難しくなったなあ古川君 古川日出男「ハル、ハル、ハル」(河出書房新社)

「ルート350」「ベルカ、吠えないのか?」で疾走しながら世界を描き出した作家の最近作。
この物語はきみが読んできた全部の物語の続編だ。 ノワールでもいい。家族小説でもいい。ただただ疾走しているロード・ノベルでも。いいか。もしも物語がこの現実ってやつを映し出すとしたら。かりにそうだとしたら。そこには種別(ジャンル)なんてないんだよ。
暴力はそこにある。
家族はそこにいる。
きみは永遠にはそこには停(とど)まれない。
三つの短編の最初の「ハル、ハル、ハル」冒頭の口上だ。

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作家が映し出そうという現実とは世間ではない。
あとがきに作家は”世間との対決姿勢”を意図したと書いている。
”対決”とは?
不条理を剔抉し埋没しないこと?
主人公が不条理と対決していくこと自体が不条理にますます絡め獲られていく。
それぞれの物語をひきづって来た人や物が出合って新しい物語を作り次の物語に引き継がれていく。

主人公の平穏な日常が突然凶悪の色に染められる。
「ハル、ハル、ハル」は親に捨てられた13歳の男の子が8つの弟をどのように愛しどのように別れを告げたか、そして家出を繰り返す16歳の女の子と出会い、41歳の運転手のタクシーをカージャックして犬吠を目指す。
「スローモーション」は日記をつける33歳、身長174センチの女。
動詞で、否定形で、命令形で、、過去形もある日記はダラダラと。
25歳のときに2歳の姪が数分間笑うのと自分の数分間の時間の流れがまるで違うことを発見する。
25×365に閏の6を足して9131、姪は2かける65で730。
姪がキャッキャッと笑う瞬間は姪の人生の730分の1の又何分の1、私の9131分の1よりずっとスローに流れている。
女は預かった姪を誘拐されて新しい物語に突入する。
「8ドッグズ」犬の物語。否、犬に”入られた”男の物語。
房総半島を脱出して都庁の城主の首を取りに行こうとする8犬と俺の物語。

連続しているのは他なのか自分なのか。
とどまることができないということだけが真実なのか。
どの作品にも見られる”反転”、こっちから見るか向こうから見るか。

人がそれぞれ自分の時間・瞬間を生きていくときに、たとえば時間は伸びる。
時間が、ゆったり、動く。
自分が世界の中心になる。

「ルート350」では人間が”関係”の中で生きているということの意味を書いていたと思うが本作では距離と時間がキーワードのようだ。

上の二作でも見られた”生きている言葉”という特徴はますます磨きがかかっている。
その走り続ける言葉に追いすがって意味をたどる間もなく読み終わる。
読み終わって中身を語ろうとしても何にも残っていない。
ジエットコースターに乗ったという感覚はあるのだが、それを説明してみろといわれても、、。
生きている言葉とは感覚なのかも知れない。

正直なところ分からん!
おそらく難しい小説ではないのだ。
書かれているスリル、怒り、慈しみ、、そういったものを只楽しめばいい小説なのかもしれない。
考えてみれば人生とか世界などもそう複雑なものではないのだから。
Commented by 髭彦 at 2007-08-10 11:30 x
昨夜はありがとうございました。

野性味のあふるる鴨も酌み交はす酒、言の葉も一夜(ひとよ)うましも
Commented by saheizi-inokori at 2007-08-13 19:25
髭彦さん、楽しかったです。もう5日もたってしまったのですね。
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by saheizi-inokori | 2007-08-09 23:59 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(2)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori