なつかしの会津 久しぶりに会ってみたら 堰を切ったように想い出が 会津三泣き!
2006年 08月 21日
ススキやミソ萩を少しばかり今夜の囲炉裏集会用に切らせてもらう
右は猪苗代・「しおや」 細いが腰の強いそばだ
夜半、ふっと目が覚めると網戸にして開けてある窓から外が見える
視界の半分くらいが黒々とした森
その森の木々の上に縦にテンテンテン、明かりがともっている
とおもったらそれは星!ビックリするくらい大きく見える
起きて窓に取り付いて見ると 星はそれだけではない
メロンのような三日月も浮いている
これは!と 土間から鍵を開けて外に出てみたり すっかり興奮してしまった
朝飯前に近所を散歩する
大塩に抜ける街道を挟んで点在する40戸もあるだろうか 営業しているのかも定かではない民宿・旅館・普通の民家、どれも高い二階や玄関の前をブロックするなど雪国仕様
どこも早起き、収穫した大根を洗っている人、どこかに向かう人、畑に出ている人、、出会うとどちらからともなく「おはよう」と挨拶しあう
「どこからきた?」と尋ねる人や「これは山百合だよ」と玄関先の鉢を示す人もいる
どのうちにも同じように季節の花が咲いている
東京などの住宅地に見る”ガーデニング”をしています、というように整然とデザインされて栽培されているのとは違い”空いてるところに適当に咲かせてる”というゴクゴク自然なたたずまいが気持ちを安らげてくれる。
昨夜庭に咲いたものだとグラジオラスの花を宿の友人に持ってきてくださったのはどなただろう?
「熊」と書いてあるうち 表札をみたら「熊○」という名前の人だった
”戦いは終わっていない!?”
朝食後喜多方へ 新宮熊野神社へ 1089年源義家により創建 直径45・4センチの円柱44本が3メートルほどの間隔で並んだ拝殿・長床は国指定の重要文化財
右は宝物殿にある「木造文殊菩薩騎獅像」全長285cm 鎌倉時代初期
会津坂下・「上宇内薬師堂」に「薬師如来坐像」を拝観 徳一大師が会津五薬師として配したひとつ 950年頃
俺は若い頃会津坂下で一年間働いたことがある 長男が産まれた頃 わが社会人生活振り出しの地と言ってもよい 今回まさかここに来れるとは!夕べの宿の主人が用意したサプライズ 嬉しかった!
右はその主人が釣って置いてくれた岩魚、塩焼きとから揚げで から揚げが特にうまく揚げたてを何匹食べたかなあ
”会津三泣き”という
遠隔の雪国への転勤命令で泣き泣きやってきて直ぐには溶け込めないので泣き 月日を経て実は会津人の温かさに泣き 離任の際に別れの辛さで泣く それほどの会津の人々の情の厚さ、というわけだ
俺は最初の泣きがなくいわば二泣き 仲間に転勤の挨拶をするときに泣き出してつられておじさんたちも昼間から大泣きしたことが忘れられない
お蕎麦もぬか漬けも、天ぷらもおいしそう。。。おなかがすいてきました。
そしてまもなく秋、今度はいっせいに紅葉が始まり・・直ぐに散って・・長い長い冬になります。
ぞうりが巨大ですね。
岩魚のから揚げがいつか食べたいです。
オイランソウだかクリンソウ?とかいろいろ咲き乱れていて美しい会津の風景、一緒に行ったような気になりました。
今度日本へ行ったら「訪れる場所」が増えました!
ソバは水ソバと言って水だけで食べる、それほどうまいソバが有名です(もっとも私も未体験ですが)。