どうやって生きていく?
2019年 06月 20日
なにかの拍子で股関節がギクッと痛む。
リハビリに通っている赤ひげ先生に診てもらった。
レントゲンの結果は「骨は大丈夫」だが、軟骨が痛んでいる。
コンドロイチンの注射をして、ロキソニンの絆創膏を処方してくれた。
毎週一回、五週間注射をする、それはいいとして(想像したより痛くもなんともない)、その間歩いちゃダメ、いや「その間」とは僕が言ったので、先生は「そのあとも」と笑いながら言った。
過去一か月の一日平均が一万歩、昨日は12000歩と言ったのを咎めているのだ。
けさはサンチの散歩をカミさんにお願いして、ストレッチや筋トレもやめた。
いつもだって、ストレッチや散歩で気力を奮い起こしているのだから、それをやめたら気力は萎えっぱなしだ。
中性脂肪とかγなんとかとか、ちょっとの間節制すればまた飲める、というのと違う。
齢をとって身体が不可逆的劣化をしてしまったのだ。
資金がなくても歩くのはただ、ロハ、無料なのだ。
楽しみながらカロリーの消費も出来たのに。
これからの人生、どうやって生きて行けばいいのか。
「注射した当日は風呂やシャワーはやめてください」、クリニックのくれた紙に酒のことは書いてなかったのを幸いとして、やけ酒的に焼酎を呑んだせいもあって、今朝は空模様のようにどんよりした気分だ。
今日は、で済めばいいのだが。
私など意気消沈 気持ちがげっそりやせ細ります
s18年生まれの兄が最近足腰痛くて仕事が出来ないと
嘆いています じっとしていない兄ですので
どんな風にしているのか気になっています
使いすぎはやはりよくないでしょうね
弘前の夢のために養生なさってくださいね
先日知り合いと生きがいについて話しました。
二人とも、生きがいを自分自身に感じることはできないという結論になりました。(この知人も独身です)
〇〇をしたいから、〇〇を食べたいから私は生きている、そう思っていたとしても。
人生最後のときに、それがしたい(食べたい)からが、死にたくない理由になるでしょうか。死んでしまえばそのしたいことも食べたいものも、何もかも必要ないのですから、そっちの方が簡単です。
歩いて身体に負担をかけてでも楽しむのは、元々は家族のためにも健康でいたいが出発点ではなかったのでは?
それなら、健康が生きがいになりませんか?
勝手なことを言い過ぎていたら「ごめんなさい」
今の私は毎日歩くことに90分くらいの時間を費やし、そこで見る花や人や店や、、もろもろが私の心の慰めになっています。まえから、医者には歩きすぎないようにと言われていましたのに、ひざや足首の痛みもあつたのに、雨が降っても歩きたかったのです。
まあ、そんなことしかない哀れな隠居なんですね。
健康は生きていくために必要なことだし、健康を損なうとつらいですが、健康そのものが生き甲斐とはならないだろうな。私の場合は。
「釜トンネル近くのこんな山の中で毎日暮らしていたら、空気
はいいし森林浴で目にもいい。さぞかし健康にいいでしょうね
とよくお客さんに言われます。でもね、信じられないでしょうが
あまりにも刺激がなさすぎなので物忘れがひどくなる。
人間刺激が必要なんですよ。たまには東京や大阪のような街中に
出かけ、五感に刺激を受けながら歩き回るのが健康に最もいいのだとつくづく思っています」
saheizi さんの年齢にしては歩き過ぎかもしれないですが、毎日刺激を受けていることは間違いないと思います。
大都会用鏡に住んでられる利点かな。
ほんの少しだけ自重して(ごめんなさい)8000歩ぐらいに納めたら
いかがですか?年相応だと思います。(度々ごめんなさい)
いつまでもお元気で、興味深いブログを続けられることを願って
います。
私は、生きがいを「生きていく意思のための必需品」と思い、saheiziさんは「生きる道中の必需品」と思われているのではないかと。
私たちのようにずっと一人で生きていく人間にとっては、生き続ける理由が必要で、それが生きがいなのではと感じています。
(面倒なことを書きました、お返事は、気が向いたら程度にしてください、公開も同様に)
私もね、昨日からお腹が痛くて、辛くて不安な一晩を過ごしました。
身体はいつでも元気で問題なく機能してくれると思っていては大間違いだなと思ったところでした。
Saheiziさんが毎日一万歩と決めて、毎日欠かさずそれを守っていらっしゃるのを見て、やっぱりsaheiziさんはその昔バリバリお仕事をなさっていた方だけあって、目的遂行型なのだなと思っていました。
私も最近感じますが、頭で思い込んでる自分の年齢と実際の身体状況の間には大きな差があります。頭ではいつまでも若者のつもりだけど、身体は生身ですからね、そうはいかない
そのギャップを埋めて身体の都合に合わせる事が、もしかして自分の加齢を受け止めると言う、一番気楽で自然な解決策ではないかと思います。
花は枯れなければ、実は成らないわけですし、子供に大きくなるなとは言えません 苦笑
痛んだ身体を労ってあげてください
こう言う事でもないと身体と対話しないでしょ?
今まで、saheiziさんは目的遂行のために、ただ一生懸命歩いていらっしゃったのではないかと、でももっと少ない歩数で、もっとゆっくりなスピードだったら、もっと出会うものや出会う人々、発見するものが多く、そしてそれを心から楽しめるのではないかと思います。
健康と言うよりもさ、身体に痛いところや不自由なところがないからこそ、美味しいものも味わえるし、美味しい酒も味わえるし、、苦笑 そして空の青さや花の美しさも心から味わえるのではないかと思います。
だから、それが目的なのではなく、その状態を保つと言う事は人生をそれだけ楽しめる事だと思います。
哀れ、とか言わないでね
Saheiziさんには極めて不釣り合いです 笑
ふだんも8000を越えたらバスに乗るみたいなことをしなかったのも利いているようです。
https://www.dokutoruyo.com/
保険はきかないので治療費は高額ですが、私も何度もお世話になっていますので効果はてきめんです。一度診てもらってはいかがでしょうか。
それにしても金沢城がまるで映画のセットのようなハリボテなので驚いてます。
一機100億円以上する戦闘機を100機以上も買うお金があるのにどうしてちゃんとした予算を組んでちゃんとした復元をしないんでしょうか。
予算以外にも、まともな仕事ができる技能者がいないという問題もあるのでしょうけど。
思って、養生期間を過ごされるのはいかがでしょうか?
外に出ないと気が塞がりますが、歩けない足や脚に
なったら、もっと辛いので。
歩いていいと言われるようになったら、一日5000歩
以内を目指すとか?
どうぞお大事に。
吉祥寺には住んでいたことがあります。
今の赤髭先生も信頼しているのです。
あの馬鹿げた軍事費を少しでも削り、富裕層に対する優遇を少しでもやめれば、どれだけの税金が使えるかと、アベと与党に腹がたってなりません。
おっしゃるように、明日はバスを使って動いてみようと思います。
たとえばウォーキングのインストラクチャーに膝に負担のかからない歩き方のレクチャーを受けるとか。
いずれにせよ加齢による限界とは考えず、いずれは元のように歩けるようになる手段は必ずあります。
それでやる気をなくして、それっきりです。
ご心配ありがとう。
私も以前膝が痛くて山歩きができなくなった時、
スポーツ整形のリハビリで理学療法士さんにいくつかのメニューを作っていただいて
3クールほどこなしたら見事に復活した経験があります。
痛むところに必要な筋肉をつけるためのメニューだったようです。
餅は餅屋、専門家って凄いです。
焦らず養生して末長く散歩仲間でいてくださいませ(^^ゞ
あと、歩くにしても「土の上」を歩く方が良いのかもしれませんね。
ふと思い出したんだけど、磨り減った骨は蘇らないと思われているようですが、甦るんですね
なぜ歳をとると関節がすり減りと言われるかと言うと、関節などの骨には通常 毛細血管で、酸素や栄養が届けられているのですが、歳を取るとその毛細血管が詰まり気味になり、まずはじめに毛細血管によって補われていた部分に十分な血液が行かなくなります。ということは酸素や栄養も行き届きませんから、その部分がだんだん消耗していくということです。
だからね、血行を良くするように試みてください
毛細血管も蘇ります。
毛細血管が蘇れば、そこにまた血液が流れるようになりますから、骨もまた元気になって、蘇るのです。
枯れた川と同じ原理ですね
水が流れれば、また生き物が復活する。
日本でももうだいぶ前から温めて治すという療法が流行っていますが、私ももう何年も前から、その原理で健康を守っています。
自分で試していますから、効果のほどは確認しています。
人間の通常の体温とされる36度より、微熱だと言われる37度あたりが一番細胞が活性化する温度なのです。
膝を労って歩くと膝の有り難みがよりわかるような気がします。
私もお腹が痛かったのですが、なんとストレッチで著しく改善されたので、一日中街を歩き回り用事をしていましたが、まだ痛みが残っている気がして、だからゆっくり歩くんですね
そのゆっくり歩くが身体を労っているようで、逆に気持ちよかったのです。
私は身体に傲慢だったなと思いました。
お大事にしてね
saheiziさんの身体も元気付けてやさしくしてあげてたら、蘇りますよ。
お大事になさってくださいね。