凄絶な愛 島尾敏雄「死の棘日記」(新潮社)
2007年 08月 26日
敗戦により危うく特攻出撃をまぬかれた島尾は島の小学校教員をしていた大平ミホと恋愛結婚。
新進作家として注目されていた島尾が浮気をしたことからミホは精神に異常をきたす。
この浮気の露見から凄絶な諍いの挙句妻が精神病院に赴くところまでが小説・「死の棘」に描かれているそうだが俺はまだ読んでいない。
この日記は時間的にいうと小説の後、昭和29年9月から30年12月まで、6歳の伸三、4歳のマヤという二人の子供と夫妻の地獄ともいうべき生活が記されている。
昼と夜を問わず夫の不行跡をなじり復習として顛末を何度でも糾明し今も関係が続いているのではないかと疑い挙句の果ては夫を平手打ちや足蹴にさえする。
直ぐに家出をし線路に身を投げそうになるから一時も油断できない。
風呂や買い物に行くのも敏雄が教師をしている定時制高校に行くときも共に歩き誰かに監視してもらう。
敏雄も耐えかねてノイローゼになり首をつろうとして今度はミホに止められる。
そういうことの繰り返しの中で小さな子供たちがなんとも哀れだ。
母が家を飛び出すと血相を変えて追いかけるマヤ。
夫妻の諍いを「カテイノジジョウ」という子供たち、「カテイノジジョウはいやだよ」。
戸の音がすると「オトウサン、オカアサン、どこへ行くの?心配心配。ひとりで出かけてはだめ二人で行くと安心」と伸三がいう。
時折晴れ間がのぞくようにミホが正常になるときがある。
「二度とオカシクならないから許して」といい繕い物や洗濯をするミホのやさしさ。
家を売り生活を立て直そう(女から身を隠すことも)と小岩から佐倉の貸家に転居しミホは慶応病院、国府台病院と入退院を繰り返す。「電気ショック療法」の悲惨。
子供たちを奄美にあるミホの実家に送り敏雄も一緒に病院生活をして「持続睡眠治療」や「冬眠治療」を行うが一進一退、時に穏やかにしているミホにほっとする敏雄に俺も感情移入している。
生活の困窮が絶望感を深める。しかし、
銭湯で女の湯の方から聞こえてくるミホの声をきいていると、ぼくのエゴがたまらなくなり、ミホのバックボーンの強さ。甘えるべからず。ぼくは発作を起こすべきではない。のたうちまわっている二人、しかし、子供たちのためにも生きる為に、敗北せぬためにどんなに苦しくても。小説を書くゆとりが出来ない。
発表した作品の評価が気になる。
現在ただ今の日々の中から作品を生まねばならぬ(そう思うと力が湧く)
荒正人の文芸時評読む。一からげにノイローゼを書くわれらの(日本の)作者たちは「変気」ではないかと書いてあることに反撥を感ずる。何くそと思う。午前中は二枚ほどしか書けぬ。奄美にいる子供の具合が悪いと聞き病院を脱走するミホ。
歩いて奄美に行こうと思ったと泥だらけの姿でいう。
奄美に引揚げミホの伯母の家の温かい献身的な保護でようやく曙光がみえたかというところで終わる。
これでもかこれでもか、と凄絶な闘病と夫婦の葛藤が記される。
暗い、辛い日記だ。
それなのにひきつけられて読んだ。
それは、やはり二人の愛情の深さが一行一行ににじんでいるからだ。
病気ゆえとはいえ、ミホの身勝手と執拗さには辟易する。
それに”反応”しながらも危ういところで立ち止まってお互いに支えあう。
出来上がった作品をミホに読ませ、アドバイスを聞き入れる。
敏雄の忍耐や自制、煩悶、愛情も凄いが何といってもミホの愛の深さだ。
この世の何よりも深く激しく夫を愛し尊敬していたが故に夫の裏切りに精神異常をきたしてしまう。
異常の中でなされる愛情告白の痛切・哀切。
私を愛してくれたのは、両親と主人、そして主人は人間的にも私を理解してくれる世界で唯一人の人と思っています。精神科医にミホが語った言葉だ。
二人ともいわゆる健康な状態とは程遠い生活をしていながらこの日記には妙に力強いものを感じる。
逆説的な健やかさとでも言ったらいいのか、真っ直ぐに立とうとしている健気さを感じる。
40前の敏雄の若さも感じる。
絶望と隣り合わせに生きながらも誠実に芸術を追究し(地獄の中で繰り返す推敲、便所でも文学作品を読む)家庭を支える。
親戚や文学仲間(吉行、奥野、阿川、、)、病院の人々などのやさしさ。
復興期の日本の生活誌でもある。
すき焼きが大好きな一家だ。どんなすき焼きを食べていたんだろう。俺はこの頃すき焼きなんて夢の食べ物だったなあ。
死後18年たって公刊された本書の前書きにミホが書いている。
島尾と私のゆかりを思い偲びます時、過ぎ越し方の事共は胸裏に溢れんばかりに込み上げて参ります。島尾と私は40年以上も、夫婦として共に人生を歩んで参りました。その長い歳月の間には「『死の棘』日記」に書き残されているような、苦難の時代もありましたが、共に堪えて、その後は更なる愛の絆を深めて、寄り添い、助け合い乍ら人生を歩んで参りました。ミホは敏雄亡き後ずっと喪服で暮らし今年3月87歳で亡くなった。
島尾敏雄の特攻作品は、海軍ファンにとっては読み易い世界です。つまりは表面的、観念的にしか読み取れていないのでしょう。
しかし、青年期に死に直面するのと、壮年期に妻子の不幸に直面するのと、どちらが身に応えるか解りませんね。後者の方が辛そうです。
どうせ思い人生を真っ直ぐに見つめて生きているからだと感じました。他の作品も読んでみようと思います。
ミホさんの作品も。島尾特攻隊長のことを書いたものもあるようです。
受け取り方によって違うから保証はできないけれど。