ジョセフ・コンラッド 藤永茂訳「闇の奥」 藤永茂「『闇の奥』の奥」(共に三交社)

下の写真、アフリカの先住民が手に持っているのが何か?
手首である。人間の手首をいくつも持っている。
右の写真は手首の無い子供。
二つの写真は因果関係がある。

今からおよそ100年前、中央アフリカのコンゴ河流域では先住民たちの腕先が大量に切り落とされるという事態が発生していた。
その地域(ベルギーの80倍の広さ)はベルギー国王・レオポルド二世の私有・植民地だった。
1887年にダンロップが発明した空気入りタイヤは自動車の普及と共にゴムの需要を爆発的に高めた。
レオポルドは、コンゴにおける象牙やゴムの樹液の採集に現地の先住民を強制的な奴隷労働に借り出した。
当然、暴力が必要となり、これまた現地人を人身売買により公安軍として徴集、1905年には16000人の黒人兵員を360人の白人が指揮する軍隊が出来上がる。

黒人たちが強制労働の苛酷さに耐えられず逃亡したり反抗するのを防ぐばかりではない。
強制労働に疲労困憊し多くの黒人が死に至ると、そこの集落を捨てて別の集落に襲いかかる。
白人たちが来ると住民たちは先を争って逃げ散るが、足の遅い老人、子供、女が捕まる。
それを人質にして集落の男たちを呼び戻して力尽きるまでこき使う。

それらの暴虐を通じて銃弾は威力を発揮する。
黒人たちも小銃の威力を知ると銃弾の窃盗が跋扈する。
そこで白人支配者によって考えられた”名案”が
銃弾が無駄なく人間射殺に使われた証拠として、消費された弾の数に見合う死人の右の手首の提出を黒人隊員に求めた。
銃弾(闇値もついた)が欲しい黒人たちは、銃を使わずに人を殺すか、生きたまま右手首を切り落とすこともやった。
その結果が上の写真になるわけである。

当時のアメリカやヨーロッパではレオポルドの巧みな嘘に騙されてコンゴ開発は未開の先住民を教え救う行為と”信じて”いた。
それを暴き糾弾した人の中にイギリス人宣教師ジョン・ハリスの妻アリスがいる。
彼女は当時発明されたロールフイルムを使ったコダックカメラで上の写真を撮り全米49の都市でレオポルドの悪行を暴く講演を行った。
同じ頃マーク・トウエインも「レオポルド王の独白」という辛辣な作品を発表、その中でレオポルドが、コダックカメラがそれまで隠しおおせてきた残虐行為を明るみに出したことについて「わしの長い人生の経験の中で、こいつだけが賄賂で抱き込めなかった」と悔しがる場面があるそうだ。

レオポルド二世は1885年からのほぼ20年間に、コンゴで数百万人のコンゴ人を虐殺した。
それから30年後にヒトラーが同じく数百万人のユダヤ人虐殺を行う。
ユダヤ人虐殺のことは誰でも知っているし、数百万とは大げさだと言っただけで法律的に罰せられる国もある。
なのにコンゴの話はほとんど誰も知らない。
なぜか?

ジョセフ・コンラッド 藤永茂訳「闇の奥」 藤永茂「『闇の奥』の奥」(共に三交社)_e0016828_2340137.jpgジョセフ・コンラッド 藤永茂訳「闇の奥」 藤永茂「『闇の奥』の奥」(共に三交社)_e0016828_23173683.jpg
ジョセフ・コンラッドの「闇の奥」はコンラッド自身のコンゴ経験を下敷きに書かれた小説で今でも英語圏の教科書に多く取り上げられている”名作”だ。
この小説の読み方をめぐって論争があった。
コンラッドはベルギーのコンゴ開発の背後にある帝国主義的植民政策に対する批判精神を背景にこの小説を書いた、というのが欧米の主流派だ。
それに異論を述べたのがナイジエリアの黒人作家、チニュア・アチェベで、1975年に「闇の奥」は「侮蔑的で全くけしからぬ書物」と決め付け、コンラッドを「べらぼうな人種差別主義者」と呼んだ。
アチェべは欧米のコンラッド支持者たちに猛反発を食らう。

ユダヤ人虐殺とコンゴ人虐殺についての記憶の落差の背景にはヨーロッパ、とくにイギリス人特有のずる賢い自らを正当化し美化しようとする意思がある。

ベルギー・レオポルド二世のみが悪逆だったのではなく、それに先立ちアフリカは新大陸アメリカへの奴隷供給源であり、イギリスのリバプールは奴隷貿易で栄えたことに見られるようにヨーロッパは一貫してアフリカを収奪し続けてきた。
そのことを隠蔽するためにも「闇の奥」は”レオポルドに対する批判”であったし主人公にイギリスの植民政策は素晴らしかったと言わせているコンラッドが人種差別主義者だったり植民主義者であってはならない、のだ。

植民地主義、帝国主義とは何か?「ヨーロッパ」とは何か。アフリカのすべての現実を生み出してきた「ヨーロッパの心」とはいかなるものか?
ノーベル文学賞受賞詩人・キプリングが1899年に発表した詩、「白人の重荷」の第一節は次のようだ。
白人の重荷を背負って立てー
君たちが育てた最良の子弟を送り出せー
君たちが捕らえた者どもの必要に奉仕するため
君たちの子弟を異国の彼方に向かわしめよ
乱れさざめく野蛮な民どもの世話をするのだ
君たちが新しく捕らえた、仏頂面の
なかば悪魔、なかば子供のような民どもの
この「君たち」はアメリカ人を指す。キプリングは海外植民地獲得に乗り出した米国に対して、その道の大先輩である大英帝国を代表する詩人として訓戒を垂れているのだ。
この詩が発表された年にアメリカはフイリピイン領有を目的として米比戦争を起こしている。

藤永は、「白人の重荷」意識が中南米、アフガン、イラク戦争にも通底しているし、アフリカにおいても事情は変わっていないという。そして今は日本もその「白人クラブ」の一員となっているとも。

藤永氏はカナダ大学名誉教授。
「闇の奥」を読み込んで従来の中野好夫訳(1958年)の誤りをみつけ自ら新訳を発表した。
俺はまずその新訳「闇の奥」を読んだ後「『闇の奥』の奥」を読んだ。前者には中野訳との違いも原文とともに紹介してある。
俺は「奥の奥」で上に述べたような著者の考え方には説得力があると思った。





ジョセフ・コンラッド 藤永茂訳「闇の奥」 藤永茂「『闇の奥』の奥」(共に三交社)_e0016828_21152657.jpgジョセフ・コンラッド 藤永茂訳「闇の奥」 藤永茂「『闇の奥』の奥」(共に三交社)_e0016828_2115513.jpg
Tracked from 建築家の育住日記 at 2007-04-17 15:05
タイトル : 風を住まいに呼び戻すー佐平次さんへの回答ー
佐平次さんに「マンションの結露に悩まされているが、何とかならないものだろうか」と質問された。 断定しなかったが、言外に「どうにもなりませんね」というニュアンスをにじませて、あいまいに済ませてしまった。 玄関ドアは外開きだ。なぜか。 決まり事でもあるのか....... more
Tracked from イギリス社会を読み解く at 2007-09-14 02:22
タイトル : イギリス帝国と奴隷貿易
奴隷貿易廃止200周年を迎える英国では記念行事が目白押しの2007となっているが、内情はそれほど簡単に割り切れるものでもない。なるほど、クエーカー派を中心にした奴隷貿易廃止を訴える声を受け、いち早く廃止を...... more
Commented by antsuan at 2007-04-17 00:39
人種差別なんて生易しいものじゃないということでしょうか。それを考えると、戦争に参加しても人を殺さない日本人は到底「白人クラブの一員」には加えてもらえないそうにありませんね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-04-17 08:21
antsuanさん、いやいやそうではなくて今や日本も自ら手を染めないだけでアフリカに対する収奪機構の押しも押されぬ一員ではないでしょうか。イラクにしても堂々と援軍を派遣しているのですから。
もっとも、昔からのアングロサクソンクラブは内心では日本は利用できるから利用しているだけでほんとの一員としては認めていないかも知れません。
殺した証拠に手首を持ってこい、と命じられた黒人兵たちが哀れですね。
フランシス・コッポラは「闇の奥」を下敷きにした映画・「地獄の黙示録」でこの手首の話を、ベトナム人の野蛮さとして描いたのですから、白人の人種観は凄まじいですね。
Commented by YUKI-arch at 2007-04-17 09:05 x
佐平次さんが
「奥の奥」に
付箋を貼っておられるのを拝見しております。
「ヨーロッパは一貫してアフリカを収奪し続けてきた」
西欧が押しつけてきた歴史と歴史観を
批判的に読み解く作業を続けないといけないと
強く感じました。
コンラッドに対する評価は
ショックではありますが、
正しく受け止めていきたい。
Commented by sakura at 2007-04-17 13:10 x
何と恐ろしい事。何処の国も歴史は繰り返される・・・・
日本の歴史でも、今 百人一首の崇徳院 保元物語を
載せる所ですが、保元、平治の乱を経て武士の世が到来した。
とあり 子供を殺す場面が書かれていています。
これからブログにも載せるのですが
私は蟻一匹も殺せない、、、もう~この年になると
恐ろしい話には目をそむけたいです。
「闇の奥の奥」こう言う本がお読みになれると言うことは
若くて力がおありなのでしょう。
でもsaheiziさんのお書きになったことは最後まで
読ませていただきました。今夜恐ろしい夢を見ないかしら?
Commented by fuku(ginsuisen) at 2007-04-17 13:44 x
こんな恐ろしいことが起きていたなんて。
イギリスの美術館には、たくさんのアジアやアフリカの貴重な美術品が飾られていました。それを見たとき、こんなものまで、どうやって持ってきたのだろう。全部略奪品じゃないの。略奪博物館と名づけるべきだと思ったことがあります。感想を書くノートには漢字で「我国のものを返せ」という中国の人の言葉ありました。
こうした白人意識は白人だけではないですね、確かに。
私たち日本人にも知らずにつながっていたり、現実におきているのかもしれません。
こういうことを多くの人が知らないといけませんね。
マスコミの負うところ多いと思います。
貴重なお話、ありがとうございました。
本当に、これを全て読んで、伝える・・エネルギーに頭が下がります。
Commented by あかべ子 at 2007-04-17 16:52 x
手のない子供の眼差し見てショックと恐ろしさと刹那さで目頭が熱くなってしまいました・・・、世界中のこどもたちの平和をあらためて願いました。
Commented by gakis-room at 2007-04-17 18:44
antsuanとはちがって,私は二つのことを思い出しました。1つは,秀吉の朝鮮出兵の折りのことです。軍功の証として首を日本に送るのは大変だから,耳あるいは鼻をそいで,それを塩漬けにして遅らせました。その鼻,耳を葬ったところが,京都にある「耳塚」です。今ひとつは,1919年4月15日に日本警察(憲兵警察)が京畿道華城市堤岩里で住民を教会に閉じこめて鍵をかけ,火を放って虐殺した「堤岩里事件」です。
Commented by saheizi-inokori at 2007-04-17 20:51
YUKI-arch さん、どちらも重い本です。ほんの一部だけを紹介しました。過去の話ではなく現在進行形であることが辛いですね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-04-17 20:58
sakura さん、人間はどこまで残酷になれるのかとよく言われますが、本当ですね。しかもある時は家庭ではよき父である人が平気で鬼になれる。辺見庸の「今ここに在ることの恥」http://pinhukuro.exblog.jp/4032527を思い出します。
Commented by saheizi-inokori at 2007-04-17 21:03
fuku(ginsuisen)さん、上にも書いたように過去完了ではなく現在進行形であることが恐ろしいですね。
デ・ビアスの宝石はローデシア(今はジンバブエ)の名の元になったローズがアフリカ侵略をして掘り出した宝石で作った会社、そこの宝石を有難がって身に着ける日本のセレブたち。
ブラッド・ダイヤモンドは現在のことです。
Commented by saheizi-inokori at 2007-04-17 21:11
gakis-roomさん、藤永は本書の中で上垣外憲一「文禄・慶長の役ー空虚なる御陣」によれば、秀吉の兵士たちは朝鮮人の捕虜狩りに狂奔したが、それは、当時ポルトガル人が世界中に張り巡らしていた奴隷売買のシステムの一部に組み込まれていた行為でもあった、と書いています。
Commented by 髭彦 at 2007-04-18 23:37 x
佐平次さん、さすがの文章ですね。
秀吉の兵士たちによる朝鮮人の捕虜狩りは、それ以前の戦国時代の日本国内の捕虜狩りの延長上にあります。
藤木久志『雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』
朝日新聞社; 新版版 (2005/6/10)
Commented by saheizi-inokori at 2007-04-19 08:05
髭彦さん、いい本を紹介していただきありがとう。自分たちの歴史の恥部は隠したくなるのは共通ですね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-04-19 09:42
あかべ子 さん、今日もまた世界のあちこちで子供が殺されたり売られたりしていると思うと私達はいかに恵まれた境遇にいることかと感謝の気持ちが湧いてきます。
Commented at 2007-05-02 13:45 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2007-05-02 18:46
カギコメさん、ご注意有難う。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by saheizi-inokori | 2007-04-16 23:41 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback(2) | Comments(16)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori