グルメは味音痴? 福岡伸一「ロハスの思考」(2)
2007年 12月 15日
刺激に対して応答する。偽装が当たり前の当今、賞味期限の表示なんかに頼らなくても自分の五感で身を守ることも大事だと思う。
生命現象の基本だ。
その場合の刺激と応答の関係はリニア(線形)ではなく非線形なのだという。
弱い刺激レベルでは応答は微弱で、あるレベル(閾値)を越えると急に鋭敏な応答をし、さらに大きなレベルの刺激になると再び鈍くなる。
味覚や嗅覚における刺激と反応も同じようなS字カーブを描くが、その閾値が決まってくるのは子どもの頃だ。
子どもの頃に、特に弱いレベルの感覚受容を鍛えておくと、よりよい食(人間の体にとって良い)を見つけ微妙な風味の差を味わえるようになる。
それでも大人になっていつも強い刺激が与え続けられると応答の閾値が上がってしまう。
グルメといわれる人にはワイン好きが多い。
ワインにはカリウム塩が多く含まれているのでワイン通の舌はこの塩濃度に麻痺しているはずだ。
彼らがよく”しっかりした味”というのは、要するに塩濃度の高い料理のことを言うことが多い。
だからワイン好きのグルメが旨い物を教えてやるといってもそれは良き食育とはならないようだ。
味覚とは、基本5味(塩味、甘味、苦味、旨味、酸味)と辛味、冷味を、探り・解析し・見つけるというプロセスの感覚である。
したがって素材の持つ複雑性を単純で強力なトーンで置き換えてしまうような操作は、味覚を育てることには有害といえる。
マヨネーズ、ケチャップ、カレー、ソースなどの多用は単純化といえそうだ。
ヒトの遺伝子は約3万種類あるといわれているが、そのうち1000種類以上が嗅覚、100種近くが味覚のために用意されている。
われわれが大きなツールとしている視覚は基本3原色を見分けるための数個のレセプターで事足りている。
すなわち、味覚と嗅覚をもっと研ぎ澄ませて、有効に活用すれば今まで気がつかなかった匂い、知らなかった味、その精妙な組み合わせを再発見することが出来るはずなのだ。
子どもたちの食育とはここを出発点とすべきである。
貧しくいつも腹をすかしていた上に冷蔵庫もない子どもの頃、俺はもっと味覚も嗅覚も鋭敏だった。
カビの生えた餅、すっぱくなったご飯、古くなったお菓子、、古くなったからといってゴミ箱に直行はしなかった。
匂いを嗅ぎ食べてみて大丈夫かどうかを判断した。
マヨネーズやケチャップなんて買わなかったし、砂糖だって貴重品、咽喉が渇いたら水、牛乳がご馳走、上京して初めてコークを飲んだときにはまずさに驚いた。
野菜や果物のそれぞれ違った甘さや苦味、酸っぱさなどを味合うしかなかった。
考えてみれば理想的な食育を受けて育ったんだ。
ありがとう、お母さん。
筆頭が、塩鮭、口のひん曲がりそうな鯨肉、塩さば、辛い漬物‥‥
結婚早々、腰椎分離症で入院手術、三ヶ月のギブスベッド生活で体験した食生活が、薄味の病院食。消化器は健在なのにどうしても食事を残す。
今まで、どのような食生活(味付け)をしてきたのか大いに反省、残り70日間を調味料無しの食事に切り替えて、現在の味覚感覚を再度取り戻したように思う。
昔からよく言われるように、味の付いていない野菜類でも、よく咀嚼していると結構な味が醸し出されてくるものだ。
人間何事にも、『限界閾』と言うものを心得ておくべきことが、このごろ少し分かってきたような気がするが!!!
スポイルする前に、味付けを変えて痛まないようにしておくとか、料理の他にそういう知識もお母さんから教わっておけばよかったと反省しきりのこの頃です。
そもそも環境が物を食いたくなるところじゃないし。
私は薄味が分からなくなって来ました。大分閾値があがったようです。
日本人の嘘に対する怒りの閾値はどこまであがることやら!
だから良くかめばその点でも味付けは可能なはずです。
おでんとか野菜スープなど次の日のほうがうまかったです。
冷凍食品、レトルト食品、化学食品、マヨネーズ、油まみれのケーキなどを食べたらビックリして吐き出しただろうと思います。
信長は薄味も分かっていて野太い味を好んだのでしょうな。
彼の人の使い方、評価の仕方を伝える面白い話です。
私は冷たくしたトマトにお砂糖をつけて食べたあの味が
忘れられません。
ものすごく美味しくて今迄で一番美味しかったおやつです。
この話を子供にしたら
トマトにお砂糖つける?気持ち悪い・・と言われて
話さなければ良かったと思いました。
今の子には昔の話をしても全く通じないのですから、、、、
我が家は塩でした。本家に行った時そこのお祖母ちゃんが砂糖で食べているのを見て羨ましかったです。
まあ、好みとしては塩なんですけれど。
祖母は、梅干にお砂糖かけてましたー。
私は火鉢で焼いたパンにバターを塗って、お砂糖をまぶすのが大好きなおやつの一つでしたー。
5歳の頃?のクリスマス、マクラもとのプレゼントに砂糖のおひねりがありました。それでも嬉しかった。
30年代に拍手をして迎え入れたテレビに壊されている日本だと痛感します。