酔ってくだんの如し あの山越えて里越えて
2008年 02月 18日
俺は長野県生まれでもないし両親も長野出身ではないが長野で小学校から高校までを過ごしているから”長野県人”と言うことになっている。
多分に理屈っぽいところを揶揄して言われているように思うときもあるが俺は”長野県人”であることを甘受しているし長野が好きでもある。
先日も初対面の女性と居酒屋で「信濃の国」をぴたっと歌ってしまった。
さて、何故長野は教育が盛んなのか?
俺は次のようなことを言った。
まず何と言っても貧乏県だったこと。酔ってクダンのごとし。
冬は寒く夏は暑く、産業とて大したものはない。
遊ぶ余裕もないし、遊ぶ誘惑もあまりなかった。
貧しいと勉強して外に出るしか手がない。
東京の文化と関西の文化が手頃な距離にあり、ぶつかり合うのが長野だった。
刺激があったんじゃないか。
我が高校の校歌は「山また山の遥かたに~」で始まる。
四囲を高々とした山に囲まれていると「山の彼方の空遠く」住むという「幸い」を求めたくなるのは人情ではなかろうか。
sehnsucht(ゼーンズフト)=憧れというドイツ語くらい青年・長野県人の気持ちにぴったりくる言葉は無かったように思う。
それこそ勉強しようという気持ちの源だったように思う。
この”憧れ”は蒼穹に屹立するアルプスを越えていこうという”志”だった。
”エラクナル”とか”安楽な生活をする”ということではなかった。
それが傍からみたら”理屈っぽい”と云う姿に映ったのかもしれない。
みんなと別れて一人になったとき、「あの麦藁帽はどこに行ったんでしょう?」という声が耳元にしつこく響いて”歩いても歩いても~”振り切れなかった。
写真は沖縄の海。
海を眺めて育ったらもう少しおおらかな男になったかもしれない。
志を持ったときから姿勢が定まってきて結果としてどれだけのことが出来たかは運と器量次第?
もっとも定義の問題かも知れませんが。
飽くまでも、これを悪魔でもと書くのだと小学校の頃は思っていました。脱線ですが。
ありがとうございます。
空気が乾燥していますから苦になりませんでした。
山の中腹から下を見ると、稲穂が風になびき
緑の波のようだったのを「こんな美しい風景があるだろうか!」
と感動したことも。今はもう田んぼはないのかも・・・
住んでいた頃はそれほどには思わなかったのですが最近おとづれることがあると、こんなに美しいところだったのかとびっくりします。
田圃は減りましたがそれでも今からだとリンゴや杏の花が咲いていたり、蓮華畑もいいです。
海っていいですよね~^^広いっていいですよね~^^
私も海は好きですよ。