横井清 「室町時代の一皇族の生涯 『看聞日記』の世界」(講談社学術文庫)
2007年 01月 28日
ところが後光厳天皇は自分の後を兄・崇光天皇の子である栄仁親王に譲らず我が子を後円融天皇とし、その後も後小松天皇、称光天皇と、ずっと後光厳院系が続く。
崇光院系の栄仁とその子貞成には陽があたらない。
世が世ならば天皇であったかも知れないのに、貞成は40歳にしてやっと元服を許される。それまで伏見という当時は京から離れた田舎で部屋住まいを、しかも「半尻」という子供の装束を強いられていたのだ。
元服して喜んだのも束の間で当時の貴族の例に漏れず貧窮生活、家の格に応じた社交のための費用の捻出に苦労する。
そういう男が、権力を思うがままに振るう足利将軍たち(義満、義持、義量、義勝)と後小松院の意向の狭間でしたたかな遊泳をみせ幸運にも恵まれて自身の親王宣下を受け、ついで嫡男を皇位につける。
執念と計算、嫌らしくはない。むしろ魅力的と言っていいような人間味もある。琵琶はお家芸、名手だし、書もすばらしく歌もよくする。
この本はこの貞成が45歳から77歳までの間、書き続けた日記「看聞日記」をもとに後崇光院伏見宮貞成親王という興味深い人間の生涯を追ったものだ。
日記が書かれる前の貞成の前半生にもかなりの紙数を費やして彼の人生のモチーフを浮き立たせている。
室町前期の政争が眼の前に繰り広げられ、歴代将軍や天皇、貴族たちの”人となり”が生き生きと描かれる。
鯉や刀や掛け軸や、贈り物のやりとりで一喜一憂したり、嬉しいといって飲み明かし泥酔し、行幸の行列を見に行くのに必要な経費の心配をし、、普通の歴史書と違って生きた人間の息遣いが伝わってくる。
主人公はとても好奇心の強い人でもあった。
貴族の毎日(よく遊ぶ、徹夜もしょっちゅう)、方違え・湯起請(犯罪容疑者を熱湯の中の石に触れさせて有罪か否かを神に聞く)などが信じられ実行されていたこと、四季の行事のありよう、庶民たちの暮らしぶりや噂話、百姓の反乱、猿楽・茶の湯・連歌・生け花・・当時新しく興隆しつつあった芸能文化、、、それらについても細かに書きとめている。
猿楽、能が観阿弥、世阿弥などによりこの時代に飛躍的な昇華とでも言うべき変化をとげ現在の姿が出来上がったのは足利義満の庇護によるのだが、それが能にどのような作用を及ぼしたかという点で、公家の世界に踏み込んだ新しい文化、それは死と隣り合わせの武士たちの文化だったということが分かるような気がした。
中世史専攻の学者が書いた小説より面白い”学術書”だ。
多分、光源氏と同じ境遇ということだったのですね。同じように源氏って多いようです。早速読みますわ。ありがとうございます。