若旦那、若旦那!落語は業の肯定、主観=思い込みの世界、談志の落語感そのまんまの噺を弟子の談春が大熱演、よかった。
誰だ、うるせい。後ろからキヤがって、、なんだ定吉か。
悪いところであったなあ。
いいか定吉、ここで俺に会ったことは家ィ帰っても親父にゃあ、黙っててくんねえ
半村良に「浅草案内」という連作集があるけれどこの噺はさしづめ「吉原案内・その1」か。
他に「花見小僧」と「お血脈」。
「お血脈」もネタおろし(初めて高座でやること)。
どちらも熱演だが今日は「二階ぞめき」につきる。
枕なしでやったこの噺。
噺自体が持っている力を引き出して演じればこの人の才能が光る。
先日の「文七元結」や「札所の霊験」がそうだった。
だが、自分なりに枕を振って笑い(追っかけファンの)を取ったりするとどうもだれる。
「お血脈」は地噺でいろんなくすぐりを工夫してつないでいく噺だ。
言いかえれば噺家の人間としての力がもろに出てくる。
その点はまだこれから伸びて行くべき余地が十分にあると思った。
写真上は新橋駅西側、このあたり焼き鳥や横丁になっている。
下の「すずらん通り」は不忍通りとよみせ通りを結ぶ横丁。
どちらも未体験ゾーンだが一度行ってみたい風情がある。
こっちはホント。
「ぞめき」がいいんだ、という気持ちはたいへんよくわかります。
母が私に帰ってきてほしいと言っているのですが
もし東京に戻った際にはぜひ談春をきいてみたいと思います。
浄閑寺とかには行ってみたいのですし、実際に行ってみれば歌舞伎町なんかのほうがよっぽどいかがわしいのでしょうけど、やはり足がすくんで行く気になれません。
若旦那、博物館などに展示してある模型みたいな吉原で遊んでいるのでしょうか。
だから本や映画の知識しかないなあ。
この噺は円歌(会長)で聴いたことがある。落語によくでてくる“吉原田圃”はそれだけで独特の情緒を漂わせますね。でも、田んぼ好きの私はあの辺が田んぼだったころを懐かしむ気分のほうが強いです。
ちょうど吉原から大酉神社に向う道は、スゴイですが、途中に一葉神社もありますー。あそこが土手で川が・・と思うと変わりましたねー。昼は、怖くないですよー。
新橋のこの横丁もおもしろいですねー。夜はなるほどお父さんの町。どこも美味しそうです。なぜか、どちらも知っている私、イヤだなー。
この若旦那は「ぞめき」派、観るだけ冷やかしだけがお好きなようですね。それなら二度行くこともできたかもしれません。
吉原田圃、何時ごろまであったのでしょう?
あの、「とうなすや政談」、やはり極楽トンボの若旦那が「トーナス屋でござい」と情けなく呼びながら歩いたときも吉原田圃の向こうに吉原を見て妄想にふける場面がsりますね。
なんか凄い話題になってきた。
若旦那はどの位の金遊んだのか店も鳴り物入りで楽しかったのでしょうね。
おかしい~ 実際に行けなくても、話を聴いて想像してるのも楽しいモンですね。^^
出会いがしらの喧嘩ですぐに手が使えるようにだって。
よって小生は桜肉は食べません。牛や鳥の干支でなくて良かったです。
サクラも旨いのになあ。