歳月だけではない稲妻の一瞬でも! 茨木のり子・遺作「歳月」(花神社)
2007年 07月 07日
この詩集をまとめた甥が何故出版しないのかと尋ねたら
一種のラブレターのようなもので、ちょっと照れくさいと答えたそうだ。
それらの作品は、書斎の中の故人愛用の無印良品のクラフトボックスから出てきた。
その箱には小さく「Y」とだけ書いてあった。
この詩集で思いのたけを詠う亡き夫の名前が安信である。
”一種のラブレター”どころではない。
25年間一緒に暮らした夫に対する深い愛情、全人的な信頼と尊敬に裏打ちされた愛情の告白だ。
もう得られなくなってしまった肉体の喜びをも切なく歌う。
獣めく夜の相棒が忽然と消えて、私は人間になってしまった、と。
入院の前日、思えば我が家での最後の晩餐になろうとはつゆしらずに、入院準備に気をとられてささやかな夕食だったこと。
ひなびた温泉に旅行した時の夫のうたたね姿。
月の光を浴びて眠ってはいけない、ふいによぎった不吉の言葉にもかかわらず、ゆっくり寝かせてあげたくてそのままにしたときのこと。
あなたの鼻梁、頬、浴衣、素足。
すべて今でも目に浮かぶ。
日常交わしたとりとめもない会話が日々の暮らしのなかでどれほどの輝きと安らぎを帯びていたか、ひとりになってその喪失感にうろたえるのだ。
夫が通いなれた渋谷駅を歩きながら、どの階段もどの通路もあなたの足跡があるのだ、と懐かしむ。
遺された詩人の胸に湧いてくる哀しみの雲烟。
夜の庭で金木犀の匂いに誘われて間違えてこの世の回転扉を押してこちら側にあらわれないか。
そうしたら、隙をみて、やおらあなたの兵児帯をしっかり掴みいっしょにくるりトンボを切って今度こそいっしょに行くのだ。
たったひとりの男を通して、男のやさしさ、こわさ、弱々しさ、強さ、だめさ加減、ずるさ、育ててくれた厳しい先生、かわいい幼児、美しさ、すべてを見せてもらった。
なんと豊かなことだったか。
たくさんの男を知りながらついに一人の異性にさえ逢えない女も多いのに。
夫が気に入りだったレインコート、襟のあぶらじみ、洗濯屋に出すのがもったいない。
いずれ私がはおってまいりましょう。
忘れものよ、待ったでしょうと。
夫にふさわしい者でありたいとおもいつづけていたが、追いつけぬままに逝ってしまった。
たったひとつの慰めは夫の生きて在る時にその値打ちを知っていたということ。
あなたのもとへ「急がなくては」という詩だ。
急がなくてはなりません
あなたのかたわらで眠ること
それがわたくしたちの成就です
辿る目的地のある ありがたさ
ゆっくりと
急いでいます
ふたりが生きた25年は短かったか。
けれど俺は50歳で逝った妻の葬式で
歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの
妻は善く生きたと言った。ホスピスの神父が「長く生きるということと善く生きることは必ずしも同じことではない」と話してくれたのだ。
俺にはひとつひとつの言葉・情景に思い当たる痛切さがある。
早く夫に死なれた亡母がこの詩集を読んだらどういうだろう。
長く生きる事が長寿ではない。
たとえ短命に終っても
充実した生を まっとう出来れば
その人は手ごたえのある人生を
生きた分 長寿と言える。(何かに書いてありました。)
奥様はsaheiziさんを愛し
善く生きられ、お幸せだったと思います。
素敵な夫婦。この本を読み、遅いかもしれないけれど、見習いたいと思いました。
その病名を告げられたときになぜか
「ここで死んでも悔いはあまり無いなあ」と思いました。
充実した日々だったのでしょうね。
今だと…悔いがあるような気がします。
ちゃんとした毎日を過ごさないとなあと思います。
>「長く生きるということと善く生きることは必ずしも同じことではない」…
何となく吉田松陰の「留魂録」を思い出しました…
人生は長い短いではなく四季があり…自分の意志を継いでくれる者が育っていれば…自分の人生は豊作だ…という意味の言葉…
まだ学生の頃に読んだのですが…常に心の中にありました…
ちょっと意味が…違ったかな(^^;
でも何故か久々に…思い出してしまいました~♪
5日に書いた松岡正剛のホンに吉田松陰が登場します。
彼もパウロも短い年月で人を育て歴史を変えたとして。
確かに年数だけじゃないですね。
でも忍ぶのが短い方がいいです^^。
是非お読みください。お勧めです。
今日の佐平次日記はよかった。皆さんとのコメントのやりとりも。
残された歳月をどう生きるか、ですね。