ブリ大根が蘭堂漬けが 渋谷・「三漁洞」も健在だった
2006年 10月 02日
井伏の釣友が福田蘭堂、ヒャラーリヒャラリコ、だーれが吹くのか不思議な笛だ、の笛吹童子、分んない人には全くわかんない、わかる人にはヒツコイ!といわれるあのランドウさんが始めた店、彼の息子が石橋エータロー、もっと云えば明治の画家・青木繁の息子と孫の店。
今は奥様がやっているのかな。
昔、西郷山の近くに住んでいた頃、仕事の帰りが早くなったときなどわずかな酒を飲みに寄った店だ。
一年以上のご無沙汰だった。
急に来たくなって小雨の中をひとり飛び込んだ。
着物に真っ白なエプロンの三人いる内一番若い子が愛想がよくてニコニコしている。
よぅみるとみんな愛想がいい。
メニューを見ると「焼きナスのゴマ風味 800円」がある。
三行目に又ある。
落語の富くじじゃないけど一字づつ較べても同じだ。
「これ、同じ?」
「アラ、いやだ、気がつかなかった!」
「上に書いてあるのと下のとどっちがうまいんだろう?」
「ソリャ、上です」
「じゃ、上ね。間違えないようにね。」
くっくっと笑いながら引っ込む。
よく冷えた焼きナスの上にゴマダレがかかって、さすがに上はうまかった。
次の注文でメニューをみたら下はなくなっている。
「石川小芋は今日からです」
「そう!じゃ俺が一番目の客かな?」
「いいえ、さっきこの席にいらした方が一番目です」
正直でよろしい。
塩で食う衣かつぎ、うみゃあな。
名古屋ではショウガ醤油で食うんだ。これも懐かしいけど、ここでそういうことは止めよう。
あっちの席でおかみらしき人が説明している声が聞こえる。
「これは愛知のナントカノ銀杏で8月に取れる・・」
こちらに呼んで聞いてみる。
「ナントカって?」
「トークローです」
「唐九郎?」
板場で聞いてきて
「藤九郎です」
きいろくなる前、翡翠銀杏というそうだ。
銀杏を焼く香ばしい匂いが店に漂う。
ひとりなのになんでこんなに楊枝をつけてくるんだろう。
おじさんたちの笑い声も弾ける。
15人ほどの内タバコを吸っている人が2人しかいない。
隣りのオヤジ二人は「シャチョウ」の「シャ」にアクセントの関西の人と関東の人
人事の話とかしていたがどうやら関西訛りの人が関東人の会社にトレードして欲しい
そういう下心をお互いに承知の助で、遠まわしにいろいろ話しているのがじれったい。
頼んでから気がついたら全てのテーブルがオーダーしていたブリ大根
お好みでという一味がからりとしたいい味だ
菊水の燗を三合、喉の渇きを生ビールで癒して
ああ、いい気持ち。
帰るさ、かなりの雨、おかみが「駅で捨ててください」といって傘を貸してくれた。
今朝(10月3日)のThe Japan Timesに「所信表明演説」の全文英訳が掲載されています。問題の「再チャレンジ」は ….a society of opportunity where everyone has a chance to challenge again. と「challenge」の動詞を使っています。ちょっと違和感を覚えます。draft訳は当然日本人が担当し、ネイティブ・アメリカ人が仕上げたはずですが、私は「challenge」という動詞をみると、先ず「異議申立てをする」「再審、...... more
左手でパチンコ台の受け皿から玉をさらい、掌中の玉が必ず二十個になるよう努力を重ねた。 数週間でこれが出来るようになる。 この二十個をリズミカルに一個一個投入し、右手の親指でハンドルを弾いて行く。 釘の開き具合と角度を吟味し、二十個中的中玉三個を目標にして打ち続ける。 一箱四十円のショートホープを、景品買いに渡すと二十五円で引き取った。 台を見抜く目とちょっとした修行をすれば、パチンコは儲かる時代だった昭和の三十年代、澁谷はわたしの遊び場だった。 馴染みの酒場、喫茶店が出来て、ショートホープ...... more
ああ、食べたいなあ。焼きなすのゴマ風味、大好きです(笑
やっぱり私は食欲の秋です。
白いご飯もいいのでしょうが今日はご飯の汁でした。
ナスは毎日でも食べたいトキですね。
笛吹童子、紅孔雀、三日月童子、霧の小次郎。
場末の、土間のままの、木のベンチの映画館。
夕暮れ時に真空管式ラジオから流れる、ヒャラ~リ ヒャラリコ。
板の間の、60ワットの下のちゃぶ台。
釜で炊いた焦げの多いご飯、七輪で焼く鰯の一夜干しに味噌汁。
同じ場所に住んでいますが、時間だけではなく、はるか遠い空間の出来事のように思えます。
子供に娯楽を与えようとしていたような。
だから、大人も聞くのを許してくれたような。
テーマソングも何もかも、一所懸命でした。
今は、ただの娯楽?
コナン君もドラちゃんもシンちゃんも、まあね、いいけどね。
時代が違うといえば違うのか。
マスメディアの一所懸命さがほしいです。
話の経緯からして小滝橋のご隠居にも声を掛け、勘定こっち持ちで行かざあなるめ~状態に陥りました。
ウ~ン、参った参った。
『魚』から『漁』に変えたのかな?それとも私の記憶違い・・・・・?
今はいい人の顔をした悪役がはびこっている。
貧しい夕餉の時間帯だったと思いますが、唯一の娯楽であって絶対に忘れられません。
とここで上を見ましたら、きとらさんが情景を書いておられました。
そのずっとあとテレビの最初が月光仮面でした。
お酒が本当に美味しい小料理ですね。和食の傑作の1つぶり大根だけはいつも美味しく作りたい。
映画になるのも楽しみでした。
いい店ですね。
過当競争の飲食業界はおふくろの味を制する店が生き残ります。
確か,吉田義夫だったと思います。悪役と言うよりも敵役で,大物の敵役は水戸黄門以前の月形竜之介,小物の敵役が吉田義夫などでした。東映時代劇には欠かせない1人でした。みなさん懐かしそう,私にも懐かしいセピア色の遠い時間。
切られてもだえるときに映画館から拍手が沸いたことも覚えています。切ったのは中村錦之介、東千代之介。
そうです。
こちらが捻ったつもりの冗談を言うと更に捻った返事が返ってきます。
先日悪友共と行ったとき、悪友の一人が「こないだ羽田へ潮干狩りに行ってアサリを獲ってきたけど油臭くて食えなかった」というので皆でコケにして笑っていたら、女将さん、ニコリともせず「はい、羽田のアサリです」!
本当は浜名湖産のはず。
そんな店です。
又行きたくなりました。
共通の思い出があるということの幸せですね。