鯉昇、さん喬、喜多八、ゼイタクなひと晩 「第467回 落語研究会」(国立小劇場)

先月になってしまったが30日。
TBS主催で毎月やっている。
会員のアイさんが行けないというので回して頂いた。

三遊亭歌彦・「牛ほめ」
夕方からの雨が上がって涼しくならずに蒸している。
御簾内の細い窓が開いているのでお囃子のいる様子が見える。
暑いらしく扇子を使っているのが見えてしまう。
それはご愛嬌だけれど、高座の最中に仲間同士でしゃべっている様子も。

肝心の落語の方はハッキリした語り口でまずまずの出来。
与太郎がおじさんの新築の家を褒めに行くと言う噺。
親父に口移しで褒め言葉を教わっていくけれど例によって頓珍漢になるお笑い。
おやじの知恵でお小遣い目当てと分かっていても褒められて嫌な気分にはならないという素直なおじさん、いいね。

入船亭扇治・「花筏」
プログラムでこのネタ名を見たとき、これは初めて聴く噺かと思ったけれど、噺が始まったら直ぐに思い出した。
花筏って相撲取りの名前なのだ。
銚子で興行してくれとよばれた大相撲の看板大関・花筏が急病で行けなくなって代わりに見た目瓜二つの提灯屋が大関に成りすまして、病気ゆえ顔見世だけで相撲は弟子たちが取るという約束で行くことになる。
礼金と毎晩の飲み食いに機嫌よく過ごしていると、そんなに元気なら、と地元の力自慢の若者と相撲を取らされる羽目になる。
見た目は強そうだがからっきしの弱虫、下手をすると土俵で壊されちゃうと震え上がる、、。

扇橋の弟子らしく地味な芸だ。
それはいいのだが、、。
二人がお互いに相手が強いと思い込み、恐怖にオノノキ冷や汗を流しつつ仕切りをするところの面白さが今ひとつかな。

滝川鯉昇・「茶の湯」
「はっきりしない気候で、、私もはっきりしない人生を、、」。
例によって気乗りのしない顔のまま自虐ギャグを連発。
俺は「さあ、今から面白いことをいうぞ、ほら面白いだろう」みたいな話し方より「何が面白いんだか分かりやしない」と真面目な顔のままでトンでもないことを言うこの人のギャグが好きなのだ。

始めボソボソ言っているうちに、段々ノッテきて早口になるが表情は変わらない。
ご隠居という素晴らしい境遇。
今の定年退職後の男とはちょいと違う。
「もう仕事は御止しだ、後は息子に譲ってこれからがホントの人生だ」。
落語の世界ではこのご隠居、いろんな噺に活躍する。
なにやら悟りすましたような楽隠居は親しまれながらも知ったかぶりを冷やかされる。
この噺などはその代表。

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隠居になっても特にやることがない旦那、何か高尚なことをやろうと小僧と相談して茶の湯をたしなもうとする。
知らないならしかるべき人に聞けばいいのだが知ったかぶりをして「茶」は「青黄な粉」、それだけでは幾らかき回しても泡が立たないので、当時洗剤として使われていた椋の皮を入れたものだから大変、まずい上に飲んだ後、腹は下りっぱなし、、。

大爆笑の一席だった。
素直なようでなかなか油断ならない小僧とちょっとけちな癖に見栄っ張りな隠居のやりとりが命。

柳家さん喬・「水屋の富」
江戸は水道が発達していた。井戸の形をしていても神田上水などから引いた管の上に作られていたという。
そういう水道が引けないところには毎日水屋がやってきた。
毎日使うものを高くは売れない。
労多くして稼ぎは少ない商い、しかも勝手に休んだり廃業も許されなかった。
そんな水屋が富くじで千両当てた。
千両当てても、二ヶ月待て、今すぐ持ち帰りたいなら手数料を差し引かれ八百両しかやれないというのをそれでいいからと持って帰るのは落語の富くじ噺(「宿屋の富」「御慶」「富久」)ではお定まり。

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有頂天になったは良いがなんてたってそれほどの金、どうしていいか思案がつかない。
後任が見つかるまでは休まずに商売を続けなければならない。
銀行なんてないから現金の隠し場所が難しい。
戸棚のボロかご、神棚、いろいろ考えるがどうも見つかりそうだ。
思案の果てに畳を上げて床下に隠して一安心。
ところが毎晩、ウトウトすると強盗が来て金を取られる夢を見る。
夜毎違う手口、首を締め、出刃で突き、鉞で、、。
朝は又水を売りに行く。
ふらふらになって家に帰り床下に千両あるのを確かめちゃあ「これさえあれば、、」と喜ぶのも束の間又もや悪夢に眠りを妨げられる。
ある日帰ってみると見事盗まれている。

「ああ、これで苦労がなくなった」と泣き笑い。

気の利いた短編小説を読むような噺だ。
当たりっこないと思いながらも当たり番号と自分の札の番号を確かめながら当たっていることを確信するに至るところ。
隠し場所の思案。
悪夢の場面。
落語というよりも新劇の一人芝居とでも言うようなメリハリ。
分不相応な幸運にかえって苦しんでしまう片隅の男の哀れを熱演した。

柳家喜多八・「付き馬」
志ん生、志ん朝親子の十八番。
付き馬とは吉原で遊んで支払いが出来ないときに家まで付いていって金を取り立てる男。
枕でそのあたりをさりげなく説明して本題に入っていく。

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ひと晩どんちゃん遊びをして勘定となって付き馬を連れて悠々と店を出る。
居残り佐平次の向こうを張るような口からでまかせ、銭湯に入り、湯上りには湯豆腐迎え酒、全て付き馬に払わせて吉原から仲見世を抜けて田原町までやってくる。
その間の二人のやりとり、というより殆ど男の軽口の連続が聴かせどころ。
”しゃべれどもしゃべれども”付き馬はノッテ来ない(はずだよね)。
このあたりは喜多八の付き馬だ。

田原町にあったのは早桶屋。
早桶屋が「俺のオジサンだから頼んでお金を作ってもらう。ちょっと待っててくれ」、男は大きな声で「オジサーン」、店のオヤジはオバサンじゃないから頷くさ。
付き馬の聞こえない声で、付き馬を指して「あの男の兄が夕べ死んだので早桶を作ってくれ。大男が腫れの病で死んだから出来合いじゃなくて特注で大きなのをこさえてくれ」と。
「こさえてくれ」を大きな声でやる。
「こさえてくれる!有難う。じゃ出来たらこいつに渡してくれ」と男は消えてしまう。
そこからの早桶屋のオヤジと付き馬のやりとりがなんとも可笑しいのだ。

「大変だったね、それで長かったのかい」
「いいや、昨夜一晩で」
「ゆうべが通夜かい」
「へえ、芸者衆が入りまして」
「へーえ、そんな陽気な通夜なら、仏さまァ喜んだろう」
「ええもう、ばかなお喜びようで」
、、
「どうやって持っていきなさる」
「へえ、紙入れに入れまして」
「おまえさん、しっかりしなさいよ」
いよいよ出来上がってきた早桶をみて付き馬が「大きいなあ」と驚くところが哀れ(その先を知ってる俺たちからみると)で滑稽でこの噺のまとめのように良かった。

5人を堪能して外に出るとまだ雨、すきっ腹を抱えて家に帰ったが不満はなかった。
Commented by sakura at 2007-06-08 11:00 x
へぇ~~~saheiziさん すきっ腹を抱えて家に帰られる事も
あるんですね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-06-08 11:12
そんなに感心しないでくださいよ。立ち食い蕎麦もなかったんですから。コンビニ弁当です。
Commented by 高麗山 at 2007-06-08 11:43 x
感動したり、落胆したら先ずは、”チョット一杯”のはずですが、相当”考えるところ”がおありでしたのですか?  それとも、自重ですか?
Commented by saheizi-inokori at 2007-06-08 13:12
自重しました。乾燥しようと肝臓を。
Commented by fuku(ginsuisen) at 2007-06-08 21:28 x
いいものを見たり、聞いたりすると、ゴチソウサマという気分になるの、よくわかりますー。そんなときは、家に帰ったとたんに、おなかがグーとなりますね。白ごはんの冷凍の用意を是非!
Commented by saheizi-inokori at 2007-06-09 00:52
そうだ、いい物があったんだ。ご飯炊かなきゃ^^。
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by saheizi-inokori | 2007-06-07 22:40 | 落語・寄席 | Trackback | Comments(6)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori