李朝知識人の責任とは 呉善花(お そんふあ)「韓国併合への道」(文春新書)
2007年 03月 02日
この本もそうであるが著書が韓国の対日歴史観から見るとかなり韓国に厳しい見方をしているために、彼女は日本人が韓国人に成りすまして書いていると言う噂すら流れた。
著者がこの本で書きたかったことは、朝鮮近代の敗北の歴史の原因は、その責任の所在はどこにあるのか?ということだ。
韓国にあっては、全ては「日帝36年」、すなわち日本が悪いということ以外には何もない。
加害者日本対被害者韓国が全てだ。
彼女はそういう見方は誤りであるし、そう考えている限り日韓の真の和解は成されないばかりでなく韓国の将来にも大きな障害となると考えている。
韓国の前身・李朝は500年と言う長期にわたる王朝であったが、次のような政治的伝統を持っていた。
1・世界に類例を見ない硬直した文治官僚国家体制このような特徴が帝国主義時代、列強と清、日本が朝鮮半島の地理的重要性をめぐってせめぎ合う中で国家として、民族としてなんらの主体的な行動を取れないままに日本による併合を招いてしまったという。
2・中華主義に基づく華夷秩序の世界観
3・大国に頼ろうとする事大主義
4・儒教国家を保守する衛正斥邪の思想
1919年3月1日、朝鮮3・1独立運動にして始めて近代民族国家の成立によらざれば民族自立の確保は不可能であることを明らかにしたのである。
1884年金玉均の企てたクーデターは支援を約束(?少なくとも当てにした)した日本が清仏紛争などの国際情勢に影響されて態度を二変、三変したこともあり(当時の竹添公使のだらしなさ!)失敗した。
著者は近代朝鮮が自立国家として歩めるチャンスがあったとすれば僅かにこの時とそれを引き継いだ開化派の残党が甲午改革を自主的に推進しようとした時だったろうという。
それらのチャンスを李朝は自らの手で潰したのだ。
しかも、前者は清、後者はロシアを恃みとして。
この本を読むと戦前から戦中にかけて日本がとった対朝鮮への侵略行動が帝国主義国家の包囲網の中に遅れて登場した国として止むを得ない面があったこと、それは韓国自体の不甲斐なさにも起因しているようで、なんとなく罪の意識が少しばかり薄らぐような感じさえする。
しかし、それは間違った感想だろうと思う。
たとえは適当ではないかもしれないが
泥棒に入られて戸締りをしっかりしなかったことは被害者の反省としては妥当であるかもしれないが、だからといって泥棒の行為まで正当化されるものではないだろう。
よしんば泥棒も食っていくために必死だったとしても、泥棒は泥棒だもの。
馬鹿をいえ!
泥棒でも何でもしなければ生きていけないのが帝国主義時代の実相だったのだ!
そういう怒鳴り声が聞こえてくる。
泥棒をした挙句がどうなったか?
本書は二度と誰も泥棒などしないで生きていくためには自国の負の歴史をも冷静に検証し国民の反省の材料にすべきことを訴えているのだと思う(思いたい)。
下の写真は谷中・経王寺・山門。彰義隊の生き残りを匿ったために官軍が撃った弾丸の後が残っている。
泥棒の話は絶妙の譬えと思います。
>泥棒に入られて戸締りを、しっかり……
の例えは、実に的を射た説得力のある例えだと思います。 それに、泥棒が物意外に、相手の“言葉”や“名前”を奪ってはいけません!!。
金玉均のクーデタ失敗も、日本の一部権力者(福沢諭吉等は、根本的には征韓論者)に依存したりが主で、自国の庶民(特に農民)に思想浸透をせずに蜂起した事が失敗原因である。所詮、両班階級の上流思想に留まった、クーデタのようで=“李朝の改革”には繋がらなかったのでしょう。
確かに強力な中央集権国家であったけれど民衆サイドに立った横断的な民族組織を造り得なかった時代感覚、事大主義がエリートたちの責任だと思います。
ただやや強引に結論を引き出す感じがあってそれはこんな薄い新書に書こうとすると止むを得ないのかなと思っていましたよ。
この本が始めての人です。今は保守イデオローグとして活躍しているのでしょうか。
「甲午改革は朝鮮王朝が自立国家へと転換できた最後のチャンスあった」との所論には賛成できません。確かに甲午改革は制度面における近代的改革でした。しかし,甲午改革が頓挫した後,私見では最後のチャンスがやって来ます。親日派でも親露派でもなかった知識人によって推進された独立協会・万民共同会の運動です。彼らは民衆の支持のなか,議会設立による国民参政と国政改革をおしすすめようとしました。しかし,当初は彼らの運動に理解を示しながらも,中途からこの運動を王政廃止運動と疑った国王の翻意によって強行解散させられます。このときが朝鮮王朝近代化のチャンスの終焉のように思われます。1998年のことです。
拓殖大学の教授陣は壮観ですよ。(笑)
佐高信さんが『日本論』の「はじめに」で、
「亀井勝一郎は、日本の歴史を学んで日本を愛する者が出てもいいし、日本を憎む者が出てもいい、と言った。これを読んで、そんな「開かれた愛国心」を志す者が出れば幸いである。」と言ってます。別のところで、
「愛することの哀しさを知らずして「愛国心」と言うな、と言いたい。」と言ってます。
呉善花に「哀しさ」があるかどうか大いに疑問です。
別に縁もゆかりもない人ですが、何となく気の毒です。
愛すべき祖国ときっと絶交状態なのでしょう。