お恥ずかしいこって
2008年 03月 18日
「我が家の憲法」というのを作ったときに「正しいと思ったことは悪魔でもやりとおす」みたいなことを書いて壁に貼ったら母に笑われた。
俺は「悪魔がでてこようが悪魔になろうがやりとげる」と言う感じがあって好きな言葉だったのに。
社会人になって「国家の急務」と書いたら先輩達に大笑いされた。
「刻下の急務」だった。
文脈が「国家」でも通じてしまうからいけなかった。
昨日の記事で「さかりてすめる」を「元気でしかも落ち着いて澄んだ」と理解していたら「離れて住んでいる」の意味だと教えていただいた。
コメント欄にその経緯が明らかです(鍵コメさんが俺のことを慮って鍵コメで決定的な結論を出してくださった)。
そう納得してみたら、どうして最初のように読めるのか不思議なくらいだ。
遠ざかるの「さかる」に「住める」だもんな。
それは「悪魔」の場合も然り。
今回は自分の写真のことだけにコッパズカシサが一入だ。
さらに「遠つ」の意味も「遠くの」だと思っていたら、それは正しいけれど「とうつみおや」で「先祖の」という意味なんだと鍵コメさんから教えられた。
俺は「遠く離れた父母のお墓」という意味だと思ったんだ。
恥ずかしいけれどほんとのことを教えて貰ってどれだけ嬉しいか!
henry66さん、gakis-roomさん、そして鍵コメさん、本当にありがとうございました。
こうやって本当のことを教えてもらえないままにどれだけとんでもない間違いをそれとは知らずに押し通して生きてきたか!
穴があったら入りたいとはこのことだ。
救いは俺だけじゃないってこと。
「神聖喜劇」(大西巨人)には主人公であり博覧強記・記憶の天才・東堂二等兵や兵隊達の”ああ、勘違い”が載っていた。
もっともそれは彼の子どもの頃の話が多いのだが。
「満艦飾」をほどこされた」を「満艦、飾をほどこされた」と読んだり、兵隊たちの間違いに至っては枚挙にいとまがない。
直ぐに見つからないけれど、後で紹介します。
照れ隠しのために。
ちょっと違うけれど読み方によってまるで意味が違ってしまう俳句。
闇の夜は吉原ばかり月夜哉其角の句、これを「文七元結」の中に挿入する噺家は多い(談春は言わなかったように思うが、、)。
この句、「闇の夜は」で切るか、「闇の世は吉原ばかり」で切るかによってまるで違ってくる。
後者が正しいのだが彼の江国滋さんはずっと前者の読み方をしていたそうだ。
幸田露伴と斎藤茂吉の対談記録を読んで「外は月夜だけれど吉原だけが煩悩の闇に包まれている」というように読むことを教わったそうだ。
まあ、こんなことを書くのも照れ隠しじゃのう。
私は、さかりを盛りと読んでしまいました。成長して遠くに住んでいるのかなー・・と。今回、初めて、離りてという言葉を知りました。
日本語は奥深いですー。私たち世代は受験のための古典しか学んでいませんもの。何にも知らないまま大人になってしまった気がします。やっぱり音読は大事ですね。美しい日本語を次代につなげるためには、漢字の全ルビ振りして、小学生から古典などを音読する習慣を!と切に思います。
一ノ谷の井 草破れ
と思い込んでいました。
「先憂後楽」を長い間、
厭な仕事を先に片付けて後で楽をしよう、と思い込んでいました。
闇の夜は 吉原ばかり月夜哉
吉原の繁盛を詠ったものと思い込みますね、普通・・・。
たとえば、この其角の句。人生お先真っ暗な男がやりきれない思いを抱えながら華やかな吉原に転がり込む、といった壮絶なシーンを勝手に想像してました。
「目安ですから」のようにネガティブに使う事もあって
それが何か悪魔的でいいですね。
私は上杉鷹山公の「なせば成る、なさねば成らぬ何事も」という言葉を「なせば成る、成さねばならぬ何事も」と間違えてました。
祖母にも感謝です。
特に政治家諸侯はそもそも先楽後楽だから。
今頃になるといつも思い出します。「仰げば尊し」の一節
思えばいと疾(と)し この年月
を
思えば愛とし この年月
と思っていました。気付いたのは卒業してかなりたっていました。
あと、「遺憾の意」を「イカンのイ」だと思ってた、という話を聞いたことがある。「イカン」と思ったら「イ」というカードをあげるのか、と。
友達は「こーぶーたつーりしーかーのかーわー」と歌ってたそうです。荒川あたりではブタが釣れるんだと思います。かく言う私もそういうのが多い。
「さかりてすめる」かー、それだけで意味を言わなきゃいけないとしたら「さかりがついて」とか言い出しそうです。
間違いがわかるって佐平次のお人柄ですよね。
でも懐かしい。やる気があったんだ。
お分かりでしょう?
マホガニーのことだった。何べんも口の中で言ってるとどっちが正しいかわからなくなります。
反省。
つまり悪いヤツでもいいヤツでもやるという意味です。
私、かなり大きくなるまで、「お富さん」の歌詞
「粋な黒塀 見越しの松に」
を粋な黒兵衛さんが神輿をどうかしたのかと思っていました。
あだな姿というのもわからなくて、ニックネームかと思っていました。
子どもの頃、母に「あまやどり」ってどんな鳥?と訊いたそうです。
ヘンでしょう。漢文のセンセイの渾名は「世阿弥」!
漢文はまるで教えてくれず、世阿弥の話ばっかり。そして時々
このように面白い詩歌の話をしてくれました。
「仰げば尊し」のような、学校行事に使われる歌は国民学校3校、小学校1校、中学1校でそれぞれ校歌と一緒にプリントを与えられました。全部漢字+振り仮名だったのでgakisさんたちのような誤解をしている生徒はいなかったように思いますが、全員に聞いたわけではないので....
私が悩んでいたのは「赤とんぼ」の「オワれて見た」でした。これはお仲間が多いのではないでしょうか。
「十五でネーヤは嫁に行き」も最初は悩みました。私がいた頃の大阪では、単純な部屋の名前として「寝室」のことを「寝屋(ネヤ)」と言ったていたからです。「ネエヤ」と「エ」が入ると思わなかったんですね。
「赤とんぼ」で思い出すのは、地方出身のある高名な作曲家が「歌曲は歌詞のアクセントに合わせて音を上下させるのが鉄則なのですが、山田先生のような大家でも...」と解説したのを今でも覚えています。
山田耕筰は本郷生まれのチャキチャキの江戸っ子です。江戸弁では「赤とんぼ」は「ア」にアクセントが来るんですよね。「2月」「四月」は「ニとシ」、「離婚」は「リ」です。
その作曲家が後に訂正したかどうかは知りません。
そういえば、「草いきれ」をずっと「臭い布」だと思っていたなぁ。あー牛乳をふいた後の雑巾?みたいな。
牛乳をふいた後の、って私だと単に洗濯していない汗ふきかなんか思うんだけど、めっちゃいけてる。