思い当たるなあ 藤原智美「暴走老人!」(文藝春秋)
2007年 10月 13日
老人の絶対数の増加をはるかに超えた増加率だ。
穏やかで物分りの良い存在としてイメージされてきた”老人”はここに来て若者よりもキレやすいとさえいえる。
”新老人”の登場だ。
それは例外的な一部の老人の個人的な問題ではなくて社会基盤が激変していることが原因なのではないかと言う。
グーテンベルグにより活版印刷が生まれて500年、今電子化された印刷技術に取って代わられた。
映画が登場して100年、テレビ放送開始から50年、10年前にインタネットが日本で一般化した。
500年の変化が50年で押し寄せている。
新しい技術変化は生活のスタイル、人々の態度や考え方、精神の変化を創りだす。
ケータイを使いこなすことが出来ればいいのではなくて、ケータイ的な空気や精神的態度も身につけなくてはならない。
激変する時代環境では過去の経験則はムダであるばかりか、社会適応への妨げになる。激変は「時間」「空間」「感情」の3つのレベルで起きている。
その現実に目をむけずに、気のもち方や、心のあり方に問題を集約して、けっきょくは個の力量として片づけてしまう態度は、少しも建設的ではないばかりか、的はずれな指摘にすぎない。うすうす感じていたことを要領よく説得的に論じている。
たとえば「顔文字」。
俺は殆ど使わなかった。
ふざけているような感じがする。軽薄じゃないか。
ハートのマークなんていくつ貰っても嬉しくない(カナ?)。
少なくとも真面目なメールには使いたくない。
ところがメール無しには成り立たないような生活に(主体的にか受動的にか)入り込んでみたら、顔文字も必要なことが分かってきた。
このブログでもコメントを書くときに^^。を多用するようになった。
そうしないとジョークとか軽いニュアンスが伝わらない。
これは装飾じゃないのだ。
本気のハートマークもあるってことだ。
表情、音声、身振り手振り、体全体から発する空気、、そういった諸々がコミュニケーションを有効にしていた。
それが失われた、いやむしろ積極的に排除しようとするコミュニケーションの手段がメールだ。
メールがそういう結果をもたらしたというより、そもそも個室で一人でテレビやゲームをして育ってきた若者たちは身体の接触のない、しかも時間と距離を超越して行えるコミュニケーションを選択したのかもしれない。
下手な字で「変しい」と書いたり達筆で「愛しき」と書く、それぞれの味わいは消えて全てハートマークか唇マークになってしまった。
こういう現象を著者は
私には人々が奇妙に静まりかえっているように思われる。人と人のかかわりが、しだいに肉声や表情や身振りや、そして体臭や体感から離れていこうとしているからだろうか。その代替としてネットワークがあり、人と人の関係が見えにくくなっているからか。新老人が暴走するのは、失われつつある私たちの身体性への、ひとつの抵抗なのかもしれない、とも。
私たちは他者にどこかで怯えているかもしれない。自己の身体を覆いかくす防護服を身に纏い暮らしている。それが現代社会の空気を支配している。他者の防護服にふれることは反社会的行為となる。
あっ、そうかこの間オクラホマミキサに若者が参加しなかったのはそういうことだったのかもしれないな。
メールでダンス、ってできないもんな。
オクラハマミキサーは、もう学校でかかっていないのかもしれないですね。「仰げば尊し」や「蛍の光」も今はやらない学校多いと聞きました。踊れ歌えと強制されるのは嫌でしたが、三つとも好きでした。
かつて日本国の首相だった人は「人生いろいろ、人もいろいろ」で、すべてを理解しろと言っていました。「解るヤツだけ解ればいい」ということなんでしょう。
私自身子どもの頃よりいろんなことに神経質になっているように思います。
それは実は結構ストレスを抱え込んでいるのかもしれません。
”癒し”ばかり追求する現代人は疲れている。
それは人との間合いの取り方に気を使いすぎているのかもしれない。それが難しい老人が切れやすくなっているのかも。
家族の間でも。それは老人にはきつい世の中ですね。
最近、船に乗ってる人に手振っても振り返してこないんですよ・・・これに気づいたのが確か7年くらい前(7年を最近というあたりがおばちゃんくさいですな)。そのうち山であっても「こんにちは」とはいわなくなるのでは?まぁ滅多に登らないわけですが・・・山には。
しかし、「新人類」という言葉から約20年、次は「新老人」ですか。
下山した途端にお互いに無視しちゃうんだもの。
もっとも新宿の街中「こんにちは」を言って歩いたらたまらないけれど。
船ねえ、今度気をつけてみましょう。
新人類が新老人になりつつあるみたいです。
つねに新てかっこいいなあ。
そういえば、団塊の世代に強いといわれるメディアの広告を売るという仕事をしてたんですけど、彼らへの禁句は年齢を感じさせる文言。「いつまでも若々しくいたい」「引退」などなど。現役だし若いし、ということで、反応が悪くなるのです。
そういえば、昔、「今の30代は10年前でいえば20代」といわれたことがあった。かわいいーショールを買おうかどうか迷ってたときに、店員に励まされたの。若いに執着するつもりはないつもりなんですけど、その励ましはきいて、まんまとそのショールは買った覚えがあります。
はは、売る側が買わされちゃったんですね。
それによく考えれば、山で「こんちは」は降りる人と登る人がすれ違うときに言うんだった。あー恥ずかしい恥ずかしい。
ボルベール、どうも見損ないそうです。