お店でいばってもシャアアンメー 食堂はみんなの休憩室だよ
2006年 08月 23日
「今日の定食」板を見るのが嬉しい
サンプルなんて置いてないからこれを見ながらワクワク
「カレイと野菜煮」「がんもとヤサイ煮」
カタカナと漢字とひらがなと使い分けがイイネ
がんもに決めた
「カレイってなに?」
いきなり大きな太い声
「魚の煮付けですが」
カレーかもと思ったんだろうな、でも野菜煮と一緒に出すかい?
「鯖でいいや!鯖の塩焼きっ」・・「それと卵焼きっ!味のないやつ」
書いてみると感じが出ないかもしれないがその場で聞くと
大変押し付けがましいというか 有無を言わさぬしゃべり方
思わず横目で見ると
デブ デカ鼻 薄い縁のメガネ 白ワイシャツ
壁によっかかっている ソンダイ
別に肉体的特徴が気に入らないってワケじゃない
偏見も差別意識もないです
でも、ぴったりなんだな あの物言いが
携帯がかかってきたらしい 部下から?「ああ?ウン ソウダロ」
なんだか俺まで怒られているような突き放した物言い
「いいか!じゃ、俺は飯だから」携帯だからガチャンとはならないが
小さい店 働いている人たちが昼食に来る店 できたら気持ちの良い態度・物言いをして欲しい
「○○でいいや」はないだろう!
こんなうまいものを
「やつ」ってなんだい!おまえのことか?
帰り京浜東北線、車掌が落ち着いた声でアナウンス
「いつものお願いですが車内での携帯電話のご使用はお控えくださいますよう ご協力をお願いします」
普通の声で普通に 「ご理解と・・」がないだけでも気に入った
でも子供と大人、しかも公共空間での一見管理職の男がやることではないですね。まあ、そういう人にありがちなのかもしれませんが。
お店屋さんでの態度が横柄な人とか、スーパーでものを戻すときポンと投げ捨てている人とか見ると、この人、一生変わらないのかなあと思います。
それにしても、飽きのこないようなふんわりとしたメニューですね。
結構気にすると気になる○○でいいや、という言葉です。
昨日は定食に納豆をつけました。しっかりかき回していただきました。嫌な親爺め!と思うとかき回し甲斐がありましたよ。
といいながら自分もまったく無罪かと問われれば・・心当たりはありますね。人の振り見て・ですね。
一緒にいって注文するときに上司と同じものを頼み「同じでいいです」とか「A定でいいです」というのも気になります。
まあ、昨日は三拍子というかどこから見てもパーフエクトな嫌らしさだったからなあ。
「言葉に対する感度の低い人」って表現、いいですね。
本当にその通りだと思います。
もっと言うと「人に対する感度の低い人」って感じでしょうか。
謙虚さがない、他人に気遣うことのない世界は争いが絶えません。
お互いに認めあうことで、初めてコミュニケーションが成り立つ。
そういうことでしょうね。
田舎にそういう物言いをあまり見ないのは、
世界が狭く、おそらくみんなどこかで知り合いだからかな?(笑)
やはりいつも匿名性のなかでぎすぎすとおしあいへしあいしていると言葉は用件のみを伝える道具に成り下がってしまうのでしょうね。
田舎で「いい天気だなあ」と言い交わすときはもっといろいろな感情が込められていますよね。
よく行った打ち放ししに青木功の兄さんと言われている人がいました。
シャアアンメーは青木の専売みたいな言葉です。
彼は昭和17年生まれで小生と同年代だが勝負の世界を生き抜いた
独特の雰囲気があるります。良きに着け悪きにつけです。
このシャアアンメーは彼の言葉を想起して使いました。なんとなく使いたくなりました。それが散歩好きさんのコメントになって跳ね返ってくるのが言葉の面白さ、言霊といわれる所以でしょうか。
ときどき、使わずにどういうのかとっさに困ることもあるけれど、考えて工夫を繰りかえせば、きっと何かしら進歩がある(?)かなぁと思って、こっそり奮闘します。
「実るほど頭をたれる稲穂かな」でしたっけ?
そんな言葉を思い出してしまいました。
公共の場で横柄な態度を取る人って、結局は自信のない人なのでしょうね。
根っこの部分での自信のなさが、偉そうな態度として外部に表れるのでは?と思っています。