「容疑者Xの貢献」について 再々論 飲酒運転は全員クビ論についても
2006年 10月 03日
要は死体をひとつ用意するだけのために罪もないホームレスを殺す、その殺すことについてまったく何の斟酌もない、味も素っ気もなく殺してしまっている小説であること、そういう小説が殆ど満場一致で激賞されて直木賞をとったこと、”無私の愛”などと言って持ち上げる売り方などは問題だ、と言った。
殆ど独り言みたいなものでマスコミや多くの書評でその点については触れたものは無く、どちらかといえば”絶賛”を浴びた小説と言うことになっていた、
と思ったら、先日別のことを調べていてびっくりした。
今年ミステリ界ではこの小説の評価をめぐって論争があって
その過程で笠井潔がこんなことを書いている。
『容疑者Xの献身』の場合、片思いをよせる女に偽アリバイを保証するには一箇の屍体が必要だというだけの理由で、無関係な第三者を殺害し屍体を損壊する犯人の異常性に、ほとんどの読者は抵抗や反撥を覚えた様子がない。「命がけの純愛が生んだ犯罪」、「男がどこまで深く女を愛せるのか。どれほど大きな犠牲を払えるのか」という出版社の惹句は、大方の読者に反語でも皮肉でもないものとして受容されたようだ。引用の引用で全文を読んでいないからもしかすると俺は笠井の言おうとしていることを間違って受けとめているかもしれない。
二一世紀社会の現実を、この作品は正確に反映しているかもしれないが、たんに反映しているにすぎない。ホームレスが見えない社会への違和や反感は、拭い去られたように消失しているのだ。
そういう保留つきだが、やはりホットしたのだ。
俺と全く同じ事をいっている。
俺と同じような受け止め方をする実作家・評論家もいたということ。
理屈じゃなくて気持ちの問題だ。
飲酒運転で検挙されたら自動的に解雇すべきだ、という”正論”?に何となく違和感を覚えるのも気持ちの問題だ。
俺も飲酒運転はケシカランと思うし自分もやったことはない。
酔っ払い天国なんかおかしいとも思う。
今までよりも厳罰もムベなるかなと思う。
でも交通取締りで捕まった結果が雇用主には伝わらない、だから社内処分なんてない企業が多かった。
事故を起こしたって会社にわからければそれまでだった。
それが今度は発覚したら突然全員クビというのには違和感がある。
自治体職員だから厳しくと言うのはもっと違和感、
タレント、センセイ、経営者、、それはいいの?
「クビになりたくなければ飲んで運転しなきゃいいんだ」。
ごもっとも、でも・・・。
ホームレスになったについてはそれに似た台詞を何回も聞かされてきた人もいるんだろうな。
「ソウナリタクなければソーユーことをしなければよかったんだ」ってね。
「言ったでしょ!そんなことしちゃいけないって」。
俺も随分そういうことを言われて生きてきたし自分自身にも言い続けている。
言い続けても治らないンだけど。
写真は今日仕事で3キロ近く歩いて腹が減って・・見つけた蕎麦屋、杜仲蕎麦、玄関に河童の夫婦がいたのが嬉しかった。
パンダや狸もいたけれど最近河童がすっかり影が薄いからなあ。
店内には若き長島のポスター、こういう店はうまいもまずいもない。
ホームレスをそれに使うのはあまりに安易・・・。
どうして主人公が殺人を犯してまで
片思いの女性に献身するのか・・・。
この作品を褒める人って本気で褒めてるのかな。
直木賞っていつもこんな感じですね。
私はそこまで考えずに書いたのでした。