古本屋の恐怖 西武・「古本まつり」
2007年 08月 20日
でもちょっと居心地が悪いところがある。
子供の頃は古本は結核患者が手放したものが多いから感染するかもしれないと脅かされた。
そんな気持ちも少しは意識の底にあるかも知れないが今の居心地の悪さは違う所に起因している。
それは浪費に対する後悔。
経済的な浪費。
「岩波講座 世界歴史」(全30巻)が並んでいる。
月給7万円もなかった頃に毎月千円払い続けて揃えたものの結局全く読まないままに何回もの引越のあげく売ってしまった全集だ。
他にもいろんな全集のことが思い出される。
ある企業の何十年史何十巻、英語の百科事典何十巻、三木清全集、復刻日本名作文学全集、、。
いつか読む!いつかこういう本を使いながら知的な生活をするんだ!
もっともっと世の中に役の立つことをするんだ!
そう思いながらページをくることもなく箱ばかり黄ばんでしまった全集をどのくらい処分したことか!
全集ばかりではない。単行本も読まないままに処分したり読んでも中身をすっかり忘れたものばかりだ。
古本屋に行くとそういう俺の浪費と怠慢の証拠物件が睨んでいるような気がする。
特に今日のようなイベントでは多種多様の本が並んでいるから一入だ。
しかし経済的な浪費は本当は問題じゃない。
もしこれらの本を買わなくてもそれだけ貯金が殖えたわけじゃない。
やりくりした妻が聞いたら怒るだろうが本代は酒に消えるのがオチだったろう。
着たきり雀の妻にバーゲンでブランド服を買って帰ったら別れ話になるほど怒った。
「こんな無駄使いをして私が喜ぶと思われているのが悲しい」と。
子供たちの物を買って帰った時は喜んでいたのに。
そういう妻が本代が浮いたからといって着古したグンゼの下着を買い替えるはずもなかった。
何よりも歳月の浪費!
妻がやりくりして許してくれた書籍代は浪費ではないはずだった。
彼女が作ってくれた料理と同じように俺の血となり肉となっていく筈の本だった。
ああ、それなのに!
「主婦の友」(1954年4月号・別冊付録・春の編み物と手芸)、絵本の数々、「悪法も法なりか 荏原神社奉賛会」、「発掘!あるある大事典」(三冊千円)、全集も一杯、文庫本、新刊に近いような本も、実に多種多様、明治から今までの出版物のオンパレードだ。
俺の人生の矮小をあざ笑うように様々な本が並んでいる。
何ともいえない匂いがする。
今は売れない作家の全集などが二束三文で売られているのをみると辛い。
その作家が競い合い嫉妬しあった作家がやはり薄汚れたカバーをつけて安く売られているのをみるとますます辛い。
古本屋は好きだけれど、、。
古本につけられた値段を見て、切なくなること、あります。
「本当はそんな低い価値じゃないよね?」と、心の中で、その本に話しかけます。
話しかけつつ、狂喜乱舞して買います。
結局、大きな家に住むしかないですね~。
書籍に囲まれる生活は、貴族だけなのでしょう。
最近は、
読みたい本がアマゾンで1円で売られているから、びっくりします。
昨日も一冊注文してしまいました^^
ウォフフレンの「人間を幸福にしない日本というシステム」です。
1994年の古い本ですが、今でも大学のテキストに使われているそうです。
何故か無性に、読みたくなってしまいました。
でも狂喜乱舞して買う人がいるということは救いですね。
今人生の黄昏にきてヤット少しまともに読むようになりました。
ウヲルフレンも前に読みましたが内容は忘れたことが多いです。
古本屋さんは、まだいいです。古本屋の手でよみがえろうとしていますもの。駅で、バッタもののようにして売られている、新古本を見るとせつないです。見た目はビカビカ光っているけれど、作っている人、著者が泣いているように見えます。作らないと出版社は回転しない、そんな風だから安直に作る、で、新古本になる、このシステムが許せませんね。ビジネスになってしまった本作り・・せつないです。
わたしも、読みたかった本が安く売られていると即買ってしまいます。
ステキな奥様だったのですね~ それもいい思い出・・なんですよね。
亭主が恵まれすぎた状態
亭主の本代=夫人の衣装代
民主的で理想的な状態
亭主の本代<夫人の衣装代
亡国に至る状態
いい奥さんでしたねぇ。
仕事は書店で万引き探し、ついでに新刊の新書・文庫を買います。休日は古書店回り。身の回りには常に本があります。本に関する悩みも共通です。
いろんな時代のいろんな職業の人々が立ち上がってくるように感じました。