なるほど、これも曼荼羅 「レオナルド・ダ・ヴインチー天才の実像」東京国立博物館
2007年 05月 12日
まず本館で「受胎告知」を観た。
「空気遠近法」という遠くの背景をあたかも墨絵のように描く技法が面白い。
人と人の間の親疎をこの技法で描くと面白いだろうな。人と限らず事物との関わりをこんな風に描いていくと俺の世界が描けるんかなあ、なんてレオナルド様の前で詰まらんことを考える。
第2会場は6つの部屋にわかれている。
「ダヴィンチの生涯」。
「《受胎告知》ー思索の原点」。
「レオナルドの書斎」。
自ら考案したコンパスなどの文房具、鏡文字の手稿など。
「”かたち”のとらえ方」。
人体を構成する幾何学的原理、この世に存在する「かたち」の相互関係とその変形および受容のありかた。
スフォルツア騎馬像という7メートルものブロンズを作るための17年に及ぶ準備・構想が展示されていて前足だけの模型の大きさは迫力がある。馬の身体の成り立ちの分析から製作するための装置まで全てを完璧に準備したのにミラノがフランスとの戦いに敗れ、哀れ試作品はフランス軍の銃撃訓練の標的になってしまった。
ついで「万物の”運動”」。
自然界に存在する4つの力と元素、落下の速度や衝撃の強さ、音の強弱などを「運動」としてとらえそれらの関係を分析する。
永久機関を作ろうとして装置を作るが終にはそのことが幻想であることを知る。
人間の動きについても解剖などを重ねて分析は続く。
特に感情をも精神の動きとして捉えようとする。
「人力飛行機」の模型がロビーに展示されていた。鳥の羽の構造、飛ぶために必要な力を支え・生み出すために創り上げた仕組みは美しい。
どの思索にも見られるのだが、徹底的・綿密周到な観察、実験の繰り返しがなされている。
動きの調和がやがて壊れて(消耗して)いくことをも見逃さないが、それは100歳の老人の解剖で明らかにした血管と若者のそれとの違い、直として流れる川がやがて蛇行して侵食されていく自然界のありようなどの観察に裏付けられる。
心の動きが感情となりそれが手足の動きとなって表れる。
その観察の最終表現・報告が「最後の晩餐」である。
「人物画ではそれぞれの人の心の動きにぴったりの動作が表されていなければならない」というレオナルドの考えが実行されている。
12人の使徒が、イエスの「この中に裏切り者がいる」という衝撃発言を受けて驚き、疑い、悲しみ、戸惑い、怒り、、それぞれの性格にあった感情を表現している。
そのことを大きな映像で分析解説し、さらに「感情の劇場」というビデオがさまざまな感情が顔や手足の動きにどのように表れるかを男優を使ってシミュレーションしている。
「心の内にあることを手や足を使って表現しない人物画は死んだも同然だ」と多分レオナルドの言葉。
「笑うことと泣くことの唯一の違いは眉毛の位置」といってそれを実演する。
俺のような絵画の門外漢にも面白い展示だった。
最後の部屋は「絵画への結実」。
レオナルドの思索・探求・世界把握の頂点・結実が絵画だ。
彼はあらゆる学術の中で絵画を最上位に置いた。
目のものを見る仕組みを装置化したり画法の創出などが展示されている。
前に「曼荼羅の世界」という展覧会を観たのを思い出した。
いわば今日観た展覧会はレオナルドの描いた曼荼羅なのかも知れない。
その輪郭を垣間見たような気がした。
観損じたビデオなどもあるので期間中に又行ってみよう(なんせ無料だし)。
私も、そろそろと思っているんですが、なかなか時間がとれなくて。
いや、飲んだり食べたりする時間はあるんですが(^^;)
発明家、なんでも屋としてのダビンチが好きなんです。
尽きない好奇心と想像力、それを実体化させようと試行錯誤を繰り返す忍耐力と実験能力に敬服します。
そして、もっと好きなのは、それをアピールして広告していることなんですよ。
人間らしくて可愛い。
オツに澄ました天才とはちょっと違うんです。
あ~今月中に行かなくちゃ!
ブルーの家に住むかな。
午前中か早い昼に行かれるといいと思います。