その玉葱を食べなかった俺だよ ヨッパラって帰る毎日だもの

ブログを初めて14ヶ月あまり、スランプが来るという話は聞いたけれど、今それに近づいているのかも。
ネタは、映画、落語、曼荼羅展、美味しいもの、本、経営一般・・いくつかあるのだが。

5日読売夕刊に吉村昭さんへの追悼を鵜飼という記者が書いている。
お別れ会で夫人が涙で声をつまらせながら明かした最期。
「延命治療はしない」と遺言状にしたため、自ら治療具を引き抜いて「死ぬよ」。そう言ったというのだ。
お別れ会は簡素な無宗教式だった由。

やはりこういうときは母の声を聞くにしかず。

霞草も小菊も白く供へけり

思ひ切り夏惜しむ夜の観覧車

布巾洗ふ夕べの安堵風涼し

玉葱をゆっくり炒め日永かな

思ひ出は生きゐる証し蝉狂ふ

その玉葱を食べなかった俺だよ ヨッパラって帰る毎日だもの_e0016828_21142718.jpg



たしかに親子で共に暮らした日々があったのだ。
生きていれば思い出すことができる。
それがせめてもの・・。
Commented by antsuan at 2006-09-07 21:51
想い出とともに昔の人の気持ちが分かる歳になってしまいました。
夏の残光がより一層心を焼き付かせます。
Commented by saheizi-inokori at 2006-09-07 22:10
いささか手遅れかとも思うけれど死ぬまで分からなかったというよりも良いかな、と。自らを慰めています。
Commented by sakuraasako at 2006-09-07 23:32
スランプの佐平次も、たぶん、すきだよ。

明日、仕事帰りに田中秀征さんの本、買うつもりです。
Commented by saheizi-inokori at 2006-09-07 23:53
asakoさん、田中さんは嘘が無い人だと思います。シャイではあるけれど。やさしい人です。
Commented by seilonbenkei at 2006-09-08 06:36
ネタはいくらでもあるのに、まとまらない時ってありますね。そんな時はきっと、思いつきを口にしただけなのだと私は思っています。ブログやってる人はたいてい文章力がありますから、強引にオチをつけることは難しいことではないと思うのですが、自分の気持ちにオチがつけられないのでしょう。だから落ち着くために誰かにすがるのかなぁ。素直なsaheizi-inokoriさん、素敵です。
Commented by みい at 2006-09-08 10:54 x
>布巾あらふ夕べの安堵風凉し
お母様のまわりは、ゆっくりと穏やかな時が流れていたのですね。
短い人の一生なのに、いろんなことがありますね。そしてすべてが思い出になる・・・・のです。
Commented by saheizi-inokori at 2006-09-08 12:11
seilonbenkeiさん、asakoさん、ありがとう。元気が出てきました。
今朝の朝刊で安倍氏が「大戦の歴史的評価は歴史家に任せておけば言い」みたいな発言をしているという記事を読み何たる卑怯者、ずるい奴と腹も立ちましたし。
Commented by saheizi-inokori at 2006-09-08 12:14
みいさん、ゆっくりと流れる時の底に哀しみや不安があったのでしょう。それを押さえ込むというわけでもなく、そのままに布巾を洗っている母の後姿が見えるようです。風の涼しさを感じてくれたことが救いです。
Commented at 2006-09-08 19:57 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ふく at 2006-09-08 20:25 x
こんばんは。
吉村さんのお話は、父の死への行進のような4ヶ月にも及ぶ入院の日々と重なりました。
同じ病気でした。
さぞ、父も抜きたかったであろうと、今も、その姿を想うと、
子として、もっと何かができなかったかと悔やみます。
親子というのは、永遠に親子で、彼がどんなことを悩み、
楽しみにしていたかは、家庭の中の顔しかしらなかったなーと、
葬式のあとに、お寄せいただいた、父の表の顔を知る方々の話を聞き、
思いました。
そういえば、私のことも、夫や子供が全て知っているわけでなし。

お母様の玉ねぎは、召し上がらなくても、作っていたいうことが、
お母様には幸せだったかも。

想う気持ちは、天に通じると想います。
大好きな中野孝次さんの死へ闘病日記も、この夏の私の衝撃でした。

ブログのありがたさ、今の時代に必然となっていること、感じます。
Commented by sakura at 2006-09-08 21:45 x
お母様のお声が聞こえる幸せ・・・いいですね。
素晴らしい俳句! じ~んっ としました。

私は尊厳死協会に入って延命治療はしないように
子供にも申しております。が
自分で延命器具を抜かれた吉村さんの死にざまの凄い事。
お傍におられた奥様は さぞやお辛かったでしょうね。
Commented by saheizi-inokori at 2006-09-08 22:39
tonaさん、恐縮です。皆さんに読んでいただきコメントを頂くことが励みだというのは本当ですね。
歌集、句集は一冊しかありません。
こうして書き抜くことで私自身が救われています。
Commented by saheizi-inokori at 2006-09-08 22:42
ふくさん、妻の場合途中でホスピスに移ったことで私の気が狂わないで済んだような気がします。
死ぬということは大事業ですね。
Commented by saheizi-inokori at 2006-09-08 22:45
sakuraさん、早くにいっておけば良いのですが妻の場合、病気が進んでから尊厳死協会に入ったら、留守宅のコドモに「こちらは尊厳死協会です。お名前を確認します」みたいな電話が入って慌てましたよ。
Commented by ふく at 2006-09-09 00:36 x
本当に、死は大事業。一人だけの人生だけでなく、
家族、友人、社会的関係を全部巻き込み、
しかも、ずうっと、生きてる者の中で、
引きずっていきますものね。
それに比べれば、出産は、大変だけれど、めでたい限り。
大いに、出産すべしと、キャリアの女たちにいいたいなー。
生めばなんとかなるよって。確かに、政治的援助はまだまだだけど。
仕事もいいけど、赤ちゃんを得る人生の広がりは、
お金では買えませんものね。

ごめんなさい。違う話になってしまった。
尊厳死協会・・考えます。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by saheizi-inokori | 2006-09-07 21:27 | わが母と祖母の遺したまいしうた | Trackback | Comments(15)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori