幻のユートピア”ソ連”の明暗 米原万里「オリガ・モリソヴナの反語法」(集英社文庫)

推定年齢80とも見えるが本人はいつ聞いても50歳だと言い張る。
1920年代のファッション(グレタ・ガルボを大げさにしたような)で身を包んで、強烈な香水の野いをふりまきながら校内を傲然と闊歩する。
生徒がつけたあだ名は、オールド・ファッション。
1960年当時のチエコスロバキアはプラハのソビエト学校のダンス教師。
出来の悪い生徒に対して「驚くべき天才少年!」とダミ声で吠える。
反語法と猛烈な悪罵の使い手、「腐れキンタマ」、「他人の掌中にあるチンポコは太く見える」、、。
生徒たちに圧倒的な人気があった。
オリガ・モリソヴナ。

幻のユートピア”ソ連”の明暗 米原万里「オリガ・モリソヴナの反語法」(集英社文庫)_e0016828_14335839.jpg
彼女が当時の厳しい資格審査をどのようにして潜り抜けて教師になり得たか、シマーチカ(米原万里の分身)たちの謎だった。
この小説はオリガ・モリソヴナの謎を解くミステリである。

日本に戻ったシマーチカは92年ソ連崩壊後のモスクワに行き短い滞在期間にオリガの謎に迫る。
28年ぶりに再会した親友・カーチャとコンビで展開する探偵活動はスピーデイで次々に新しい事実を掘り起こして本を擱かせない。
60年代のプラハの回想で描かれるオルガが活躍するソビエト学校の生徒たちがなんと活き活きしていることか。
そして謎を追っていくうちに明らかになる30年代後半のスターリンによる粛清とラーゲリの悲惨なこと!
この冷酷な嗜虐性は、一体どこから発するのか。いかなる革命的原理に基づいて、これほどサディスティックに人々を虐待するのだろうか。
著者のロシアに対する愛情とそれゆえの糾弾だ。

オリガ・モリソヴナというダンス教師は実在したが物語はフィクションだという。
しかし、実在のオリガなる先生も桁外れのスケールで魅力たっぷりの人だったのだろう。
著者がこれほど生き生きと描いた人物がまったくの想像の産物とは思えない。
ラーゲリを産んだソ連は一方でオリガのような輝く個人を産んだのだ。
巻末の池澤夏樹との対談で
ロストロポーヴィチについて通訳したことが何度かあるんですが、彼が亡命16年目になったころ、殺されてもいいからロシアに帰りたいと言って、コンサートが終わった後、ウォッカをがぶ飲みして泣き出しちゃったんです。ロシアにいる間は才能があるだけでみんなが愛し、支えてくれたけれども、西側に来た途端にものすごい足の引っ張り合いと嫉妬で、自分はこういう世界を知らなかったから、それだけで心がずたずたになっていると言っていました。
と語っている。
(プラハの学校では)歌や絵がうまい子がいると、先生たちが自分のことのように大騒ぎして喜ぶし、生徒も、その子と同じ教室にいて同じ空気が吸えるだけでとても幸せになるんです。(略)(日本では)ペーパーテストでみんな同じ基準で評価をされるでしょう.(略)自分は世の中にたった一人しかいない、かけがえのない人間だという自覚を持たないように持たないように、日本の教育はできているんですよ。
とも。

教育問題をはじめ、所々に懐かしい米原節とでもいうべき辛辣な社会批評が織り込まれる。
日本のバレー界が実力と言うよりは金銭がものをいうと、藻刈富代なる”バレエには全く不向きな股関節の持ち主”で凡庸なバレリーナが彼女の父親が亜紀バレエ団にリハーサルスタジオを寄付したからだ、と書く。
米原自身バレーで生きていこうと考えたこともあったからこの名前は俺のような門外漢にも実在のバレリーナを想起させてちょっと万里さんの執念を感じさせる。

そう、シモネッタの万里さんらしくオリガの悪罵の数々が、何度も登場するのもこれを書いているときに彼女、楽しんでいたんだろうな、と懐かしい気分がした。
Commented by greenagain at 2007-08-18 22:03
ロストロポーヴィチのエピソードが気になりました。
この本は恥ずかしながら読んだことないんで、読んでみます。
Commented by saheizi-inokori at 2007-08-19 07:21
greenagainさん、表題がとっつきにくいけれど内容は例によって米原節で楽しい本です。
Commented by eaglei at 2007-08-19 19:53
米原氏が亡くなった時、新聞各紙の記者がこぞって惜しんでいました。
それほどの方なのかと、不思議でした。
米原氏の本は、書評しか読んでいません。
ちゃんと読んでいないで評論していることがありありで、嫌いです。

毒舌なのは分かりますが、ただそれだけのことかと・・・、
どこに魅力があるのでしょうか?
Commented by saheizi-inokori at 2007-08-19 21:14
eagleiさん、書評も好きですがエッセイもいいです。
毒舌もいいですがユーモアがあります。
視点がはっきりしていて強者のいい加減さ、身勝手さに対しては容赦しないけれど弱い立場の者にはとても優しい見方をするところなども好きですね。
まあ、好き嫌いですから、理屈ぬきに好きな者は好きだし、気に入らない人には気に入らないのでしょうね。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by saheizi-inokori | 2007-08-18 21:44 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(4)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori