江戸っ子だあ? 鼻持ちならねえ あっち行ってろってか 江國滋「落語美学」(ちくま文庫)
2006年 10月 09日
1965年単行本が出ている。
当時も落語ブームだった。
各大学に「落研」、オチケンなるものが出来て話題になっていたが、著者は
若い人たちの間に落語熱がたかまるのは、まことに結構なことだが、さりとて、落語というものを必要以上に買いかぶりすぎるのもどうかと思う。と言う。
落語というものは研究だの鑑賞だのと開きなおって聴くべきものだろうか。気随気儘にふらりと聴いて、アハハと笑いのめす、それでいいのではないか。
と言いながらも落語が幅広い年齢層、有名知識人からお年寄り、学生、若いOL(懐かしいねBGと書いている)までに愛されていることについても誇らしげである。
つまり落語大好き人間。
落語の魅力とは何か?
誇張のおかしさ、独特のリアリテイー、哀しさ、幻想、場面転換と省略、仕草の妙味、題名とサゲのそれぞれについて具体例で説明する。
具体例を読んでいるだけで面白い。高座が目に浮かぶ。
「落語への招待」という第一章だ。
落語の哲学とは?古典落語に表れる金、色、生活の知恵、道徳、、についてのフカーイ・スルドーイ哲学、これも実例で。
「裸の江戸っ子」という章。
落語に描かれる江戸っ子の生態を分析して欠点だらけの嫌なところもたくさん持ち合わせてハタメイワクな連中なのに、落語に登場する江戸っ子の印象が快いのは
彼らがみな一様に善良であり、しかも、すべての人間に共通する欠点、弱点を、はばかるところなく露出しているからである。と書いているのは同感だ。
<きっぷのいい、しかし欠点も多い善人>と言う落語の人物設定凡ならず
現実の江戸っ子に対しては
愈々本当の江戸っ子がやって来たら、多分諸君は逃げ出されるでしょう。あんな奴は困るから留守だといえ、ぐらゐなことをいわれるかも知れない。という三田村鳶魚の言葉を引いて
まあ、このへんが妥当な見方のような気がする。と書く。
山の手の法律家の息子として育った著者の江戸っ子・落語感が「志ん生的、文楽的」を書いた平岡正明が本郷に育って落語の中に自らの本質を探り続けていくようなのとは違って、ある種爽やかで”普通の市民感覚で見た”分りやすいものになっていると思う。
(平岡には「大落語(上・下)」というこれも途轍もない代物もあるのでいづれ紹介する。)
もうひとつ、俺たちは江國というと晩年(享年62)の風貌で覚えているがこの本は彼が31歳の時に書いたということ。
平岡が60年代をハルカ昔に経験した上でたどり着いた現在、江國の死の年齢で書く文章とは異なるのは当然だ。
落語入門的な部分の後に「芸の人びと」と題して、正蔵(いうまでもないが先代)他、何人かの噺家との交友が語られる。
どれも滋味に富んだエッセイだが、とくに八代目可楽の死を書いた「戸山ヶ原の驟雨」が印象的だ。
他に著者の創作になる新作落語や落語にちなんだ世相談義も収録されている。
それにしても30ソコソコの青年が書いたにしては老成すら感じさせる文章ではある。
それこそいろいろ難しく考えないで
取り上げられている落語のサワリを読んでいるだけで楽しい。
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