いろんな親子、いろんな孫、いろんな春、いろんな人生
2008年 03月 17日
(チェルノブイリ子ども基金http://www.smn.co.jp/cherno/index.html)
どこにも 行くあてはないから 廃村で暮らしています広河隆一 撮影 石川逸子 詩
孫娘の 無事を ただ 祈っています
だまっている おばあさんの 胸のなかに あふれる 涙
まず祖母の歌から
しみじみとわが身一つと思ひけり
人里遠き山路をゆけば
ふるさとの遠つみおやのおくつきの
かたへの梅も今かさくらむ
忘れめやさかりてすめるわがまごの
そのうつし絵をひと目みしより
次は母の句
靴底の俄かにぬくし芝踏めば
びろうどの赭き薔薇の芽力とす
祖母の「わがまご」は俺のこと。
「遠つ」、「遠くの」の意味か?
孫にも分からない言葉使いをしないでね。
不肖の孫につき。
そういえば、「おくつき」、も「奥つ城」、つまり「奥の城」=墓ですね。
「つ」が「の」という意味だとは知っていたのですが「遠」が体言なのか自信がなかったのです。
祖母の歌をみていると分からない言葉が多いのです。
というわけで私は句は作れません。
紹介するのみ。
面をかすめて 吹く風寒く
笠は飛べども 棄てて急ぎぬ
はるか離(さか)りて 佇(たたず)まえば
なおも聞ゆる 「ここに幸あり」
とありますから,私は
離りて住める
かと思いました。
ただ赤ん坊が住むというかな、もっとも赤ん坊が純なのも当たり前ですね。
それから「遠つ」ですが「遠くの海」が「遠つ海」、「遠江」になったのですね。
古文なんて高校時代にちょっとやっただけですからみんな忘れています。
親子には挨拶しそびれてはいないのです。挨拶の仕方が悪いから気がつかれない、ああ、やっぱりこれでは独り言ですね、挨拶しそびれでした。
今朝も同じこと、ひとりで「おはよ」といいましたよ。
幼稚園が休みみたいなのに何故か昨日も今日も二人で同じ時間に歩いてくるのです。どこに行くのか気になります。
お恥ずかしいことでした。
「さかりてすめる」はgakisさんのご指摘が正しく「離れて住む」だとの鍵コメさんからのご教示がありました。
そうか、俺もアカンぼのときは結構見られたんだなあ、と思っていたのでしたが、考えてみればそんなはずもない^^。
私たちは忘れることができるけど、彼らには現在進行中の悲しみなんですよね。やっぱり複雑な気持はいつも込み上げてきます。
20年といえば昔のようでじつは昨日のことです。
でも私は忘れています。カレンダーを人から頂いてこの写真をみてすこ~し感じることが出来たに過ぎません。
「しみじみとわが身一つと・・・・・」最近こんな歌が解るようになってきました。しみじみと・・・。
風雨に耐えた日々が、刻まれているのでしょうか~。
いい顔です。
プーチン政権下での弱者は、生きるだけで精一杯のようですね。
不幸にあえぐ人々がいると思うと、祈らずにはいられません。
切ないです。
そういう母であり祖母でした。
私も艶っぽいと思う句があります。