ジョセフ・コンラッド 藤永茂訳「闇の奥」 藤永茂「『闇の奥』の奥」(共に三交社)
2007年 04月 16日
手首である。人間の手首をいくつも持っている。
右の写真は手首の無い子供。
二つの写真は因果関係がある。
今からおよそ100年前、中央アフリカのコンゴ河流域では先住民たちの腕先が大量に切り落とされるという事態が発生していた。
その地域(ベルギーの80倍の広さ)はベルギー国王・レオポルド二世の私有・植民地だった。
1887年にダンロップが発明した空気入りタイヤは自動車の普及と共にゴムの需要を爆発的に高めた。
レオポルドは、コンゴにおける象牙やゴムの樹液の採集に現地の先住民を強制的な奴隷労働に借り出した。
当然、暴力が必要となり、これまた現地人を人身売買により公安軍として徴集、1905年には16000人の黒人兵員を360人の白人が指揮する軍隊が出来上がる。
黒人たちが強制労働の苛酷さに耐えられず逃亡したり反抗するのを防ぐばかりではない。
強制労働に疲労困憊し多くの黒人が死に至ると、そこの集落を捨てて別の集落に襲いかかる。
白人たちが来ると住民たちは先を争って逃げ散るが、足の遅い老人、子供、女が捕まる。
それを人質にして集落の男たちを呼び戻して力尽きるまでこき使う。
それらの暴虐を通じて銃弾は威力を発揮する。
黒人たちも小銃の威力を知ると銃弾の窃盗が跋扈する。
そこで白人支配者によって考えられた”名案”が
銃弾が無駄なく人間射殺に使われた証拠として、消費された弾の数に見合う死人の右の手首の提出を黒人隊員に求めた。銃弾(闇値もついた)が欲しい黒人たちは、銃を使わずに人を殺すか、生きたまま右手首を切り落とすこともやった。
その結果が上の写真になるわけである。
当時のアメリカやヨーロッパではレオポルドの巧みな嘘に騙されてコンゴ開発は未開の先住民を教え救う行為と”信じて”いた。
それを暴き糾弾した人の中にイギリス人宣教師ジョン・ハリスの妻アリスがいる。
彼女は当時発明されたロールフイルムを使ったコダックカメラで上の写真を撮り全米49の都市でレオポルドの悪行を暴く講演を行った。
同じ頃マーク・トウエインも「レオポルド王の独白」という辛辣な作品を発表、その中でレオポルドが、コダックカメラがそれまで隠しおおせてきた残虐行為を明るみに出したことについて「わしの長い人生の経験の中で、こいつだけが賄賂で抱き込めなかった」と悔しがる場面があるそうだ。
レオポルド二世は1885年からのほぼ20年間に、コンゴで数百万人のコンゴ人を虐殺した。
それから30年後にヒトラーが同じく数百万人のユダヤ人虐殺を行う。
ユダヤ人虐殺のことは誰でも知っているし、数百万とは大げさだと言っただけで法律的に罰せられる国もある。
なのにコンゴの話はほとんど誰も知らない。
なぜか?
ジョセフ・コンラッドの「闇の奥」はコンラッド自身のコンゴ経験を下敷きに書かれた小説で今でも英語圏の教科書に多く取り上げられている”名作”だ。
この小説の読み方をめぐって論争があった。
コンラッドはベルギーのコンゴ開発の背後にある帝国主義的植民政策に対する批判精神を背景にこの小説を書いた、というのが欧米の主流派だ。
それに異論を述べたのがナイジエリアの黒人作家、チニュア・アチェベで、1975年に「闇の奥」は「侮蔑的で全くけしからぬ書物」と決め付け、コンラッドを「べらぼうな人種差別主義者」と呼んだ。
アチェべは欧米のコンラッド支持者たちに猛反発を食らう。
ユダヤ人虐殺とコンゴ人虐殺についての記憶の落差の背景にはヨーロッパ、とくにイギリス人特有のずる賢い自らを正当化し美化しようとする意思がある。
ベルギー・レオポルド二世のみが悪逆だったのではなく、それに先立ちアフリカは新大陸アメリカへの奴隷供給源であり、イギリスのリバプールは奴隷貿易で栄えたことに見られるようにヨーロッパは一貫してアフリカを収奪し続けてきた。
そのことを隠蔽するためにも「闇の奥」は”レオポルドに対する批判”であったし主人公にイギリスの植民政策は素晴らしかったと言わせているコンラッドが人種差別主義者だったり植民主義者であってはならない、のだ。
植民地主義、帝国主義とは何か?「ヨーロッパ」とは何か。アフリカのすべての現実を生み出してきた「ヨーロッパの心」とはいかなるものか?
ノーベル文学賞受賞詩人・キプリングが1899年に発表した詩、「白人の重荷」の第一節は次のようだ。
白人の重荷を背負って立てーこの「君たち」はアメリカ人を指す。キプリングは海外植民地獲得に乗り出した米国に対して、その道の大先輩である大英帝国を代表する詩人として訓戒を垂れているのだ。
君たちが育てた最良の子弟を送り出せー
君たちが捕らえた者どもの必要に奉仕するため
君たちの子弟を異国の彼方に向かわしめよ
乱れさざめく野蛮な民どもの世話をするのだ
君たちが新しく捕らえた、仏頂面の
なかば悪魔、なかば子供のような民どもの
この詩が発表された年にアメリカはフイリピイン領有を目的として米比戦争を起こしている。
藤永は、「白人の重荷」意識が中南米、アフガン、イラク戦争にも通底しているし、アフリカにおいても事情は変わっていないという。そして今は日本もその「白人クラブ」の一員となっているとも。
藤永氏はカナダ大学名誉教授。
「闇の奥」を読み込んで従来の中野好夫訳(1958年)の誤りをみつけ自ら新訳を発表した。
俺はまずその新訳「闇の奥」を読んだ後「『闇の奥』の奥」を読んだ。前者には中野訳との違いも原文とともに紹介してある。
俺は「奥の奥」で上に述べたような著者の考え方には説得力があると思った。
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もっとも、昔からのアングロサクソンクラブは内心では日本は利用できるから利用しているだけでほんとの一員としては認めていないかも知れません。
殺した証拠に手首を持ってこい、と命じられた黒人兵たちが哀れですね。
フランシス・コッポラは「闇の奥」を下敷きにした映画・「地獄の黙示録」でこの手首の話を、ベトナム人の野蛮さとして描いたのですから、白人の人種観は凄まじいですね。
「奥の奥」に
付箋を貼っておられるのを拝見しております。
「ヨーロッパは一貫してアフリカを収奪し続けてきた」
西欧が押しつけてきた歴史と歴史観を
批判的に読み解く作業を続けないといけないと
強く感じました。
コンラッドに対する評価は
ショックではありますが、
正しく受け止めていきたい。
日本の歴史でも、今 百人一首の崇徳院 保元物語を
載せる所ですが、保元、平治の乱を経て武士の世が到来した。
とあり 子供を殺す場面が書かれていています。
これからブログにも載せるのですが
私は蟻一匹も殺せない、、、もう~この年になると
恐ろしい話には目をそむけたいです。
「闇の奥の奥」こう言う本がお読みになれると言うことは
若くて力がおありなのでしょう。
でもsaheiziさんのお書きになったことは最後まで
読ませていただきました。今夜恐ろしい夢を見ないかしら?
イギリスの美術館には、たくさんのアジアやアフリカの貴重な美術品が飾られていました。それを見たとき、こんなものまで、どうやって持ってきたのだろう。全部略奪品じゃないの。略奪博物館と名づけるべきだと思ったことがあります。感想を書くノートには漢字で「我国のものを返せ」という中国の人の言葉ありました。
こうした白人意識は白人だけではないですね、確かに。
私たち日本人にも知らずにつながっていたり、現実におきているのかもしれません。
こういうことを多くの人が知らないといけませんね。
マスコミの負うところ多いと思います。
貴重なお話、ありがとうございました。
本当に、これを全て読んで、伝える・・エネルギーに頭が下がります。
デ・ビアスの宝石はローデシア(今はジンバブエ)の名の元になったローズがアフリカ侵略をして掘り出した宝石で作った会社、そこの宝石を有難がって身に着ける日本のセレブたち。
ブラッド・ダイヤモンドは現在のことです。
秀吉の兵士たちによる朝鮮人の捕虜狩りは、それ以前の戦国時代の日本国内の捕虜狩りの延長上にあります。
藤木久志『雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』
朝日新聞社; 新版版 (2005/6/10)