「武士の一分」 「分」たァなんだ?
2006年 12月 14日
そういえば「分を弁えろ」という言葉があった。
「分相応」なんていい言葉だと思うが、
過去形にしたのは今はもう死んでしまったように思うからだ。
お金さえ払えばいいんでしょ、とか俺は社長なんだから、誰も文句言わないし、といった考え方とは対極にある考え方だ。
使われることがあってもサラリーマンがアホな上司に直言したときに肩書をカサに着て押さえ付けるときくらいかな。国語的には正しいかも知れないが倫理的には誤用。
今朝バス停で来ないバスを待っていたら
カチャ、後ろの門が開いてお嬢さんが出て来た。
お父さんがエライさんらしくお迎えの車で出勤するのを時々見掛ける。
たまにお嬢さんも便乗している。
今日はお一人、サッとタクシーを停めて乗り去った。その時、この言葉が頭に浮かんだのだ。
なあにー実はちょっと羨ましいのとイマイマシかったというのがホントの気持ち。
俺とて車の送り迎えがつくポストにいたこともある。でも常に謝絶して母から貰ったアンヨで通勤していた。
浪人間際の今は勿論そんなサービスはない。
無くなってみると物欲しいような気持ちになるのは、俺もシレタもんだ。
そうやって考えてみるとお仕着せの車を断るなんてことは俺の「分」にすぎたことだったのかもしれない。たいした「分」ではなかったてことかも知れない。
きざな言い方に聞こえるかもしれないが。
写真は沖縄のアナゴどもと、池之端・藪蕎麦、やはり旨いな。アナゴは食ったわけじゃないが。
やせ我慢て大事なような。。。
所詮、勤め人は好きなように生きられないんですな。だから私はサッサと個人事業者に転向しました。
この記事拝見して、忘れかけていた、祖父の言葉を思い出しました。「分相応に生きよ」が父に遺した言葉だったようです。それに父は反発したそうですが・・・当時は。
でも、今その言葉が私には、ひびきます。
県知事に会う用があって途中でネギなどを買って(単身赴任でした)秘書室に預けました。
あとから知事公室の人から私の会社に電話があって「せめて知事に会うときくらいは車で来たほうがいいのでは」だと。
余計なお世話だっちゅうに。
たまに高級な料亭宴席に行くとき玄関で不審な目で迎えられました。御用聞きにしてはネクタイしているし・・。
休日はゴルフや奥様のお買い物のお供でお小遣いに昼飯代。ゴルフの練習もし放題。だから上手くなるんですよ、アイツらは。
>途中でネギなどを買って(単身赴任でした)秘書室に預けました。
アタシャ、そこまではやってませんが(^^;)、
>たまに高級な料亭宴席に行くとき玄関で不審な目で迎えられました。
は日常茶飯。そして「高級な料亭宴席」は疲れますから、帰途、自分の「隠れ家」に寄りたくなるでしょう。それが問題なんですよ。
ヤツらは制服を着たスパイですからね。全部上に筒抜け。
形形形・・好きですねー、日本人は。
わが町は、ハイヤー族のマンションと庶民(学童、保育園通いが多い)マンションがあります。当然ながら、ハイヤー族のマダムから、庶民の働く母と子は差別されました。ハイヤー族の夫の笠を着る妻たちもいるんですよ。テヤンデー、って思いましたけどね。若いころ、番記者の知り合いがハイヤーで私用に乗りつけ、深夜まで待たせていた、嫌な気分を思い出しました。よかった!saheiziさんがそういう人でなくて。
庶民の口癖は「せめて人並みに」でした。
一旦は人並みの暮らしが実現したのですが、昨今は雇用融解で人並み以下のワーキングプアが増えました。改めて、せめて人並みに、と思う今日この頃です。(笑)
お盆の感じが池の端藪のような気がするけどな~
美味しいけど量が少なくて若い子は二杯づつでも物足りないようです。高くつきますね。
そして、藪と同じ通り?に「江戸...」とかいう江戸家具の店がありましたね。露柴の文様が得意な家具店。友人の結婚祝いに何度か贈ったことがあるけれど、自分のものは何も持っていないみたいです。
池之端というのは一帯の地名ではないですか?
一つ一つのお店はあまり知らないけれどなんとなく懐かしい地名です。
若い頃、ある種の憧れを抱いて歩き回りました。
最近美術展や寄席に行ったりして歩くことが増えました。あの頃は何をみていたんだろう?と思うような”新発見”があります。
皇居とは違った意味で東京の大事な中心だと感じます。
東京というより江戸かな。