わずかな「間」の違いが天地の差 紀伊國屋寄席・燕路「締込み」
2007年 03月 16日
百両召し上げた泥ちゃん、急に腹が北山ー「ヤイ、ここは飯屋だろう。なんか食い物をだしやがれ」
「ヘイヘイかしこまりました。しかし親方さん、貴方が泥棒を稼業とするように手前どもは食べ物を商いしております。
タダで食わせろは殺生、お代は頂きたい」と亭主はスジを通す。
「分かったよ。払ってやるからとっとと食わせろ」
泥ちやん百両入って気前がいい。
出てきたものは「鯉こく」、すきっ腹の泥ちゃん、うめえうめえとペロリ。
「ああ旨かった!ジャ、いくらでえ?」
「ヘイ百両です」
落語世界の泥棒はいい奴ばかり。
正直者が多い。約束は守る。
そのまんま都知事にしたいくらい。
百両払って帰る。
見送る亭主「有難うございました!又どうぞ!」
「誰が来るかい」
捨て台詞で親分外に出ると待っていた子分たち
「親分!首尾は?」
「しいーっ!コイが高い」
この噺、俺は小学校の時覚えて誕生会とかで演じた。
受けなかった。
今日は紀伊國屋寄席、柳亭燕路が「締込み」のマクラでやった。
前半、ホールのお客が先刻承知の洒落の「間」が取れずに悪戦苦闘していた。
たまりかねてか、「お客さま、ご推察の通りで、今日は間が難しい。どうか運命共同体で一緒に結束して行きましょう」と開き直ったセリフを言った途端の小噺がこれだった。
見事にホールのお客の気持ちをつかんで後は快調に飛ばした。
相当度胸がいったことだろう。
寄席が高座とお客の共同体であることを改めて感じた。
なるほど、カオス的な世界観を描く『信心銘』で「間」を説明ですか。お上手ですね。
どうしてsaheiziさんが話しても受けなかったのかしら?
まぁ~小学生じゃねぇ。
でも 間 が悪かったのか??
saheiziさんが、ませていて
お客は子供で共同体ではなかったと言う事ですね。
江戸っ子の粋みたいな噺ですよね。