その玉葱を食べなかった俺だよ ヨッパラって帰る毎日だもの
2006年 09月 07日
ネタは、映画、落語、曼荼羅展、美味しいもの、本、経営一般・・いくつかあるのだが。
5日読売夕刊に吉村昭さんへの追悼を鵜飼という記者が書いている。
お別れ会で夫人が涙で声をつまらせながら明かした最期。
「延命治療はしない」と遺言状にしたため、自ら治療具を引き抜いて「死ぬよ」。そう言ったというのだ。お別れ会は簡素な無宗教式だった由。
やはりこういうときは母の声を聞くにしかず。
霞草も小菊も白く供へけり
思ひ切り夏惜しむ夜の観覧車
布巾洗ふ夕べの安堵風涼し
玉葱をゆっくり炒め日永かな
思ひ出は生きゐる証し蝉狂ふ
たしかに親子で共に暮らした日々があったのだ。
生きていれば思い出すことができる。
それがせめてもの・・。
夏の残光がより一層心を焼き付かせます。
今朝の朝刊で安倍氏が「大戦の歴史的評価は歴史家に任せておけば言い」みたいな発言をしているという記事を読み何たる卑怯者、ずるい奴と腹も立ちましたし。
吉村さんのお話は、父の死への行進のような4ヶ月にも及ぶ入院の日々と重なりました。
同じ病気でした。
さぞ、父も抜きたかったであろうと、今も、その姿を想うと、
子として、もっと何かができなかったかと悔やみます。
親子というのは、永遠に親子で、彼がどんなことを悩み、
楽しみにしていたかは、家庭の中の顔しかしらなかったなーと、
葬式のあとに、お寄せいただいた、父の表の顔を知る方々の話を聞き、
思いました。
そういえば、私のことも、夫や子供が全て知っているわけでなし。
お母様の玉ねぎは、召し上がらなくても、作っていたいうことが、
お母様には幸せだったかも。
想う気持ちは、天に通じると想います。
大好きな中野孝次さんの死へ闘病日記も、この夏の私の衝撃でした。
ブログのありがたさ、今の時代に必然となっていること、感じます。
素晴らしい俳句! じ~んっ としました。
私は尊厳死協会に入って延命治療はしないように
子供にも申しております。が
自分で延命器具を抜かれた吉村さんの死にざまの凄い事。
お傍におられた奥様は さぞやお辛かったでしょうね。
死ぬということは大事業ですね。
家族、友人、社会的関係を全部巻き込み、
しかも、ずうっと、生きてる者の中で、
引きずっていきますものね。
それに比べれば、出産は、大変だけれど、めでたい限り。
大いに、出産すべしと、キャリアの女たちにいいたいなー。
生めばなんとかなるよって。確かに、政治的援助はまだまだだけど。
仕事もいいけど、赤ちゃんを得る人生の広がりは、
お金では買えませんものね。
ごめんなさい。違う話になってしまった。
尊厳死協会・・考えます。