くたばれ”成果主義”  ゴマスリ出世は社員の敵だ

昨日、アップした「働くということ」にも書かれているが業績給は、もともと職工など数値として出来高が明確になるところから始まった。

ホワイトカラーなどについて年功賃金制度は出世・昇級段階での人事評価があること、能力と努力の両方を考慮して、同僚との協力なども判断して決まっていくならば有効なものと思われた。

それをぶち壊したのはサッチャー革命だ。
公共部門の雇用制度の民間部門への普及というそれまでの傾向を逆転させて、民間の直接的・金銭的インセンテイブを重んじる雇用制度を個人主義的競争社会への移行の一環として公共部門に導入しようとした。

それからの世界的な成果主義・業績主義の賃金制度は日本でも猛威を振るう。
実態はともかくいまや多くの企業が業績給制度を取り入れている。

俺はかつてこの問題についてもかなり勉強をした。
コンサルタントにも相談して社内でも何回も説明会や意見聴取をした(今はメールという手段があるから匿名でいろいろ聞ける)。
イザ、今年から、となってやめてしまった。

くたばれ”成果主義”  ゴマスリ出世は社員の敵だ_e0016828_0231581.jpg

その理由は、どう考えても中間管理職が公平・公正な人事評価をしそうも無いとおもったからだ。
それは当時、会社を”上目づかいのひらめ集団・己が煮えたもご存じない茹で蛙集団”から”お客様第一・現場第一の集団”に変えようと命懸けだった俺からみたら、まだまだオジサンたちのベクトルは信用できなかったからだ。

親会社はもっとひどい。”スローフード”の意味も分からずフアーストフードの反対でゆっくり食べることだと思っているような連中が子会社の幹部の人事評価をしていた。

成長段階・右肩上がりの時代なら数字的に伸びていれば業績があがったとして報酬も上げてもいいだろう。
今のように新しい価値観を問われる時代には上司が評価する成果主義と言うものは改革の芽を殺す。
当たり前だよね。今までの人のやったことを否定するのが改革だもの。

俺は悪平等の恐れがあっても年功給のほうがよほど好きだ。サボっている人の分くらい働いてやってもかまやしない。
それよりもアホなゴマスリに俺の給料まで持っていかれる方が腹が立つ。

最悪はそういう風土が出来てしまうことだ。
本当のことを言わなくなり上司にこびへつらう。
民営化によってゴマスリ集団になっていった例は多い。
官僚としての非効率、前例主義も困るが民間会社としてなりふりかまわぬ利益・効率至上主義、志のない保身社長に物言わぬ集団化するのも、公共を民営化する時代には恐ろしいことさ。

実のところ殆どの企業は成果主義の大義名分とは別にホントの狙いは全体としての人件費圧縮(社員は今まで以上に働いて会社の利益も上がっているにも関わらず)なのだ。
そんなやり方は結局長続きするはずがないのに。

(写真・南青山・「カルミネ」オーナー・シエフ。大企業のような甘ったるい人事管理では店は一日として持たないだろう)
Commented at 2006-07-27 23:41 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2006-07-28 11:58
田舎はいろんな行事が一ヶ月遅れ。七夕も8月だったよね。行けるかなあ。
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by saheizi-inokori | 2006-07-27 00:30 | 梟のゴタク | Trackback | Comments(2)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori