ウエブは人間を変えるか? 梅田望夫・平野啓一郎「ウエブ人間論」(新潮選書)

「ウエブ進化論」でロング・テール現象などウエブが切り開く新しい社会を語った梅田望夫と、「日蝕」で芥川賞を受賞した平野啓一郎が「ウエブ進化が人間にどのような変化をもたらすのか」を熱っぽく語りあった。

インタネットが世の中に普及し始めたのが95年頃、今10年経過していよいよウエブ2.0と言われる新しい局面を迎えようとしている。
それは、単に利便性が向上するということだけではなく、人間の生き方をも変えていく可能性があると梅田は言う。
そしてその内容は未知なのだと。
10年前にgoogleが”検索”を全ての中核に据えたシステムを創りだしたときにそのことの重要性が殆どの人には理解されていなかったように、これから提起されるサービスがどんな意味を持っているか、それに人間がどのように自覚的に対処していけるかは未知なのだ。

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梅田、60年生まれ、平野、75年生まれ。
それぞれ、人生の重要な時期にITとめぐり合い今やネットが無ければ生きていけないような生活だと言いながらもネットの可能性、弊害などに対する考え方はかなり異なる。
平野の方がネットを利用する「個人」が社会に対してどう責任を果たしていけるか、という視点が強いようだ。
ブログに夢中になることで社会的な責任を果たすことから逃げているのではないか(特に匿名性によりかかって)とか、ネットの中でエスタブリッシュメントの悪口を言うことが(それ自体無意味ではないとしながらも)リアルな世界で有効な力とはなりえず結果的にむしろ社会の安定にサブシステムとして寄与しているのではないかと問題提起をする。

梅田はITによる大きな社会変化は不可避である以上、個人はその変化に如何に対応して”サバイバル”していくべきか、と言う視点で考える。
悪意の中傷などの、匿名ブログの弊害などについてもいづれはそれを”無視する”という対処術が人々に備わることにより解決していくと見る。

人間は自分で周りを選ぶこと無しに与えられた環境に生まれてくる。
その後の人生においても必ずしも思うような環境に身をおくことが出来なかったと感じている人が多い。
そういう人々にとってウエブの世界で世界中の人と瞬時に殆どコストゼロでつながることが出来るということはウエブ以前には考えられない出来事だと梅田はいう。
望む環境を選んでそこに”住む”ことができると。

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俺もブログ暦まもなく2年。
つくづく感じることは「いくら匿名にし別人28号を装っても毎日記事を書き多くの人とコメントや記事でつながっていると、結局生の自分を偽ることは出来ない」ということ。
別人になるということはリアルな世界の自分の、いわば”余計な”属性を剥ぎとって本音の自分を自ら探っているような気分もある。
そして梅田が本書の中で言っているように「自分が成長していく」ことを感じるのだ。
それは、「今までリアルな世界では思っていても発言する相手がいなかったり、機会が無かったことでも発言できること」、「その発言を書き込む行為自体が拙い考えをわずかでも整理された考えにしてくれること」、「その考えに対してブログの世界の人からさまざまな反応を得ることで再び自分の考え方が変化していくこと」、、などだ。
ブログを始める時は今まで忙しく夢中でやってきた仕事を辞めて何もしないでいるのは淋しいから手遊びに、くらいな軽い気持ちだった。
それが今のところはブログ無しの毎日は考えられないくらいだ。

確かに「”検索”出来る」ということは異質の世界の結び目を瞬時に目の前に提示してくれることだ。
言葉の検索、意味の検索、人々の検索、出来事の検索、、検索して俺は新しい知に出会う。
その速度と広がりはウエブ以前には想像も出来ない。
将棋の羽生が「情報の量が質に転化する」といい「これだけインプットの質がよくなったんだから、これからもっと頭がよくなっていく」と思うようになったと梅田に語ったそうだ。
俺も羽生にはかなわないけれど少なくともアホになる速度を遅くすることは出来そうだ。
ブログの仲間から教えていただいたことの量と質の素晴らしさ!

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AMAZONが本のダウンロードサービスを始めたことなどを平野は「紙を使った本」の存在意義が無くなるのではないか、と危惧するのに対し梅田は、音楽とは違って「紙」には付加価値があるから本が不要にはならないだろうという。
俺もどんなに読みやすく工夫されても紙の本は買い続けるだろうな。

対談集にありがちな「そうだそうだ」の合唱ではなく、特に平野がねちっこく疑問を糺して行くのと、二人の気質・関心が異なっていることがこの本を面白くしている。

写真は横浜・国際仮装行列で。
Commented by namiheiii at 2007-05-03 23:38
ホームページを始めて9年近くになります。時々なんでこんな事を続けているのかなと思うことがあります。でも止めようのは思わない。
この感想文を読んでいろいろ思い当たる事がありました。この本は一読の価値がありそうですね。
Commented by tenjin95 at 2007-05-04 07:08 x
> 管理人様

拙僧も、ブログ歴丸2年を過ぎましたが、する前までには想像も付かなかったような本を読むようになっています。たまに、書くネタがなかったり、或いはありすぎて困ったり、しかし段段と後者が強くなってきました。インプットとアウトプットのバランスが取れるときと、取れないときがあるのでしょう。
Commented by mitsuki at 2007-05-04 07:09 x
本がすべてケータイでダウンロード出来る時代になったら、紙の本は昔の「巻物」と同じような感覚になっちゃうんでしょうか。
新聞は一面と三面という風にニュースバリューが一目同然ですが、ネットでは並列表記なので事件の社会的な重要度が分かりづらく、新聞の方が俯瞰で全体を見渡す事が出来る。と書いていたのは確か姜尚中だったと思います。
本にワード検索機能が付いていたら、どこに何が書いてあったか探す手間が省けて便利ですよね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-04 08:29
namiheiiiさん、9年ですか、大先輩ですね。しかもHP。
きっとウエブ進化を身をもってご覧になってきたのでしょうね。
怠け者の私は少し強制されることが必要なのでブログ更新はいい刺激になっています。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-04 08:34
tenjin95 さん、そちらのブログは本当に間口が広いので驚嘆します。
私も書く材料が多いときと何も無くて困るときがあります。
それは材料の多寡ではなくて書こうとする自分自身の気分の問題だと思います。同じ材料でも無性に書きたい日と、なんだかつまらなくて書く気になれない日があるのです。つまらないと思っていても書き始めると面白くなることもあるしその逆の日もあり、でなかなか書くということは不思議な営為だと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-04 08:40
mitsuki さん、昔電子手帳を買ってみて一覧性が無いので普通のメモ帳に戻りました。
ウエブで索引を引くようにして作品に辿り着き、改めて本を買う人が増えるのではないかと梅田は平野の危惧に答えています。
確かに昔だと到底知ることの無かった作家や作品をウエブの世界で簡単に教えてもらえる(人や検索機能により)ことは有難いです。
本とウエブが互いの機能を活かして共存することが一番望ましいですね。
Commented by sakura at 2007-05-04 10:50 x
saheiziさんは<俺も羽生にはかなわないけれど少なくともアホになる速度を遅くすることは出来そうだ。>と書いておられますが
私も少しでもボケないようにと願っています。ブログによって色々な知らない事を教わり本当に有難いと思っています。
でもこう言う事が出来るのは、健康だからですね。
お互い健康だけは気をつけて参りましょうね。
saheiziさんは心臓がお悪いのですか?
くれぐれもご無理をなさらないで お気をつけて下さい。

Commented by ちゃめ at 2007-05-04 13:35 x
>結局生の自分を偽ることは出来ない

 同感です。
 投稿ではある程度「自分を作る」事ができても、コメントなどでは自分が出てきますね~。
 ブログの投稿は、自分を表現する事、ですね~。
Commented by suiryutei at 2007-05-04 16:38
こんにちは。
「結局生の自分を偽ることはできない」というのは、私もそのとおりだと思います。しかし世界がひろがりました。
Commented by みい at 2007-05-04 20:30 x
私にとっては、ウエブの世界はなくてはならないものになっています。氾濫する情報から、選択する目は持っていないとダメですけれど。
ブログには、今のわたしは凄く救われていますよ。匿名でも、何度か記事やコメントを読んでいると、その人がわかりますよね。
saheiziさんがどんな人なのか、イメージ膨らませています。かなり分かってきましたもの(笑
Commented by knaito57 at 2007-05-04 21:08
「結局生の自分を偽ることは出来ない」とは卓見だと思います。最初はどうあれ、続けていくうち知らず識らずそういう“網”に絡め取られてしまう──ブログにはそんな作用があるようです。またそうでなければ、わずかな手間ひまにせよブログなんて時間の無駄になってしまうと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-04 21:17
sakuraさん、今日もいい天気でした。
又もや農大博物館に行って来ました。
ほんとに健康第一です。
心臓はペースメーカーを入れています^^。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-04 21:18
ちゃめ さん、そうでなければ長続きしないです。むしろリアルな自分以上に正直な自分を出していくことが楽しいです。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-04 21:19
suiryuteiさん、知らない間に違った自分になっていてその自分は本当の自分だと思うのは悪くないですね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-04 21:20
みい さん、怖いような気がしますよ^^。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-04 21:22
knaito57さん、そうです、まったくその通り作っていたら疲れるばっかりです。ほんとの自分がイロンナ事に遭遇していくから続けられるような気がします。
Commented by mmiizzz at 2007-05-04 22:33
外出先のネットカフェや携帯からも投稿して…
私っておかしいんじゃないか、と思ってたんですが
たぶんブログは「素の自分」になれるので
心が安定するのかもしれません。
嫌なことがあっても「投稿のネタにしよう」と思えるし
新しいことにも沢山出会いました。
ブログ始めて良かったです♪
Commented by きとら at 2007-05-04 23:38 x
 私のブログは万引きGメンの情報交換を企図したものでしたが、まったく不成功でした。しかし、ときたま、検索してこられて万引き関係の投稿をすべてダウンして帰られる方がいますから、多少の役には立っているのでしょう。
 会社の仲間はほとんどパソコンを持っていません。ITの苦手な人間が万引きGメンになるようです。(笑)
 
 それで、ついつい雑文を投稿してしまいます。この方が楽しいですからね。
 しかし、そろそろ、本筋に戻さなければなりません。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-05 07:42
mmiizzzさん、休日ボケで川柳がでてこない^^。
少しストレスがあるくらいがちょうどいいのかもしれないなあ、クリエイテイヴになれるのは。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-05 07:44
きとらさん、今のブログが本筋じゃないなんて!
更新を楽しみにしています。
”頑固な”きとらさんに教えられることは多いです。
Commented by fuku(ginsuisen) at 2007-05-05 10:55 x
今ごろのコメントでごめんなさい。
私の生活にPCが入ってから早20年近いのですが、インターネットと関わるようになって、みなさんと同じようにずいぶん広がった気がします。
今、こうして、お会いしたことのない、saheiziさんのお友だちと出会い、意見をお聞きする。わからないこともすぐに検索できる。これをしていない友人に比べ、自分自身が無知でも身軽にスイスイと知ることができ、その喜びも知りました。たくさんの出会えるはずがなかった人と現実に友人にもなれたことは本当に不思議です。文章はウソを書くこともできるけれど、ウソはいつまでも続かない。やはり人間性を表すなーと実感しています。しかし、私は、紙をめくる本の存在も信じます。手触りの素敵さは、ネットでの知識とは違うと思います。相互に存在していけるのではないかと思います。
これからも、みなさんのワールドへのサーフィン楽しませてくださいませ。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-05 15:52
fukuさん、お互いに乗り入れ自由、よろしくお願いします。
Commented by Count_Basie_Band at 2007-05-07 16:26
私はブログ開設1周年。

動機は

>淋しいから手遊びに

の正反対。締め切りに追われまくっている間に、数ある持病の一つである「離人症」に気が付き、「離人症」人間が匿名の世界に入ったら何をするだろうか、という点に興味を抱いたからです。

予想通り、私から離れた私が「あぁ、やっとる、やっとる」と楽しく私を観察できる状況にあります。

本当は、まったく何も解明されていない深刻な病なんですけどね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-07 23:12
Count_Basie_Bandさん、そうですか、私は「離人症」って知らないのですが、はなれた自分も自分なのでしょうね。
Commented by Count_Basie_Band at 2007-05-08 12:03
saheizi-inokoriさん、

「離人症」については

ウィキペディア「解離性障害」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E9%9B%A2%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3
で触れられていますが、要するに何もわかっていないのです。

ただ別な解説では「抑鬱症」「パニックシンドローム」との併発が指摘されています。これは正解のようです。私の場合、律儀に併発しています。
「パニックシンドローム」は本当に「パニック」で苦しいのですが、「離人症」の方は心構え次第では楽しめます(^^;)。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-08 12:57
Count_Basie_Bandさん、ありがとう。離人症に似た感覚は経験あります。デジャヴとも似通いませんか?
頻繁にはないですが。治すことは出来るのでしょうか?大変ですね。
Commented by Count_Basie_Band at 2007-05-08 13:34
「デジャヴ」(already seen)にも随分多くの研究結果がありますが、すべて「記憶」つまり「過去」とのつながりですね。「デジャヴ」は頻繁に体験します。
一方、「離人症」では「現在」が変わるのです。たとえば、自分の発している声は普通は外部から鼓膜に達するのではなく、声帯の振動を鼓膜より内側の骨が聴覚に伝えていますね。それが突然外部、すなわち鼓膜から聞こえるようになるのです。つまり遠くなるのです。そして会話している相手の声も遠くなります。遠くから聞こえます。しかし会話は普通に続けているのです。
この状態から離脱する、つまり正常に戻る引き金が、これまた多様で、交通信号が変わったり、電車が止まったり、タバコに火を付けたり、といった瞬間に戻るのです。
原因がわかっていないので完治は不可能のようですが、「抗不安剤」で現象の発生を防止できる場合が多いことまではわかってきたようです。
やはり「パニック・ディスオーダー」と関連があるようですね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-08 15:00
そういえばありますね。誰か他人が話しているような気分。小説でも読んだことがあるような気がします。
しっかりしたコントロールが出来ないまま我知らず口をついてでた言葉などを表現するときにつかいますね。
「~~という本当なら到底口に出すはずのないことを喋っている自分を他人を見るようなしらけた気分でみていた」なんて。
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by saheizi-inokori | 2007-05-03 21:55 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(28)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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