期待通り!面白そうだ 鳥居民「昭和二十年」(草思社)
2007年 05月 22日
1985年刊行以来今までに出ている11巻までがAMAZONの古本で揃うので買ってしまった。
ようやく今日読み始めた。
昭和20年の1月1日から毎日を膨大な資料に当たって詳述していく。
第一部=1に挟んであった「著者の言葉」から。
なぜ、「昭和二十年」を書こうと考えたのか。多くの人びとが命を奪われ、多くの人びとが自らの命を断った年である。親は子に先立たれ、妻は夫を奪われ、子は親を失い、親と子が死んだ年である。11巻は6月9日から13日までのこと。今、12巻を執筆中で全部で30巻とか40巻とかになるという噂もある。
そのような年は他にはない。その年はどういう年だったかを探ろうとした。
1巻は1月1日から2月10日まで、「重臣たちの動き」と副題がついている。
今日はその1月1日のところだけを読んだ。
既に首相は辞めているが依然として現役政治家としての影響力をもっている近衛文麿のことが書いてある。
この日、近衛はいつも連れて歩く名流婦人たちとともに熱海にやってきて外務大臣の重光葵と会う。重光が中山製鋼所社長の別荘・大観荘を静養のために借りていたのだ。
女たちを庭に出して近衛は重光に戦争終結について説いた。
重光の秘書官・加瀬俊一も同席している。
この場面から著者は近衛のエピソードをいくつか紹介する。
王朝以来の最高貴族の血を引くものとして若い頃から聡明さを認められ次代のリーダーと嘱望されてきたこと。
反対派の者ですら近づけばその魅力に捕らえられてしまうほどのカリスマ性をもっていた上に野心に満ちた男。
それまで公卿政治家の代表として内閣の後見人を勤めてきた西園寺公望のやり方を「漫然たる国際協調主義」と非難し、自分こそ相対立する革新勢力と現状維持の勢力を手中に捉え、陸軍を囲いの中に入れ、国家と国民の活力を組織化し、日本の威信と影響力を拡大することが出来ると信じていた。
周囲もそういう期待をしていた。
ところが、近衛が首相となってから、やろうとしたことはすべてうまくいかなかった。(略)最初の一年七ヶ月の首相のあいだ、かれは中国で起きた戦いを抑えることに失敗した。次の首相であった一年三ヵ月のあいだ、かれはアメリカとの戦いを阻止することができなかった。昭和12年盧溝橋事件の収束をめぐって当初、早期和平の意向だった近衛は参謀本部の強い和平交渉続行の意見に対して交渉打ち切りを主張する政府の意見を採択し、有名な「爾後国民政府を相手とせず」の声明を発表する。
昭和16年には対米開戦前夜の9月、アメリカとの交渉を継続して開戦回避すべきときに、近衛は右翼の頭領・頭山満に対して「10月一杯に準備完了、11月初旬に開戦します」と断言している。
盧溝橋のときは右翼に近衛の”私行上の弱点を天下に暴露する”と脅され、対米開戦のときは直前の平沼騏一郎狙撃と児玉誉士夫による近衛暗殺計画の噂に脅かされて「馬を殺して狼に与える」という近衛の性格によるものだった。
あとになって近衛は、「『統帥権の外にある首相』はなにもできはしなかったのだ」と述べ「すべては陸軍部内に潜んでいる共産主義者の一団の陰謀だったのだ」と弁解につとめた。
血筋というもの、秀才ということ、輿望・人気とは何か?
その参考事例としては代償が大きすぎたね。
写真・中は「荏原神社」で。ちゃんと竿に釣り糸がついている。
下は銀座「銀座六景」、東京駅の「黒塀横丁」にある、おでん、串揚げ、焼き鳥、家庭料理、などの店を中心に大きなバー、鉄板焼き、カラオケなどがフードコートのようにワンフロアにまとまっている。プランタンの裏。
名言格言ことわざそして感動重光葵(まもる)の名言NHKその時歴史が動いたより国連加盟受諾の演説で日本はある意味において「東西の架け橋」になり得ると思っています。上記演説のときの心境をうたった句霧は晴れ 国連の塔は輝きて 高くかかげし 日の丸の旗<コメント>当時の国際情勢は米ソ冷戦の中で、よくソ連を説得した(日本が、国連に加盟するのを)ものだと感心しています。日本の歴史から見て、語りつがれる名言だと思います。重光 葵(しげみつ まもる、1887年7月29日 - 19...... more
場所を間違えちゃったかと思いました。
明るくて良い感じですね~。
黒塀横丁、最近行きました。
中華のお店に入ったのですが、予想以上に美味しくてびっくりしました。
いとこは「勝○」と「和○」の兄妹です。
確か二人とも昭和20年生まれ。とってもわかりやすい・・・。
私も昨日、同じ壁紙(スキンと言うのでしょうか)の同じ色に変えたのです。
赤と黄色も気に入ったので、ずいぶん悩んでからグリーンに決めたのですが、saheiziさまと同じものを選んだことが(感性が少しでも似ているのかと思うと)、とても嬉しいです!
もちろん、足元にも及ばないことは重々承知していますが(^^)
それとも、行き着くところまで行かないとあの戦争は終わらせる事が出来なかったのでしょうか。
本当に、大きすぎる代償です。
つまりこの人の欠点、な~んて、生意気な感想を持ったのは随分前ですね~。
並木道、とってもいいです。部屋替え、何回目ですか?
このスキンは写真のスペースが広いように感じます。
部屋替えは色はときどき変えましたが造作まで変えたのは二度目です。スペースが狭かったり字が小さかったりで合うのがなかったのです。
大観荘って、やっぱりそういう方がお泊りになるところだったのですね、なるほど~。堀田善衛さんの「若き詩人たちの肖像」の中にも近衛さんのこと書いてあったような。
東京は暑いくらいですよ。讃岐はもっとかな。
兵どもの夢の跡でカラオケをしました。
近衛文麿等の話をちょっと聞きかじっただけですが、この本はきっと読み応えがあるでしょう。紹介の内容だけでもわかったので嬉しいです。
金持ちのアッコちゃんもいるし家みたいな貧乏な家もある、と当然のことのように捉えます。
修学旅行にいけないとか進学できないという事態になってようやく貧しいということの切なさが分かります。親の切なさも察せられるようになります。
この本、面白そうです。