「俺の屁だ けえ(返)せ」ってか ヘコ半のルーツは? 平岡正明 「志ん生的、文楽的」(講談社)

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文楽(8代目)を論じると志ん生がはだかってくるように志ん生を論じると文楽が立ちあらわれる。
という著者が二人の真髄を語りつくす。

古今東西、タテヨコナナメ、驚くべき教養と経験をもとに、あたかもラップのように語る。
その内容は面白く・深い。

「つるつる」「野ざらし」「穴どろ」「富久」「寝床」「芝浜」「居残り佐平次」「らくだ」「締め込み」・・古典落語の至宝とも言うべき演目について、二人の、ときには先代正蔵や3代目三木助なども狩り出されて、演じ方・噺の作り方が比較分析される。

話の後ろに新内、浪曲、歌舞伎、老舎「駱駝祥子」、「水滸伝」、中国の小説・・などの影を見つける。江戸から明治、さらには戦後への日本の市井の移り変わり・庶民たちの心や生活のありようも推理し検証する。
落語宇宙の住民たちの系譜を訪ねる。迷宮と見えて実はネットワークが有る。

これらの落語を聴いたことの無い読者向けに必ず、これまた軽快に(まるで噺を聴いているように)梗概が述べられるから、落語入門(極上の)としても読める。たとえば
ヘコ半の野郎が湯船の中でいい気持ちで「明烏」を歌って、どうした縁でかの人に・・なんてイキんだところでやりやがった。湯の中だからボコボコボコッて泡があがって、ガリガリ痩次の横っ面で泡ひらいて、痩次が、湯がぬるい、屁が臭えと怒ったら、すまねえと一言わびりゃあいいものを、俺の屁だ、返(けえ)せなんて言やがるから喧嘩になったんです姐さん。
わーはっは、志ん生ならではだ。「三軒長屋」のことの起こりは湯舟の中のヘコ半の屁であって、新内とぬる湯の屁というとりあわせがいい。
新内「明烏」の内容とヘコ半対ガリガリ痩次の喧嘩の内容が対応していることを教えてくれる。

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落語は市民の生活場景を描く都市文学であり、その内包する世界の深さ・広がりは世界文学とも言うべきだという。俺もそう思うよ。
見者(ポワイアン)とは、目の前の現象を透してその奥にあるものを見るものだ。梁石日が見者であるように桂文楽も見者である。文楽は金(「素人鰻」に登場するアル中のうなぎ職人)の悪酔の向こうに何を見たのか。江戸の崩壊である。

志ん生は落語のドストエフスキーだろうか、バルザックだろうかと俺は迷うことがある。
「らくだ」の演じ方の中で志ん生のそれを絶賛する。それは
死者が生者をとらえるかたちを古今亭志ん生は知っていた。久蔵(小心者として登場しらくだの兄貴分にこき使われる)が、カンカンノウを踊らせるためにらくだの死骸を生傷男(らくだの兄貴分)に背負わされたときから久蔵に変化が生じている。酒を飲んで変わる以前に、死骸を背負って彼は変わりはじめている。死者にカンカンノウを踊らせるのが面白くなりはじめているのだ。(略)久蔵のアナーキズムは酒の勢いだとは思わない。屑屋久蔵の社会的疎外感が爆発したのである。この演じかたは、名手小さんや可楽をもってしても志ん生には及ばない。小柄で実直な外貌だろう久蔵のらくだ化に、この落語の爆笑がある。
至るところこの調子だ。なんどもひざを打った。

「俺の屁だ けえ(返)せ」ってか ヘコ半のルーツは? 平岡正明 「志ん生的、文楽的」(講談社)_e0016828_21235572.jpg「居残り佐平次」を軸に多くの噺を散らばめた名画「幕末太陽伝」についても評論する。
これはもっと大きな映画になるはずであった、という今村昌平監督の言葉を紹介する。
地方下級武士の半革命的明治維新を、札差でも富豪でもない一介の町人の立場から、徹底的に批判も嘲笑することも出来たはずだった。舞台もよし、人物設定も面白いのだから、図式でなく肉感的に、権力とそれに交替しようとする新権力とを批判し、吹けば飛ぶような軽薄な江戸っ子の、それでも権力に脅えふるえながらの抵抗を描けたはずだった。
古い東京が残っている谷中で子供となった著者の心のどこかに江戸的なものを惜しむ、佐幕的心情があるようだ。

たっぷり!楽しみました。
(中の写真・向かって右が文楽、左、志ん生)
Commented by 散歩好き at 2006-07-24 13:53 x
前述した師匠の会に同級生が集り「はねてから」一杯やると詳しいものがいて今日の出し物は歌舞伎を知らないと解らないとか元は悲劇なのだとか先日は三味線を趣味にしていて出囃子の手伝いをするものまでいた。
話しについていくのも大変だ。此方は千葉産だが下町の者は粋が身に付いている者もいる。
Commented by saheizi-inokori at 2006-07-24 20:38
散歩好きさん、この本によるとまさに悲劇を喜劇に、歌舞伎、浪曲、浄瑠璃・・日本の芸能を料理して落語の世界を創っているようです。私も田舎モンですから目をひらかれました。
Commented by polaris at 2006-07-25 09:58 x
残して置きたい江戸情緒、下座のお囃子、寄席のぼり。席亭の玉置ひろしさんの口上で、長く続いた「ラジオ名人寄席」が終わって、がっかりしています。 夏は怪談噺ですね。  子供のころは、怪談噺を聞いた夜は、
お便所に怖くて行けなくて、隣に寝ている弟を起こして一緒に行ったことがよくありました。
Commented by saheizi-inokori at 2006-07-25 10:28
polarisさんも「ラジオ寄席」フアンでしたか?私は友人があれをテープに取ってくれたのが4・500本あって毎日聴いて寝ます。夜中に目が覚めるとまた聴く。眠り薬です。この本のお陰で眠れなくなりました。マジメに聴こうとするから。正蔵の怪談はやはり気味が悪いですね。
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by saheizi-inokori | 2006-07-23 21:26 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(4)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori