雨中の民族村と華の城 腹減った!マシゲッタ! ソウル紀行 (4)
2006年 10月 26日
ソウルから30分、ワールドサッカー開催にあわせて立派になった水原駅に降りて観光案内所に飛び込む。とても丁寧にいろいろ教えてくださる。
そのアドバイスに従いまず無料送迎バスで小一時間(渋滞のため)かけて「韓国民族村」に。
南北各地方の古い伝統的な農家、民家、寺、両班屋敷、役所などが200ほどあって見飽きない。
降りだした雨が色づいた木々や畑、藁屋根などにしっとりとした落ち着きを加える。
こんな家も村も始めて見るのに懐かしい気持ちに浸される。
懐かしいばかりではなく役所の中庭には棒叩きの刑のための台があってギクッとする。
雨で濡れてなければSU君を腹ばいにさせて縛り付けて見るところだったと恐ろしいことを言う人がいる。
役所の裏手には監獄もあって牢屋の中には拷問の道具とか首枷をつけられた囚人の人形。
なぜかコインが投げ入れられていた。この写真の隣りの房は男囚のせいか首枷をつけられているのにずっとお賽銭は少なかった。
三時間近く歩いても全部見きれない。お腹が空いたので昔の市場を模したテントのフードコートで昼食。カルグワクスと言うシンプルな麺と豚の腸詰。何を食べても旨い旨い、と言うものだからSU君に冷やかされる。
「チャングムの誓い」の撮影はここや後で行った華城などアチコチでなされたようで随所に説明板がある。
心残りだけれど後は片目で見てくれと言われ急ぎ足で再びバスに乗り水原駅に戻る。
タクシーを飛ばして世界文化遺産・華城(フアソン)へ。朝鮮第22代正祖大王が1796年に築いた城。
総延長5.5㎞の城壁、楼門、東西の将台(兵士の指揮所)など40を越す施設があるが、見たのはその一部。右は長安門、大きくて立派だ。
草臥れていたが、「歩こう!」のかけ声のもと「華城行宮」に。
途中で果物屋のオバサンに「ハングン!」とわめいて道を教えて貰う。
来る途中でタクシー運転手さんが、そんなことを言ったように聞こえたのだ。
通じて行き着けたのが嬉しい。
かなり駆け足になった。ここもチャングムやこれから人気が出ると予想される映画「王の男」の撮影にも使われた施設が多い。右は長安門の天井。
帰りはメトロでソウルへ。一時間かかる。
夜は前回美味しかった「カムジャタン」。今度も美味しい。でもなんだか量が少ないように感じたのは腹が減っていたからか。
隣りの席に若い男たちが5人ほど来たのはいいが異様に無口、どうも仲違いしたグループのようだ。それを言ったらS君が「彼らは入ってくるとき日本語でしゃべっていた。せっかく一緒にきたんだからもう少し楽しそうにすればいいのに」と言った。
前回と違ったのは鍋の最後に汁だけにして米と海苔を入れて素早くかき回しながらチャーハンのようにして食べること。前回はそのことを知っているメンバーがいなかったのだが今度はNさんと言うちょっとした韓国通がいるのだ。
「マシゲッタ!」おいしそー!と言う意味だって教えてくれたのもNさん。
ほんとにマシゲッタで実際に美味しかった!
今夜でソウルの夜はお終い。
ミョンドン餃子と言う有名店もチエックだ。4人で一皿のマンドウをとって食べる。いける。
800円くらいか。
ついで民族酒店なるところに繰り込みそうめんとドンドン酒。これはあまり感心しなかった。
足のマッサージもしてホテルに帰ると1時を過ぎていた。
おとなしいもんだね。
イーホームズの件は有りそうだが、それにしてはマスコミの徹底的無視振りが不可解です。特ダネ、週刊誌の記事を手に総理に迫った民主党議員などからすれば大特種だと思うのですが。
韓国の城は山城を除くと都城です。ソウルのように城壁で囲われた都市ですが,華城は城壁で囲こまれ,いくつかの建物もできましたが,政治を行う正殿を建てるまでには至りませんでした。ですから,彼はここへ何度も来ますが,その折りに宿泊するのは仮宮殿,つまりは行宮でした。
正祖は朝鮮王朝中興の王とされますが,歴代の王の中では抜きんでた革新派でした。彼は48歳で死にますが,もう少し長生きしておれば,その後の朝鮮史はずいぶんと変わったように思われます。彼の死後,華城は放置されたままだったようです。
48歳で志半ばで亡くなった王のエピソードでも聞いてからあの城を見ていればもっと感慨も深かったと思います。
ナントモやさしい感じがしました。