天皇に教わる我が身の恥 文藝春秋4月号「昭和天皇 戦時下の肉声」
2007年 03月 17日
戦争を避けたかった天皇が側近だけにみせた言動ー軍部が国民ばかりか天皇をさえ騙すサマ、天皇の怒りの言葉などが生々しく記録されている。
かと思うと皇后と夫婦喧嘩をした様子など”家庭”のことも。
特に4歳の義宮が親王であるために別居せざるを得ない(そういう慣わし)のを嫌がって住居は青山じやなくて皇居の中では駄目かなどと色々注文をつけるのも人の親として当然だ。
結局聞き入れられないのだが。
公私の別なくどんな事にも周囲の合意もしくは了解無しには出来ない。
それどころか意にそまない事でも″慶んで”やらなければならない。
そんな記事を読んでいて突然。
俺がやってきた”ある事象・状況″が”浮かんで”きたのだ。
ある人若しくは人々との関係でどれだけ自分勝手に振る舞って来たかが1+1=2みたいにハッキリ見えてしまったのだ。
そうしている間ーその後もー今の今まで、チラともそんな風に考えもしなかった。
それなのにバサッと目の前に放り出されたように決算書が突きつけられた。
かあーっと顔が紅くなる。ワアーっと叫んで逃げ出したくなる。
困った事にこういう事ー初めてじゃないんだ。
やり直しも出来ない。
その都度、俺のために苦しんでいる人がいることに気がついていたかどうかに関わらず必死になって生きてきたんだ。
そのようにして俺の人生か″あった”のだ。
都合の良い所だけ、無傷な部分だけでは成り立たなかった人生だ。
開き直ることも出来ない。
堪らなく恥ずかしい事だらけなのだ。
やったことは済んだ事。この身に引き受けていくしかないようだ。
勘弁ならないって思っている人も沢山いらっしゃるだろうが。
なにかと一部では!?話題になっていた『太陽・SUN』を先日観てきました。 今まで、昭和天皇「裕仁・ヒロヒト」について一人の人間像として追求した形で描かれたものって小説や映画の世界には存在しただろうか? 『太... more
本は買ってあるんですが、"肉声"まだ読んでません。
私と性格が全く違う、温厚で口下手な妹と電話で話しをしている時に、妹のためと思ってやっていたことの一部が、驕りであり、押し付けであったことに初めて気づき、頭がくらくらするほどでした。
もう、取り返しがつかないことだけど、やさしい妹は、そんな私をその都度許してくれていたのです。
妹にも申し訳ないけれど、他の人たちにも、たぶん、そんなことをしていたのかと思うと、
「かあーっと顔が紅くなる。ワアーっと叫んで逃げ出したくなりました。」
今日、ここで、懺悔します。
でも、張学良とともに、現代中国建国の陰の立役者、筆者の言う“聡明で優雅で謙虚な大宰相”、「周恩来は毛沢東に殺された」!!も「天皇・・」に負けずに面白いですよ!!
なんて教悔師みたい。キリスト教の理論は分かりませんが、告白することでほっとすることってありますね。もっとも私などは一日中告白してなきゃいけないほどですが。
【昭和21年3月18日~4月8日】 天皇独白録
週間文春 1990年1月22日号 『昭和天皇独白の謎を解く』
松本清張
昭和天皇が昭和21年3月18日から4月8日にかけての時点で、松平宮内大臣など5人の側近になんのためにこのような話をしたのか、まずそれを推測しないかぎり、内容の検討に立ち入っても宙に浮いたものとなってしまうと思う。
すでにこの時点では、天皇は「戦犯」の指定を免れており、5月3日には「極東国際軍事裁判」が開廷されている。
筆者の寺崎氏はGHQの意向を宮中府中に伝える連絡係であり、3月10日の時点では、天皇を戦犯として東京裁判にかけることはないという決定を天皇および側近は知っていた。
したがって、一部の推測の様に、天皇のこのモノローグは「極東軍事裁判」から逃れようとしたものではなさそうである。(※)
時が経ても、思い起こす、それだけで、通じるのではないでしょうか。
きっと、お許ししてくださると思いますよ。
許されなくても(と思いますが)しょうがないです。やってしまったことです。
ろくでもない男ですよ。