恐ろしいカラシニコフを造った優しい親父 そいつと仲良くなった松本仁一

松本仁一が書いた「カラシニコフ」については前に書いた。
実は彼と俺は高校の同期生なのだ。
彼が今度「日本記者クラブ賞」を受賞したので高校の同級生がお祝いの会を開くことになって同”級”じゃないけれど俺もよんでくれた。
なに、松本を肴にして久しぶりに一杯やろうという魂胆。
上野の韓国料理が軒を連ねる中でややこじゃれた店・「満奈多」の2階に20人弱が長細く座る。
6時からというから5分前に行ったらもう殆ど集まっていい機嫌になっていた。
こういうときに俺達も第一線から退いたんだということを改めて感じる。

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ボーン上田賞とかエッセイストナントカ賞にカントカ賞に新聞記者(朝日)が貰えそうな大きな賞は総なめだ。
それでも遠慮のない仲間たちから「おう、おめでとう」とか「大したもんだな」などと声をかけられて満更じゃなさそう。
いや、随分嬉しそうだった。

マッコリをぐびぐび飲みながらマスコミのだらしなさなどをあげつらって騒ぐ。
最後には結局全員が一言づつ立って何かを喋ったが、多くが朝日新聞のダラシナサ、堕落とお対にして松本を褒めていた。
故郷の友が名をあげたことを素直に喜んでいる気配が快い。

俺はインタネットを使って見て来た風なシャラクサイ記事を書く記者が多い中で、松本がキチンと現地に行き、実際に会うべき人にあって書く、という記者として当然のことをして賞をとったことがいかにも質実剛健を旨とした我が高校の卒業生らしくて嬉しい、というようなちょっとアナクロなことを言った。
栗林中将も我が先輩なのでやや復古調になっていたのかも知れんノウ。

松本が再び立って、カラシニコフを設計したカラシニコフに会ったときのことを披露した。
アフリカで取材していて、カラシニコフが生きている、と聞いて、こりゃどうしても会わなくちゃならねえと思ったんだ。、、
会ってみて俺は銃のことを何にもシラネエってことに気がついた。
スライドとか、もちろん通訳はつくんだけど、いろいろ言われてもなんだかわかんねえんだ。
今までいっぺえ(長野の方言・一杯)インタビューに来てそういう人タチャみんな銃のことなんかもよく知ってるし聞くことも、ホレ「あんたの創った銃で世界中の多くの人が殺されていることをどう思うか」とかサ、おっさんもウンザリしてるわけだ。
そういうことは殆ど俺は聞かなかった。
一体どういう人なんだろうって、そればっかりさ。
それにしても銃のことをなんもシラネエってのはまずい。
それで出直してくることにしてその時は直ぐ帰った。(けえった、と発音)。

それから勉強して又会った。普通は自分の家で会うなんてないのにド云うわけか家に行った。
マダなかなか調子に乗らないときに、ふと見ると彼の左手の人差し指のところに傷跡があるんだ。ピンときて「これは鎌で切ったんじゃないか?麦刈り?」と聞いたら「そうだ、よく分かったなあ」って、もちろん通訳が言うんだけど(いちいち言わなくても分かってるのに)。実は俺も小さいときにしょっちゅうやらされて矢張り同じ傷を負ったことがあるんだ。

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それからかな、すっかり打ち解けて、今年88だったか、彼の誕生日にも家に招待してくれたり、、、。俺はジジイ殺しみたいなとこがあるんかな、可愛がってくれるんだよ。
カラシニコフはソ連の陸軍中将にまでなって、今は民間会社でライフルなどの開発に携わっているそうだが月収は800ドル程度だとWikipediaには載っている。

松本に「おっさんは一人の人間として日本の若者?と話しができて嬉しかったんだろう」と言ったら、松本も嬉しそうな顔をしてうなづいた。

写真はDOCOMOの反撃、凄まじいポスター攻撃の中でソフトバンクが一枚だけ残っていた。
Tracked from 墓の中からコンニチワ at 2007-05-16 16:01
タイトル : 「危機」への備え
筑紫哲也の休業宣言に対し、「もう71才なんだから引退すべきだ」という声が高まっている。「71才引退」というコンセンサスが形成されそうな勢いだ。あと3週間足らずで71才になる私としては、正直、不愉快である。 筑紫なら並のサラリーマン卒業生よりは多額の蓄えを持っているだろうが天下りを繰り返してきた高級官僚OBほどではあるまい。病気はガンだそうだから、ガン保険に入っていても相当な額が医療費に消えていく。その上ガンが完治すると何才まで生きるかわからない。 地方公務員だった義弟の一人は定年退職後に食道ガンを...... more
Commented by 高麗山 at 2007-05-16 01:25 x
伊那の出身で、年齢にも相当開きがありますが、本多勝一さんとか、朝日出身のジャーナリストが、信州には多くおられるのですね。若い頃は、本多さんの記事に憧れて随分読み漁りました。  AK47カラシニコフも読んでみます。
Commented by 近所 at 2007-05-16 08:40 x
久しぶりに聞いた“カラシニコフ”!!はじめて聞いたのはオウム真理教事件の時。教団で使っていたという元やくざの信者が、テレビインタビューで、「カラシニコフ? おでんだか、“からし”だか、知りませんが・・・」ととぼけていたのが記憶に残ってます。
Commented by YUKI-arch at 2007-05-16 09:46 x
個人の名前がかぶせられた武器としても有名ですが、
際立った個性が産みだした優位性に
カラシニコフの特徴がありそうです。
ソ連邦がなぜカラシニコフを生み出せたのか、
ひとつの謎ですね。
Commented by knaito57 at 2007-05-16 10:25
銃器マニアじゃないけれど「カラシニコフ」には独特の響きと一種の懐かしさを覚えます。濫読した冒険小説で随分とお馴染みでしたから。で、新聞連載中はよく読んで、着眼と取材力に感心していました。同郷・同期なんですかあ。saheiziさんのバックボーンをかいま見た気がします。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-16 10:48
高麗山さん、松本は稲荷山というところの出身、姨捨の近くです。
カラシニコフは第二部も出ています。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-16 10:49
近所さん、我々も「ワサビニトーフ」などと親爺ギャクでした^^。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-16 10:51
YUKI-arch さん、そのあたりも「カラシニコフ」には少し書いてあったような気がします。肝心の本を人に寄贈してしまったのでチエックできないのです。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-16 10:54
knaito57さん、不肖の友人ですよ^^。
冒険小説、私も昔はよく読みました。小説の中だと殺人も痛くもかゆくないですね。
Commented by 髭彦 at 2007-05-16 23:52 x
「満奈多」は<わぎもこ>が好きで何回か行ったことがあります。
2階があるんですか。
先日、キースジャレット・トリオを文化会館で聴いたあと、<わぎもこ>が
「満奈多」というのを渋って、近くのもっとコジャレていないディープな「板門店」で食事をしてきました。
ご存知ですか?
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-17 19:40
髭彦 さん、いや知りません。あのあたりは津軽料理の店は一度行きましたが韓国は初めてでした。
デイープね、そそられます。
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by saheizi-inokori | 2007-05-15 23:40 | よしなしごと | Trackback(1) | Comments(10)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori