秘曲「伯母捨」 月光の清澄に咲くこの世にはない蓮の花

晴れた土曜日、野毛の坂道を登っていくと暑いくらいだ。
初めての横浜能楽堂。
友枝昭世が秘曲・「伯母捨」を舞う。宝生閑のワキ。
能の世界では”事件”のようだ。
着くと既にfukuさんもいらした。
能の世界の入り口から今日で何回目か、いつも先達をしていただいている。
そうでなければ今この場にいることはなかったと思うと一期一会を有難く謝してあまりある。

狂言「水汲」。
シテ、新発意、修行中の若い僧(野村万蔵)が、水汲みにやってくる。
そこにかねてから憎からず想っていた女、ワキ(野村扇丞)が洗濯をしている。
坊さんの身でも若さだなあ、後ろから目隠しして小唄をうたったりしてちょっかいをかける。
二人は唄を掛け合いで楽しむが、女はそれで十分だ。
なおも図に乗る坊さんの頭からせっかく汲んだ水をザアーッと浴びせて去っていく。
残されたシテ、「ぬれねずみじゃ。はあ、くさっめ」。
中世の流行歌のやりとりと牧歌的な男女のかけひきをなんとなくほほえましく楽しんだ。

さて、「伯母捨」。
都の男、ワキ・宝生閑が、二人の供を連れ(ワキツレ・工藤和哉、高井松男)信濃の姨捨山に中秋の名月を眺めにいく。
ここは田毎の月、段々畑に「月は一つにあれども、田毎に影を」映す月の名所だ。
現れた老女(前シテ・友枝昭世)が、姨捨の旧跡を教え、わざわざ姨捨まで来てくれたのだから「わたしも月と共に現れ出でて旅人の夜遊を慰め申すべし」といい、「その古(いにしえ)も捨てられて唯独りこの山に澄む(住む)月の名の秋毎に執心の闇を晴らさんと今宵現れ出でたり」と語り、「夕闇の木の下にかき消すように失せるけり」。
で中入り。

間狂言で更科の里人(アイ・野村萬)が伯母捨伝説を語る。
喜多流では伯母のようだ。

地謡が「夕影過ぐる月影の、はや出で初めて(そめて)面白や、、、いづくの秋も隔て無き心も澄みて、、」と謡いワキが「三五夜中の新月の色、二千里の外の故人の心」と謡う(この文句は会場で買った喜多流稽古用完本によっている。実は宝生閑の言葉はこの本随分違うのだ。このところは同じだったと思う)。

秘曲「伯母捨」 月光の清澄に咲くこの世にはない蓮の花_e0016828_1213385.jpg
最初から囃子が素晴らしい。
出端に笛(一噌仙幸)がやや頼りなげな一声をあげると大鼓(亀井忠雄)が気合のこもった応酬、小鼓(北村治)も徐々に熱がこもる。
中入り後の囃子はさらに圧巻だ。
大鼓が「いやあーォオっ」と気合を入れて後シテの登場を促がす。
これでもか、といわんばかりに三回やったか、幕が上がり、、後シテがすっと登場。
はっと息を呑む。
地謡とワキによって澄み切った会場が更に「まだ、穢れていたこと」を思い知らされるような後シテのオーラ!
この後、俺は、ずっとそういう感じに囚われ続けることになる。
老女の面に変わった後シテ、シャンパンゴールド(と、fukuさんは言った)の装束が月光に映えて老女を月の化身かとも思わせる。
右手を静かに上下させ(杖をひいて)橋掛かりを滑りでる。

「盛ふけたる女郎花の草衣汐垂れて」、シテの体が沈んで小さくなる。面が儚げな老女になる。
やがて月こそ如来の脇に侍す大勢至、蓮や花が咲き乱れ、孔雀鸚鵡など鳥たちがさえずり隈無く輝く浄土を語り、「然れども雲月のある時は影満ち、又ある時は影欠くる有為転変の世の中の定めの無きを示すなり」。
凛とした、厳かな姿になり、月の満ち欠けに合わせて表情も変化する。
動いているのかどうかさえ定かではない、しかし、間違いなく舞台一杯に手を広げ、動き回り舞台が世界か、シテの体が世界か。

途中、長い「序の舞」。
太鼓(金春惣右衛門)が独特のリズムで月よりの使者をもてなす。

もう一度「我が心慰めかねつ、更級や姨捨に照る月をみて、、」、、「かへせやかへせ昔の秋を」、、「秋よ友よと思いおれば、夜も白々とはや朝間にもなりぬれば」でシテは小さくなって老婆になって後ろに下がり座す。
その前を何事も無かったかのように旅人が去っていく。
「旅人も帰る跡に独り捨てられて老女が、昔こそあらめ今も亦姨捨山とぞなりにける姨捨山とぞなりにける」。



秘曲「伯母捨」 月光の清澄に咲くこの世にはない蓮の花_e0016828_221548.jpgシテが立ち上がって橋掛かりを幕まで歩いて行く(15メートル?)のに2分40秒かかった。
長いと思うか?
そうではない。それまで140分にわたって繰り広げられた幻世の宇宙世界が凝縮されて去りゆくシテの後ろ姿に重ねあわされるのだ。

終わってこの曲のCDが無いかと売店で聞いたら「秘曲なのでCD収録は許されていない」とのことだった。
Commented by fuku(ginsuisen) at 2007-04-15 22:34 x
すごーい!なんという正確さと速さでしょう。
私なんて、まだもたついて感想文提出できないでおります。
シャンパンゴールドなんて、表現してしまって・・
なんか興奮していましたねー。
それにしても、いつもながらのsaheiziさんの文章で再び舞台がよみがえって参りました。ありがとうございます。
Commented by saheizi-inokori at 2007-04-16 08:00
fukuさん、お世話になりました。忘れないうちにと、走り書きです。
おかしなところがあったら教えてください。
お囃子、最初をもう一度聴きたいです。
Commented by tona at 2007-04-16 20:17 x
4ヶ月もボーとしているうちに、行く相手も見つからず、能を観るタイミングを外して遠くなってしまいました。saheiziさんの文章だけは読んでいきます。
昨日の靴の話には、笑ってしまいました。すみません。
Commented by saheizi-inokori at 2007-04-16 20:23
tonaさん、映画もそうですね。暫く行かないと行きたくなくなる。行きだすとどんどん。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by saheizi-inokori | 2007-04-15 21:47 | 能・芝居 | Trackback | Comments(4)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori