「僕の前にある」という路(ルート)は、本当にあるのか? 古川日出男「ルート350」(講談社)

著者が「僕としては初めてのストレートな短編集だ」という。8つの短編からなる。しかし独立した短編は全体としてひとつの世界を創っているような気がする。

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現実とレプリカ。なにが現実でなにがレプリカなのか?重層的な・幻想としての世界。
決して美しいとはいえない言葉たちの氾濫・遊び。閉じ込められた世界のなかで暴力が確かに存在する。
「ベルカ、吠えないのか」と重なる世界でもある。”系図””系統”のなかに固有名詞はどうしたら存在するのか?「お父さん」という呼び方を名前として理解してしまい(両親だけに接して育ったのだ)、関係性として理解しなかった子供はお祖父さんの出現・「お祖父さんはお父さんのお父さんだよ」を受け入れられない。昨日の昨日が一昨日ということも拒否する。すべて名前で呼び日付で特定する。関係性の認識がなくなった世界とは崩壊するべきものじゃなかったのか?系統図・樹形図とは関係の物語じゃなかったのか?だったら関係から切り離されるってことは、世界から締め出されるってことは・・?

俺たちがしっかり認識していると思い込んでいる世界は本当にそのようなものなのか?とても不確かな”つながり”・”関係”によって辛うじて存在するようなもの。名前を変えてしまえば世界も変わってしまうのか?
最後の「ルート350」という3ページほどの短編で「ルート350」の正体が明かされる。それがこの小説集のテーマだ。

と、まあこう書いてみても読んでいる方は何のことか分からないだろう。そうです。説明できるような代物ではない。著者の不敵な挑戦を受けてたって楽しむことだぜ。
Tracked from 日々の青空 at 2006-05-27 23:24
タイトル : 『ルート350』からの眺望
秒針がないデジタル時計は挑撥的だ。0と1のあいだに存在する無限を認めさせてしまう。/ 古川日出男「メロウ」 (言ってみれば、古川日出男の小説的冒険のすべては、その無限をめぐるオルタナティヴな世界の可能性の探究だとも言える。語られること、リアルとフィクションの間の無限をサヴァイヴするためのドライヴ。) ルート350作者: 古川 日出男出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/04/18メディア: 単行本 ... more
Tracked from まっしろな気持ち at 2006-07-19 19:53
タイトル : ルート350
 バラバラに散らばるいくつもの私。私はそこで新たな私を生み、その言葉は新たな言葉をも生む。どこまでも果てしなく続く、連鎖的な生。そして、言葉が在る。それを放棄するも無視するも、私たち次第というべきもの。そう、つまりは自己責任ということだ。私は古川日出男著『ルート350(サンゴーマル)』(講談社)を読みつつ、そんな思考を廻らせ始めてしまった... more
Commented at 2006-05-27 23:31 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2006-05-27 23:43
yumemiさん、私は「ベルガ・・」に次ぐ二作目です。この作家、性に合いそうです。リンクさせていただきました。よろしくお願いします。
Commented by 美結 at 2006-05-28 20:35 x
はじめまして
TBありがとうございます。
古川作品は、かなり読んでいまして、全作制覇を目指しています。
Commented by ましろ at 2006-07-19 19:51 x
お久しぶりです!こんばんは。
思わず、“かっくいいぜぃー”と思った記事でした。素敵です。
古川日出男作品、もっと読まねばと思います。
そして、もちろんあれこれ思考をめぐらせて楽しむぜぃ。そう思っております。
Commented by saheizi-inokori at 2006-07-20 00:05
ましろさん、こんばんは。お褒めに預かり恐縮です。古川作品は書評書きにくいですね。でも面白い。それがいいのかなあ。
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by saheizi-inokori | 2006-05-27 12:58 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback(2) | Comments(5)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori