歳月だけではない稲妻の一瞬でも! 茨木のり子・遺作「歳月」(花神社)

昨年2月に亡くなった茨木のり子は、1975年夫に先立たれてから、40編近い詩を書き溜めながら公表はしなかった。
この詩集をまとめた甥が何故出版しないのかと尋ねたら
一種のラブレターのようなもので、ちょっと照れくさい
と答えたそうだ。
それらの作品は、書斎の中の故人愛用の無印良品のクラフトボックスから出てきた。
その箱には小さく「Y」とだけ書いてあった。
この詩集で思いのたけを詠う亡き夫の名前が安信である。


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”一種のラブレター”どころではない。
25年間一緒に暮らした夫に対する深い愛情、全人的な信頼と尊敬に裏打ちされた愛情の告白だ。
もう得られなくなってしまった肉体の喜びをも切なく歌う。
獣めく夜の相棒が忽然と消えて、私は人間になってしまった、と。

入院の前日、思えば我が家での最後の晩餐になろうとはつゆしらずに、入院準備に気をとられてささやかな夕食だったこと。

ひなびた温泉に旅行した時の夫のうたたね姿。
月の光を浴びて眠ってはいけない、ふいによぎった不吉の言葉にもかかわらず、ゆっくり寝かせてあげたくてそのままにしたときのこと。
あなたの鼻梁、頬、浴衣、素足。
すべて今でも目に浮かぶ。

日常交わしたとりとめもない会話が日々の暮らしのなかでどれほどの輝きと安らぎを帯びていたか、ひとりになってその喪失感にうろたえるのだ。

夫が通いなれた渋谷駅を歩きながら、どの階段もどの通路もあなたの足跡があるのだ、と懐かしむ。
遺された詩人の胸に湧いてくる哀しみの雲烟。

夜の庭で金木犀の匂いに誘われて間違えてこの世の回転扉を押してこちら側にあらわれないか。
そうしたら、隙をみて、やおらあなたの兵児帯をしっかり掴みいっしょにくるりトンボを切って今度こそいっしょに行くのだ。

たったひとりの男を通して、男のやさしさ、こわさ、弱々しさ、強さ、だめさ加減、ずるさ、育ててくれた厳しい先生、かわいい幼児、美しさ、すべてを見せてもらった。
なんと豊かなことだったか。
たくさんの男を知りながらついに一人の異性にさえ逢えない女も多いのに。

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夫が気に入りだったレインコート、襟のあぶらじみ、洗濯屋に出すのがもったいない。
いずれ私がはおってまいりましょう。
忘れものよ、待ったでしょうと。

夫にふさわしい者でありたいとおもいつづけていたが、追いつけぬままに逝ってしまった。
たったひとつの慰めは夫の生きて在る時にその値打ちを知っていたということ。
あなたのもとへ
急がなくてはなりません
あなたのかたわらで眠ること
それがわたくしたちの成就です
辿る目的地のある ありがたさ
ゆっくりと
急いでいます
「急がなくては」という詩だ。

ふたりが生きた25年は短かったか。
けれど
歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの
俺は50歳で逝った妻の葬式で
妻は善く生きた
と言った。ホスピスの神父が「長く生きるということと善く生きることは必ずしも同じことではない」と話してくれたのだ。

俺にはひとつひとつの言葉・情景に思い当たる痛切さがある。
早く夫に死なれた亡母がこの詩集を読んだらどういうだろう。
Commented by sakura at 2007-07-07 23:14 x
私も文才があれば書きたい・・・

長く生きる事が長寿ではない。
たとえ短命に終っても
充実した生を まっとう出来れば
その人は手ごたえのある人生を
生きた分 長寿と言える。(何かに書いてありました。)

奥様はsaheiziさんを愛し
善く生きられ、お幸せだったと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2007-07-07 23:19
sakuraさん、ありがとう。そうです。そういうことを神父は言いました。信者でもないのにその神父様に葬式をしていただきました。禅林寺というところで。そして法事は日蓮宗でやってます。メチャクチャです。
Commented by fuku(ginsuisen) at 2007-07-07 23:44 x
歳月 手に入れられましたか。すごい愛に満ちた本ですよね。
素敵な夫婦。この本を読み、遅いかもしれないけれど、見習いたいと思いました。
Commented by きとら at 2007-07-08 01:14 x
>辿る目的地のある ありがたさ
 
 今際の際に何を思って死んでいくか。
 
 私にもいい想い出のひとつくらいはあります。(笑)
 
 しかしそれまでは齷齪しなければなりません。
Commented by mmiizzz at 2007-07-08 01:49
私は30代で結構な大病をしまして
その病名を告げられたときになぜか
「ここで死んでも悔いはあまり無いなあ」と思いました。
充実した日々だったのでしょうね。
今だと…悔いがあるような気がします。
ちゃんとした毎日を過ごさないとなあと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2007-07-08 08:43
fuku(ginsuisen)さん、三浦安信さんが羨ましいように感じました。でも彼がそれだけ茨木さんを愛していたと言うことでしょうね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-07-08 08:45
きとら さん、ほんとに齷齪、です。茨木さんも齷齪しながら愛を貫いたのかもしれない。
Commented by saheizi-inokori at 2007-07-08 08:46
mmiizzzさん、まだまだですよ。茨木さんはご主人との死別後”急ぐ”と言いながら30年以上も優れた作品を創り続けたのですもの。
Commented by orangepeko at 2007-07-08 10:12 x
saheizi-inokoriさん、こんにちは。
>「長く生きるということと善く生きることは必ずしも同じことではない」…
何となく吉田松陰の「留魂録」を思い出しました…
人生は長い短いではなく四季があり…自分の意志を継いでくれる者が育っていれば…自分の人生は豊作だ…という意味の言葉…
まだ学生の頃に読んだのですが…常に心の中にありました…
ちょっと意味が…違ったかな(^^;
でも何故か久々に…思い出してしまいました~♪
Commented by saheizi-inokori at 2007-07-08 10:22
orangepeko さん、いらっしゃいませ。
5日に書いた松岡正剛のホンに吉田松陰が登場します。
彼もパウロも短い年月で人を育て歴史を変えたとして。
確かに年数だけじゃないですね。
でも忍ぶのが短い方がいいです^^。
Commented by みい at 2007-07-08 11:41 x
>妻は善く生きた
 その言葉が響きました。最期の最期幸せな想いで逝ったのですね。わたしも、善く生きたいです。
「歳月」絶対読みます。
Commented by saheizi-inokori at 2007-07-08 12:30
みいさん、幸せだったかどうか、、こちらがそう思いたがっているだけで本人は悔しかったでしょうね。
是非お読みください。お勧めです。
Commented by suiryutei at 2007-07-08 17:35
こんばんは。
今日の佐平次日記はよかった。皆さんとのコメントのやりとりも。
Commented by antsuan at 2007-07-08 19:21
何時死んでも良いと思っているくせに、じつは妻が幸せだったと思ってくれるかどうか気になって死ぬのが怖いところもあるのです。
Commented by saheizi-inokori at 2007-07-08 19:49
suiryuteiさん、ありがとう。
残された歳月をどう生きるか、ですね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-07-08 19:51
antsuanさん、ブログで拝見する限りantsuanはまだまだ沢山幸せな人生を生きていかれますよ。奥様も幸せ一杯ですよ。長生きしてください。
Commented by 髭彦 at 2007-07-09 19:04 x
亡夫恋ふる三十年を秘めをりて詩人は逝きぬ<歳月>遺し
(亡夫=つま)

佐平次さんはやはりこの詩集にふさわしい、すばらしい読み手でした。
Commented by saheizi-inokori at 2007-07-10 09:02
髭彦さん、素晴らしい詩集のことを教えていただいてありがとうございました。これは寄贈せずに手元にずっと置きたいと思います。
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by saheizi-inokori | 2007-07-07 22:50 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(18)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori