浄瑠璃で踊りだすてんとう虫 奈良紀行(4)
2007年 05月 30日
sarasayajpさんのブログ「イランという国で」の受け売りだ。
”悪の枢軸国”・イランの人々の暮らしや自然・文化がリアルタイムに淡々と描かれていて面白い。
ところで、なんでてんとう虫が靴作りなんだ?
俺はピンときたね。
あの様子だよ。背中を丸めて下を向いて何かごそごそやってる。
そっくりじゃないか!
てんとう虫は何でてんとう虫、天道虫なのか?
お日様がキラキラ照っているときに羽を広げてお日様の方に向かって飛んでいく。
天の道を飛んでいく。
だからじゃないかな。
興福寺、岩船寺、浄瑠璃寺、法隆寺、中宮寺、法輪寺、法起寺、新薬師寺。
沢山のお寺を回ってたくさんの仏様たちを拝んできた。
どの仏さまと言えないほどどなたも素晴らしいお顔で
あるいは座りあるいは立っていた。
今、こうして思い出すだけでホッとするようだ。
我が身の回りだけをみても病める者、不当な差別にあって望みを失いつつある者、ひどい苛めにあって苦しんでいる者、大切な人をなくして悲しんでいる者、自信をなくしてしまった者、、
沢山の苦しみ嘆いている者がいる。
今幸福の絶頂にいる者もいつ生まれて来たことを呪いたくなるような日を迎えないとも限らない。
それは今、とくにひどいかと言えばそうではない。
中世の日本では人攫いが横行し、親子離散、飢えや病で死ななければ戦で殺された。
そのような人々の苦しみを見守り、救いを求められて立ち続け座り続けてきた仏たち。
1000年にも及ぶ長い年月、天災や戦火に耐え、きらびやかな装いが剥げ落ち残ったお姿に何ともいえない優しさと悲しさをも感じるのは観る俺の気持ちの反響か。
この方々をお守りしてきた何万人もの人々の気持ちの凄さ・強さ・ひたむきさを思う。
仏さまたちからみたら俺などはてんとう虫みたいなものかもしれない。
猫背だし。
妙に派手な服を着てみたり。
そしていつもなんかごそごそやっている。
何度も太陽に向かって飛び立っては力尽きる。
仏さまからみたら、動いているとも思えないかも知れない。
でも、誰かがきっと見ていてくれると思うから飛び立ったのかもしれない。
俺自身の気持ちで、自分の力で、と思っていたけれど、そうではなかったのかもしれない。
九体仏のところでチラッとそんなことを考えたら
セータカ童子がニヤッと笑いやがった。
写真・中は浄瑠璃寺・三重塔。
下は同じく、制咤迦(せいたか)童子。
そういえば、海外の童話に靴屋の仕事を手伝った小人のお話がありますが、何か関係があるのかも。
神の使い、としている国もあるとか。
>制咤迦(せいたか)童子<
って、いうんですね。いいお顔していますねー。
ということは、「こんがら童子」というのも、ほんとうにそういうお名前なのでしょうか。
行って見たいですー。
解説書だからしゃ~ない、とはいえ、損ですね~。
一行も読んでませんから、内容は知りません。
ほんとにお寺にも仏像の写真などが売っているのですが、別人28号に見えました。
逆にうまい人が撮ると本物よりもある部分を強調するから違った仏さまにみえることもありますね。
たくさんのお寺を回られて仏さまと語らったsaheiziさんの感想がよかったです。
このせいたか童子、どなたの制作なのか、素晴らしいです。
浄瑠璃寺のことも記憶から抜けてしまいました。
もうお疲れは取れましたか?
たまたま散歩好きさんのところで浄瑠璃寺紀行のことを読んで自分の記事を読み直していたら、失礼したままなことに気がつきました。
たった8年前ですが、若かったなあ、とほろ苦い思いで読み返しました。