とんがり 素敵なとんがり 八代目林家正蔵「正蔵一代」(青蛙房)
2006年 03月 16日
明治28年(1895年)品川に生まれ浅草に育った。この本は正蔵師匠の語りをそのまま記録した形になっているから今はもう聞くことができない下町の言葉の魅力が一杯だ。
小学校を出ると京橋の質店に奉公を手始めにホーロー工場、人形の生地屋で働き18歳の時に落語家の道に入る。一朝老人にめぐり合い稽古してもらったことが基本を身につけることになる。関東大震災の日
当日はね、うちで寝てたんです。てえのが、その日がちょうど月給日なんですよ。で、あンまり早く行っちゃアみっともねえから、昼からゆっくり行こうって・・東京の人間の悪いところでさあね、つまらねえ遠慮して。それで一朝じいさんを迎えに行く。着の身着のままのおじいさんと正蔵夫婦は浅草から田端まで歩いて大きな家の庭で夜を明かす。
おじいさんが犬ウ連れて歩いてるから、「おじいさん、この犬、かわいそうだけど捨てたらどうだ」ったら「捨てられねえ。おれが捨ててもらいてくれえだ」つ言(つ)ったんで、もう話アそれでおしまいですよ。おじいさんったって親戚でもなんでもない。稽古つけてもらったお師匠さんだ。そのおじいさんを兄弟子と交代で家に引き取る。家、それは家内の姉貴の家の物置の二階にちょっと畳が敷けるようなところ、その下に床をこしらえておじいさんが寝起きする。
ま、そんなわけで、おふくろと、義理の親父なんかも、みんな一緒にいたわけですけども、それがみんなこぞってその、師匠であるってことをあくまでも頭に入れて、おじいさんおじいさんて、大事にしましたから、居候扱いなんぞにしない。だから貧乏なうちでも居ごころがよかったんでしょうねエ。そしてその物置の家でおじいさんは極楽往生。
まア、あたしの幸せは、この一朝老人にめぐりあったことですけども、そのおじいさんの死に水をとることができたってえのも、ひとつのめぐりあわせですね。本の中ではわずかな紙数しか費やしてないエピソードをつい長々と紹介した。このエピソードに人間正蔵の筋・生き方・真骨頂が窺われるような気がするからだ。
1982年88歳で亡くなるまで正蔵は芸一筋の道を歩む。小さん、志ん生、文楽・・といった人たちの芸とは違い多くのフアンをつかみにくい面があったしここと言うところで不器用な生き方もしてきた。晩年になってようやくその真価が理解されてきた。昭和44年・75歳のときの正蔵会あいさつ文。
あたくしは今から55年前、3代目圓遊師が三福時代の弟子になった。師匠は人気者ではあったが実力者ではなかった。そこで弟子ぐるみ品川の圓蔵師門下にはせ参じたり、弟子の私を三代目小さん師に預けて単身幇間の道を選んだり、随分と苦労をされました。従って私も3代目没後は文字どおりの一匹オオカミで今日に至りました。それが受賞をした(紫綬褒章と芸術祭賞)。私は泣きました。嬉し泣きでした。長い長い貧乏時代、噺を仕込んでくれた一朝老人、助言忠言を賜ったあのかたこのかた、想い出はなかなかに尽きませんでした。
たくさんの落語家の常人離れした逸話・裏話なども面白い。
正蔵の名前を86歳の時に海老名家に返し、助六と改名。襲名のときの約束に従ったのではあるがもともと海老名家のものというわけのものでもないのに律儀なことと話題になった。サテ、とんがりじいさんどんな気持ちで現正蔵の高座を聞いていなさるやら。
熱は下がりましたか?
今日は風が強いです。梟さん、風に飛ばされないで、おうちに帰ってきてねっ♪