久世さん、サヨナラ。米原万里さんにもよろしく  久世光彦「百閒先生 月を踏む」(朝日新聞社)

久世光彦の最後の長編(未刊)。「死を恐れる百閒」を描くのはいかにも自分の忍び寄る死の気配を感じてのことかとも思うが、もともと久世さんは、現と幻のあわいに生ずる匂いとか色・気配を書いてきた作家なのだ。
「あべこべ」「飲食男女 おいしい女たち」(ともに文藝春秋)はいずれもあの世と通じているような主人公が登場してなんともエロっぽい言動で読むものをたぶらかした。百閒とは多分に重なり合う世界の住人だった。百閒には照れて言えない・書けないことを平気で書いてしまうのはキャラクターのせいか時代のせいか。この小説でも寺の和尚と大黒のからみやらナンやら書いてしまう。

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百閒は借金から逃げて小田原の奇妙な・素敵な寺に住み暮らす。ここはフイクション、この小説はフイクションの部分と事実の部分が混在しているのが百閒フアンには面白い。もともと現実の人間としても奇妙・玄妙、そのままで小説の主人公になるような百閒を小説に(しかもそういう人物が当たり前の世界を)に書くというのは結構しんどいと思うが、まあそれは生の百閒の余徳(?)で救われているのかなあ。

そこで15歳の小坊主・果林に身の回りの世話をさせつつ、毎度抹香町なる色町に果林を帯同し、川崎長太郎と思しき人物と饂飩を食いつつ、”莫連か幽霊かどっちか”の女郎と遊ぶ。果林はどうも久世さんの分身と見えて生意気にも百閒先生の作品原稿を盗み読んでは批評をする。それを気難しい百閒先生がまんざらじゃない顔で聞くのだ。いわゆる「百閒随筆」は世評が高く百閒フアンを増やしたが彼の真価は「冥途」とか「サラサーテの盤」などの短編小説にあるというのが果林、すなわち久世の言いたいことだ。

百閒は師・漱石の俳句を愛したが自身の句は理に落ちて漱石の天性の諧謔・俳味には到底及ばなかった。反面「冥途」は漱石の「夢十夜」に似てそれを軽々と超えてしまった。こういう世界を書いては今度は漱石が理に落ちて面白くない、と久世は書く。そういいながら百閒が書いたという想定で短編をいくつも作中に載せるのだから相当な自負があったね。パステイーシュもしくは文体模写、文章の遊びが面白い。もとよりこういう遊びが面白いのは模倣する側が優れていなくてはならない。
あの手の顔の男に、私が金を借りるはずがない。私だって先方を選んで金を借りる。その辺りきちんとしているつもりだ。
借金王・百閒が顔を出していないか?
”無暗に背の高い支那人””恐ろしく小さな巡査””青膨れの男”そして女は”襟足がきれいで大抵縞柄の着物を着ている”。動物でよく登場するのは”笑う豹””若い女に化ける狐”。色は尋常でない。”黄色い空や雲””花火が上がる海の紅色の夕焼け”。百閒フアンにはおなじみの言葉たち。

「蕭々館日録」(中央公論社)に登場して自殺する九鬼(芥川のこと)がこの小説でも重要な役割りを果たす。あの小説で大正時代の高等遊民の世界を、「昭和恋々」(山本夏彦と共著・文春文庫)では東京オリンピックまでの東京を懐かしんだ久世さん、向田邦子さんと再会できただろうか。冥福を祈る。

さっき友人から米原万里さんが亡くなったというメールを受けた。嗚呼。
Tracked from 飾釦 at 2006-06-05 22:44
タイトル : 乱歩を巡る言葉4・・・「一九三四冬-乱歩」久世光彦
「一九三四冬-乱歩」久世光彦 新潮文庫 このところと云うか、殆ど江戸川乱歩をテーマにブログに投稿し続けています。書き続けて、今回で79回目、自分でもびっくりです。そんなことで、最近は時間を見つけて開いている本は乱歩のものばかり。その合間に(乱歩がテーマの)久世光彦の「一九三四冬-乱歩」を読みました。テイストの違う小説を味う、実に新鮮に感じました。この小説は凝縮されている、詰まっている、その様な印象を受けたのです。 乱歩が執筆に行き詰まり、「悪霊」の連載を放棄し、仕事を放り投げ匿名性を装い張ホテルに...... more
Tracked from 図書室たき火通信 at 2006-08-23 22:51
タイトル : 「飲食男女(おんじきなんにょ)」読了
どの話も、つやっぽくなまめかしいのですが、意外とさっぱりした読後感です。 さっぱりしすぎて、「で、なんなのかな?」と思わなくもないのですが、ふとした拍子に引き出してしまった打ち明け話みたいです。 プロローグで著者は〈女を食べる〉と言うと、何だか品がないようだし、食べられる方は気味が悪いだろうが、この歳になるとそんな表現が一番〈感じ〉である。可愛いし、いい匂いがして、おいしい。と書いています。そして実際に、そんな感じの話が集められています。(同じような話が集められているので、ひとつひとつの話の印...... more
Tracked from 試稿錯誤 at 2007-06-09 11:08
タイトル : 『発明マニア』 (毎日新聞社) 米原万里
                               http://mainichi-shuppan.com/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=978-4-620-31805-9 まずこのボリュームに驚く: 500頁、二段組、小さな文字でビッシリという分量。この本の内容はサンデー毎日の連載:2003/11/16 ~ 2006/5/21。 ということは、米原万里が癌で亡くなる直前まで、書き続けたと言うことだ。しかも、週刊文春・書評と並行して(『打ちのめされるようなすごい本』)。 米原...... more
Commented at 2006-05-30 09:43 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2006-05-30 12:25
名前はまだない。
猫ですか?
Commented by tona at 2006-05-30 21:14 x
saheizi-inokoriさんに勇気を出して初めてコメントしたのが米原万理さんが癌で闘病中という記事のときでした。
惜しい人が逝ってしまわれました。合掌。
Commented by そら at 2006-05-30 21:46 x
まだ56歳のお若さだったのに。
まだまだ米原さんのお話伺いたかったのに。
仕方のないこととはいえ、ただ残念でなりません。
ご冥福をお祈りするばかりです。
Commented by saheizi-inokori at 2006-05-30 22:18
芭蕉51歳、万里56歳、精一杯生きたんだね。苦しかったんだろうね。それでもずっと週刊誌の連載頑張っていたからもしかして大丈夫かと思ったのにね。
Commented by saheizi-inokori at 2006-08-02 08:13
tonaさんにさっきTBしたけれど、この記事を読んでコメントいただいていたいのですね。百閒の話につい夢中になりました。
Commented by takibi-library at 2006-08-07 20:53
saheiziさん、トラックバックありがとうございました。
いよいよ明日から「飲食男女」を読み始めます。感想を書いたらトラックバックしますね。
Commented by saheizi-inokori at 2006-08-07 21:05
クヌギーさん、感想楽しみにしています。
Commented by takibi-library at 2006-08-23 22:48
「飲食男女」読み終わりました。トラックバックします。
読んでいる最中はけっこうドキドキしたのですが、読み終わったときは何だかあっけないというか、「で、なんなのさ?」というようなあっさりした感じでした。
Commented by saheizi-inokori at 2006-08-23 22:52
kunugi-さん、そうですね。この小説は「デ、ナンなのさ」ですね。途中を楽しむ、夢を見ているような小説かもね。
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by saheizi-inokori | 2006-05-29 23:39 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback(3) | Comments(10)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori