うわべだけの感謝の言葉なんて言うなっての
2007年 02月 17日
どこもかしこもシルバーシートにもふんぞり返って座っている。
こちとら身障者兼爺さんは立っていく。
大きな声で「ありがとうございました~」と叫んで降りていく。
白々しいったらありゃしない!
ただで乗ってるなら立ってケ、つうの(転ぶのを心配するなら膝に抱くか手をつないでやればいいのだ)。
バスで「有難う」なんていう前にもっとちゃんと感謝しなきゃいけないことが沢山あるんじゃないか。
そんな教育するより親たちがもっとシャンとしろっての。
エゴイスト集団、ジエラシー集団、人まね集団を解散しろってんだ!
幼稚園なんて金持ちの行くところと思って育った俺にはみんなが幼稚園出た世の中がちっともよくならないのは不思議でしょうがない。
昔よりずっと志のない群れたがり集団が増えたのは幼稚園のせいじゃないの?
少なくとも俺の大学時代、幼稚園なんか出てきた奴ァろくなモンジャなかったぜ(まあ、出てこないのも大したこたァなかったが、実際の話)。
こういうことを言うから嫌われる、って分かっているよ。
でもお祖母ちゃんならきっと頷いてくれそうだ。
本当の感謝の言葉を知っていた人だ。
唐柏より枯露柿を恵送
(唐柏は山梨県・今でも美味しい柿を作っている)
ころころと児らも媼もよろこびて食むころ柿の味のよろしき
京城よりようかん来る
(京城からようかんを送ったのは我が両親、戦争中のことか)
今の世にかかるめでたき物をしも食ぶる吾が身の果報をぞ思ふ
長野より送りこし蜂蜜はほのかに林檎の匂ひがするなり
娘の為に一つかみ程炒りておく我には噛めぬ節分の豆
耳聾いて今はきこえず此の夕べ家々に揚がりゐむ鬼やらい
我が亡き父だったら「君君、君は何歳だい?幼稚園で習ってないかい?バス代は大人の半分なんだよ」なんて聞いたでしょうね。父の先生は説教爺として東海道線で有名でした。高崎線で有名だったのは父だったかも。でも、今はあぶない時代、saheiziオジサンは気をつけてくださいね。
幼稚園ママは結構怖いかも。
”-ホンの戯言”が聞こえてきてクリック。
antsuanさんと言うお名前も聞き慣れていまして、私もやっぱり
言いたいと思ってしまいました。
お祖母ちゃんきっと頷いてくださってます。
私もコクンと頷いてました。
ーー時差マイナス8時間ーー
お許し下さい。
いつまでも心に残る生き方をしてきた方は今も人を暖かく
して下さるのですネ。
【去る者は日々に疎し。】これがあるから、時間が悲しみや
苦しみを癒してくれると思うのですが、最近は
【去ってない者でも毎日疎し。】が過多過ぎるとイカッてます。
母子連れがどやどやと乗ってきて座席確保競争。母親たちは早速おしゃべり。ガキどもは席があるのに走り回る。
ワタシの足を踏み、他の客が床においたカバンを踏みつける。
中で一番ワルイ奴のベルトと襟をつかんで頭上に振り上げ、「お前みたいなヤツは窓から放り出してやる」と言ったら窓際にいた老婦人がさっと窓を開けて「どうぞ」
車内の他の客は拍手喝采。そこで「これで懲りたか、バカ」と言って降ろし、ビンタ一発で解放してやりました。ガキは震えていました。
これで車内は静かになりましたが、問題のガキの母親は運転手のところへ行って何やら抗議。運転手は無言。
終点に着いてエンジンを切ると、運転手はワタシのところへやってきて「ありがとうございました。毎日やっていただけませんか」と微笑。
「心がけとくよ」と答えて別れました。
戻ってきて良かったデス。Count-Basie-Band氏
のコメントにも出会えた。
現代説教親父はここまで大変という事実。
他の客はその迫力に見て見ぬ振りをして
いられず拍手喝采になったと思います。
その心意気に動かされたと思います。
黙っている方も悪いと思い行動を心掛けてますが・
現代説教親父ーーいらっしゃるんだ!!
このお話を友人達に伝えたい。
inokori様の”お祖母ちゃん”月を見れば、
「孫もこの同じ月を見ているに違いない。」と
孫に思いをはしらせる方ですね、きっと。
今、外の月を見てふとそんなことを思ってました。
doteruさん、はじめまして。喜怒哀楽のうち「怒」だけが歌にしづらいのですが、それが「恨」「怨」として残ってしまうのではないでしょうか。怒る事だって心がこもっているのですから率直にイカリたいと思います。
マイナス八時間? 欧州辺りにお住まいですか、ブログには国境がないのが好いですね。 右左あんつぁん
説教爺はやはりやめときます。毎朝顔をあわせなきゃならんてのが・。それでブログで腹いせ。しょうもないオヤジです。
8時間の時差だと今頃は白河夜船でしょうか。
おかげさまで我がトマヤも俄かににぎやかに慨世の声に充たされました。
東京は夜から今も久しぶりの・待望の雨、月は見えませんでしたが市民マラソンに出場する多くの人々はよく寝たことでしょう。
どうぞ、またおいでください。
その児にとってもいい教えだったと思います。
ただ拙は臆病者ゆえ、行動にあらわせないのです。こういうジジイが世の中悪くしてるのかも。
俺達が、餓鬼のころは汽車も電車も超満員で、まともに座れる事など無かったが、万一、空席を見付けて座っても、母親に膝頭を思いっきりブタレタ。
俺の好きな言葉で、『親の意見と 茄子の花は 千に一つの仇も無い』て言うような諺は、これからどうなっていくんだろうね!。
それにしても、Count_Basie_Bandさん、天晴れ!
我が子でも座らせなかったです。慣れですよね。
白々しいったらありゃしない!>
私も何時もそのように思っておりました。私だけでは
なかったのですね。それにしても
Count_Basie_Bandさん、ご立派!
よくぞ仰いましたね。
今は殆んど誰も何も言わずに済ませていますからね。
こういう物騒な世の中ですから、、仕方ないですけど・・・
でもCount_Basie_Bandさんのコメント読んだ時
今の時代?え?ぇぇ?昔の話?と思っちゃいました。
Count_Basie_Bandさんくれぐれもお気をつけて、、
こういうことができるのは、周囲を見渡して
>窓際にいた老婦人がさっと窓を開けて「どうぞ」
というような応援団の存在が確認できる場合です。
母親付きの小さい子供の場合、あるいは若い女性の場合、交番かどこかに訴えられるとこちらが犯罪者にされる危険があります。
その点、大学生、チンピラヤクザなどの男の子なら先ず大丈夫。ぴしゃりと言えば「はい、済みませんでした」
当方が然るべき人相風体なのかな(笑)。
こんなふうに叫んだり本人の前で言いたくなることが多いです。
私も幼稚園に行かれなかったので、大した人間になれなかった口です。
保育園児のほうがマシでしょうか。
対処したらいい分からないということも多く辛いのではないでしようか?
もう10数年以上前のことですが、日本人の関係している学校で
私が常識と思っている事を言った後【又か!】と思わされる反応があり
一人の男性(当時40代半ば?)にとても睨まれました。
私達親子にとても良くしてしてくださってたのですが、息子まで睨まれ・・・
・・子供同志はそれまでと同じだったのが幸いでした。
その方今も時々テレビに出演しています。帰国され10数年毎年
新年のお便りを頂き続けてます。私は一回も返事した事ありません。
それで、
【どんな睨み方をしたかばらされるのが怖いのかな?】と思ってしまう
時もあります。 気持ちの使い方間違ってる!!! OOと2文字で!!!
言うなら本人に言うってばーーと私。
私ここに戻ってきた理由から脱線したことしゃべってしまいました。
昨晩色々気づかせていただいたことが、そして今朝も
これから朝食デス。 8;06
私はこれから晩御飯です。
幼稚園、私の頃はかなりポピュラーな存在でしたよ。
私は団体行動ができなくて、引っ越しを機にやめてしまったけど('◇')ゞ
まぁ、幼稚園は多くを求めてはいけないところだと思います(*^_^*)
現代説教親父も然る者ながら、窓際にいた老婦人がさっと窓を開けて「どうぞ」…このユーモラスな対応に、
この年代の持っている人間的豊かさを感じました。いいですねー、こんなやり取りが生活の中に増えていけば。
その幼稚園児のお母さんたちは、親として人間として恥ずかしいですね。
白々しさに自分で気がつかないのでしょうか。
もし間違って、そんな集団に入ってしまったら辛いだろうなと思います。
思いっきり浮いてしまう勇気をもっていないと。(笑)
そんな程度の「文化」しかないのなら、せっかくの集団生活も悲しいですね。
私は一度だけ、小学生のグループに「やめなさい」と言ったことがあります。
数人で、一人の子を執拗に蹴っていたので。(いじめ?)
何かにはっと気付いたようで、すぐにやめたのは幸いでした。
でも私ときたらそれだけのことなのに、顔は赤くなってしまうし汗はかくし、しばらくは何故かくよくよしてしまうし・・で、健康に良くなかったです。^^;
>この年代の持っている人間的豊かさを感じました。いいですねー、こんなやり取りが生活の中に増えていけば。
しかし、この年代の人口は確実に減っていきます。
また一人減り、明晩が通夜です。大学のクラスメートです。
爆弾銃弾の降る中を逃げ回ってようやく生き残ったのに身体中がガンに蝕まれました。
「どうせ拾った命」というのが、都会であの戦争を体験した我々の生命観です。勇ましいことを言っている同世代の政治家や財界人は、地方にいて爆撃を体験していない連中です
はい、ですから深刻デス。この方も教室でこのようなことをしたら
警察に通告される。現場の先生方の実情に心を痛めてらっしゃい
ます。私が”ハッ”とさせられたのは【人間的豊かさ】の言葉を
こうして新たに目にした時です。
私はCount_Basie_Band様が一瞬の時周りを見回し
咄嗟に【応援団の存在を確認できた。】ことにずっと考えさせ
られてます。又辛い時にもユーモアがでてくる方がたからも。
それで、又2月17日に戻りちゃんと感じたいと・・・
それで又Count_Basie_Band様に出会えました。
【どうせ拾った命】戦死なさった友のことを忘れずに。
明晩がお通夜・・・言葉が見つかりません。
ごめんなさい。
もちろん全員ではありませんが、「どうせ拾った命」派は概して享楽的です。現役時代はもちろんEconomi Animalとして猛烈に働きましたが、一方で「社用族」という種族を誕生させました。
老いてからも、先祖や子孫には無関心。自分が稼いで築いたものは綺麗サッパリ使い切ることを願い、自分の喜び、快感だけを追求しています。私は未だにフリーランスで働いていますが、これは快感を追っているのです。
バスの中での「悪ガキ退治」、繁華街での「歩きタバコ退治」も快楽の一部に過ぎないのです。窓を開けた彼女は完全に同類でしょう。アレが彼女の快感だと思います。
そうか・・また思い出しました。
沖縄での話し。戦後間もない頃元気ない周りの人々を見て、
一人の女性が何処からか口紅を見つけてきて、ご自身が最初に
口紅を塗り周りの女性にも薦めた時の反応:「こんな時に・・・」
それに対して彼女は
「こんな時だからこそ、綺麗になって踊ろう!」と。
上記コメントの中の【快感を追う】は誰かに迷惑を掛けているどころか
「すごい!」と人に思わせ人に影響を与えてらっしゃる。
・・・ストレスが貯まらない・・・のでは?(独り言)・・・
はい、子孫に美田を残さない方が良いと私は実感して
います。
今の時代でも「私は貴女方の人的資源ではない!」と
【人的資源】と言う言葉を使った自分に驚いたことあります。
右左あんつぁん様の仰って下さったことは
「自分の思いを大切に。」と響いてます。
有難うごさいました。 お休みなさい。 23:33
某国立大学(笑)の付属小学校があります。
その子ども達の下校と一緒になったことがありますが、
それはもう傍若無人な振る舞い。ひどいもんです。
何人かのお迎えママらしき人が乗っていましたが、
感覚が麻痺しているのか?誰も注意しません。
なんだかなぁ~・・・です。
私も同じ子持ちです。確かにこれくらいは・・と思ってしまうときもあるけど、
限度はあると思いますです。
で、私の母は、自分は座っても子どもは座らしてはくれなかった。
昔は「冷たい母だ」と思っていましたが、今は当然のことと思います。
妊娠中、つわりの時期にシルバーシートに座れたらなぁ~と
思ったことが何度もありました。今はちゃんと書いてあっていいなぁ~。
それでもマナーの悪い人はいますが。(ぷんぷん)
くじ引きで入学するのです。猪瀬直樹さんのお父さんが先生でしたが早く死んでしまいました。いい人だったと今でも思います。
私たちはガキでお迎えママなんていませんでした。
間違いなく世の中が変わってしまったと思います。悪いほうに。
私も子供たちは座らせませんでした。自分は座っても。