文士は貧乏なれ
2018年 05月 09日
居士が「月給はどこが多いのだな」と尋ね、「東京朝日」が第一、「京華日報」第二、「日本」第三、「日本」は「朝日」の二分の一だというと、言下に「日本におしや」といった。
洋画家・浅井忠も「周囲の人」だった。
巴里にいた浅井に居士が書いた書簡のなかに
小生元来金をほしとは存ぜず候へども友達が百円取ってゐるに自分は五十円しか取らぬ、アイツが五十円貰ふに自分は二十五円しか貰はぬといふやうな事に心をなやまし居候処文士の職分を心得て後全く其煩悶なくなり申候、むしろ人が多く取ってゐるだけ自分が少なく取ってゐるだけ自分がえらいやうに存候、何故と申せば「文士は貧乏なれ」といふ神様の掟に自分が叶ひ居候故に御座候、斯く金の上に悟りを開いて後、小生は精神上一段の安慰を得候、それ故此上いくら貧乏になってもちっとも驚き不申候へども此上に金をやろといふ変わり者出で候はゞそれこそ当惑可致候、、(中略)
小生々来旅行好きにてなんといふ目的はなけれど是非世界一周致したしと存候ひしに日本の十分の一も踏むか踏まぬに腰抜けと相成残念に存候、併し熟々思へば若し巴里の繁華贅沢などを見て帰り候はゞ到底「文士貧乏なれ」の掟を守り難かるべくそれを思ふて神様は小生の腰を抜き是非とも貧乏ならしむるやうに強制致され候事と存候、難有迷惑の事に存候ハゝゝゝ
柴田宵曲「子規の周囲」から。
五人、それぞれ自分や家族の誰か彼が病気を抱えている。
たまにはウマイ鮨を食って、繁華贅沢を思い出したけれど、いまさらそのために金持ちになる状況・年頃でもないから、神様は許して下さるだろう。
それに文士でもないし。
子規がいた小ぶりの家、今は全国から人が訪れていますね。
美味しい肴をいただいての談笑、
イイですねえ。
宴会に参加しても、
しゃべっていると食べれない性分で、
何も食べないで飲んでいることが多いです。
食べながら談笑できる技、
学びたいです…。
周囲の人も多様な持ち味の子規庵でした。