沖縄は癒しの地か? 田村洋三「沖縄の島守 内務官僚かく戦えり」(中公文庫)
2006年 10月 31日
それも出来るだけリアルに!
そうでなければ想像力の鈍磨と記憶の減退と、警戒すべき意図的な忘却があれだけの罪なき犠牲者の悲劇を無にしてしまう。
悲劇は無かったことにして”癒しの島・沖縄”にしてしまう。
たった60年前のことなのに!
1945年(昭和20年)3月26日午前9時頃、米軍は慶良間列島に上陸した。本島中部西または南海岸を上陸地点と予想していた日本軍はなす術もなかった。
渡嘉敷、座間味、慶留間の三島では、戦火と”皇民化教育”から来る精神的重圧に追い詰められた島民が,草刈り鎌や鍬、軍人から渡された手榴弾などにより、計約700人がむごたらしい集団自決を遂げた。住民を巻き込んだ国内唯一、最大の地上戦闘・沖縄戦は、象徴的とも言える凄惨な悲劇で幕を開けた。硫黄島に向かう米艦隊は100キロに及ぶ列を作っていた。
沖縄に来襲した船隊も凄い。この日本島の首里、識名の高台から海を眺めた11歳の少年の言葉。
何げなく那覇の海を見て、思わず息をのみました。数え切れないほどの真っ黒な軍艦が慶良間からこちら側の東シナ海を、びっしりと埋めていたのです。そのとき、僕は歴史の授業で聞いた”義経の八艘飛び”を思いだしました。軍艦の間をピョンピョンと跳んで行けると思うほど、海が詰まっていました。余りの驚きと恐ろしさで声もなく、しばらく立ち尽くしていました。神州日本が敵艦に囲まれるなんて、有り得ないことと思っていましたから。R・A・スプルーアンス海軍大将が率いる「中部太平洋機動部隊」は、沖縄攻勢にイギリス軍も含めて戦艦20、空母19など実に約1300隻の艦艇をくりだした。
当然この後沖縄はこの世の地獄になっていくのだが、そういう本土決戦・沖縄見殺しの方針は現地の32軍に明示されない。彼らは台湾軍からの間接情報でそれを知り愕然とするのだ。
参謀本部作戦課長・服部卓四郎大佐、作戦部長・宮崎周一中将らの”エリート”参謀の作戦指導の結果だ。
しかるに彼らは戦後ものうのうと生きる。
あまつさえ服部はGHQに呼び出され対ソ戦略の旧日本軍情報を洗いざらい提供する。
1950年には自衛隊の前身である国家警察予備隊の創設に当たり、幹部を自らの息のかかった旧軍人で固め、自身は幕僚長就任をもくろむ(さすがに吉田首相が反対して沙汰止みになるが)。
今、教育界の、官僚の、政治家の、企業トップの・・厚顔無恥・無責任がいろいろ取り上げられているが、俺はちっとも驚かない。
そういうことはずっと前からあったじゃないか。
教育基本法を変えて愛国心を植え付けようとしてもそれで”美しい国″が出来るわけがないことは服部みたいな輩がどういう教育を受けて育ったかを考えてみれば直ぐ分かる。
魚も国も頭から腐るのだ。
一方で死を覚悟しながら敢然と職務を引き受け沖縄にとどまり県外疎開など県民の保護に全力を尽くし殉職していった島田沖縄県知事(前任の知事は逃げ出すことばかりを考えた)や荒井警察部長のような内務官僚もいた。
そういう二人の物語だ。
下の写真は町屋で。平和ですね。
今、ランニングから帰ってきた所なのですが・・・・この本は存知あげませんでしたm(__)m
沖縄もグアムのバンザイクリフも私は、霊感が強いのか涙が止まらなかったり(;へ:)鳥肌でなんとなく玉砕の地が分かったりするので凄く辛いのです。
日本にもこのような感じの場所が沢山あります・・・・・。
今だに米兵に少女がレイプや襲われたり、あまりに日本国民をして認めていなさ過ぎませんかね?沖縄県人の方々を・・・・(;へ:)
ちなみに何処の出版社のですか?教えていただけますか?
玉井久子さん(22歳)はクリスチャンの代表20人の一人として、本土に来ました。
私が初めて出会った沖縄の人でした。小さな教会の集まりで玉井さんから聞いた当時の島のありさまは、お話だけでは想像がつきませんでした。
厳しい身体検査を逃れて、持ち出した12~3枚の写真は、言葉では言い表せないこの世の地獄図でした。
彼女と家族も島に帰りはしたものの、家を作るための木は小指ほどのさえ無かったそうです。
島に帰ったら何にもないぞ!!です。 どうか戦争という愚かな手段を棄てて話し合いで世界の平和が守られるようにと願っています。
コメントを残そうとキーを叩いていますが
何もいうべき言葉が見つかりません。
言いたいことはすべて記事の中にありました。
こちらには「美しい岩手」はありますが(笑)
「美しい国」をつくるなら、まず頭から変わらないと。
隗より始めよ・・・ですね。
確かに岩手は美しい。岩手山、好きです。北上川も好いです。
陸軍幼年学校や士官学校の教育は武士道を現代に具現化しようとしたものではないでしょうか。その結果が、昭和の軍閥でしょう。主あっての武士、天皇あっての帝国軍人です。百姓のための武士でも、国民のための軍人でもない。沖縄や満州に象徴的に現れていると思います。
防衛庁は防衛省に昇格しそうです。組織替えにはそれほど問題はないと思うのですが、「非合理的な」軍人精神の復活は困りますね。「特攻賛美」などは非合理そのものだと思います。
本当にそうですね。一部の例外を除くと所詮自分とか所属する団体のための方便としての皇国精神であり武士道だったかと思います。
そういう精神の中に所属する団体を一義とするモチーフが潜んでいるのでしょうか。