懐かしい”人生の雑誌” 「暮しの手帖 11号12号20号47号」
2006年 03月 07日
極のつく貧乏暮しなのに、なぜか母はこの雑誌をよく買ってきた。だから中学から高校にかけて俺も繰り返し読んだ。いわば愛読書だった。いろんなことをこの雑誌から学んだ。
半世紀以上も前に出版された雑誌、そこで取り上げられているのも半世紀前の日本人の暮しだ。表紙に始まり、レイアウト、コピー、写真、カット、など意外にというか当然というか(なんせその後のこの種雑誌の原点みたいなもんだから)見た目に古くないばかりか記事の内容も新しい感動を与える。何よりも今生きている喜びと明日への健やかな希望と確信に満ちている。
11号を例にとると「部屋に草花の鉢を飾る」というグラビアはモノカラーなのにシクラメンのピンクが感じられるようだ。「春とコドモたちと」というグラビアは花森安治のデザインした可愛い子供服(別頁に裁ち方の図解つき)。
「日本の花」という特集はカラーで春から夏にかけて身近に見られる花を64種、なんと画と文は牧野富太郎!モクレンについて「これの支那名は辛夷である。日本の学者は此辛夷をコブシだと思っている。それは大変な誤りであることを知っていなければ学者の資格はない、」ですって。
恐れ入谷の、だ。
坂口安吾、佐藤春夫、山本嘉次郎、、名も無き市民まで各界各層の書き手による随筆がズラーっと並んでいる。セレナーデ集(ドリゴなど8曲楽譜と詞)、戸板康二の歌舞伎解説、「大学の学資調べ」では家庭教師の報酬まで書いてある。
12号のあとがきに
(雑誌を作りはじめて3年になるが)どの日もどの日も、お金やら紙やらの心配で明け暮れでした。・・(でも)出来るだけのこと、出来る以上のことをしてでも、この雑誌は作りつづけていくつもり・・やりたくないことでも、売るためにはしなければならない、そういった編集は、これまでも、この号でも、ただの一頁も一行も作らなかった、これからも、決して作ることはするまい、この大きな誇りが、きっと私たちを支えとおしてくれるにちがいないと、信じております。まことにその言葉が、心が、今でも古びた頁を繰るたびに立ち上がってくるような雑誌だ。
20号・昭和28年 「子と仕事と暮らしと」というルポ。32歳のお母さん、11,9,6歳の三人の子供を夫が倒れてひとりで支える。日本で始めて女性として税理士試験に合格した。月収10万円経費を引くと手取り3万円くらいになるという。俺の母もこの頃親父が死んで俺たち兄弟を育てた。そう、到底1万円の手取りはなかったと思う。俺が新聞配達で500円くらいだった。もちろんひと月、毎朝5時起きして4キロ離れたところまで逓送してそこで100部ほど配ってだよ。小学生があの寒い中(自転車に乗っていくと髪の毛が凍ってしまう)よくやったよ。でも、惨めだなどと考えなかった。先に希望を持って楽しい毎日だった。母はこの記事を読んだろうか?読んだとしたらどんな想いで読んだのかなあ。
47号・昭和33年 まさに「三丁目の夕日」の頃だ。ナイロンについでテトロンが登場してきた。そこで暮らしの手帖名物・商品テストだ。「シワにならないか」「ズボン(パンツじゃないよ)の折り目は消えないか」「アイロンはいらないか」「センタクはらくか」「仕立ては入念か」についてテイジンと東レの宣伝文句は正しいかをテスト。結論は「テトロンはなかなかよいものだ」「生地は混紡がおすすめ」「染色には研究の余地あり」「売り方、特に広告にはウソやハッタリもある」。
おひさしぶりでっす、フラミンゴです。
今日は、とてもいい天気ですね!
4月上旬の陽気だそうです。
朝から始めたばかりのヨガに、行ってきました。
体のバランス、感覚を集中させるのがとても気持ちがいいものです。
早くヨガの先生のように、美しい心と体のバランスを、保ちたいと思います。
で、そんなぽかぽか陽気に誘われて、近くのインターネットカフェにきています。
この前は、お会いできなくて残念でした。
久しぶりに、ブログ見させていただきました。
すごい!!!
写真もきれいになってるし、いろいろ変わってる。
梟さんも、進化し続けているのですね・・・・・
では、また遠くないうちに、お会いしましょう・・・
あっ、そういえば、 「ミュンヘン」見ましたか?
私は、歴史に詳しくないので、あまり理解できない部分がいっぱいでした。(反省)
もっと、バックグラウンドを理解してから、見る映画でした。
ではでは。
一冊の雑誌からなんでも知る事ができるなんて すごい雑誌があったんですね~
なんか・・・家の光っていうのは、保育園の頃に見た記憶があります。
ここは、田舎なので 三丁目の夕日を見たときに 自分の子供の頃に似てると思いました。
「美しい暮しの手帖」というタイトル、いいですよね。美しい暮しは人に見せるためでも、お金の使い道でもなく、日々のささやかな工夫の積み重ねの結果だと思います。
今思うと、あの頃は土曜日も仕事があって当たり前。
そんな忙しい中、家計簿もつけ、家事もこなし、
趣味もこなし、仕事もこなし、すごい母です。
今もじっとしていないので、かえって心配です。
三種の神器と呼ばれたものがふきゅうしたころですね。
昔は洗濯機には脱水漕はなくて、横のローラーで絞ってた。
あっ!年がバレる・・・・、何しろテレビも色黒だしね。
白黒でした・・・・(^^ゞ