放射能の残る寺に生きる 玄侑宗久「竹林精舎」
2018年 02月 19日
そのせいで出家したのかと言われればそうでもないような気もする。
両親を弔ったときの坊さんは、「出家というのは僧侶を職業にするのが目的ではない」
ただ、どんな仕事に就いたとしても、人として深く生きることになるんだ、、だからご縁を感じるなら立ち止まって、深い穴を掘ってみたらどうか(深い穴の底から見れば、昼間でも星が見えるぞ)と勧めてくれたのがきっかけだった。
京都の道場で3年修業した今となっては出家の理由なんてどうでもよくなった。
竹林を背負う、放射能が問題になるところだ。
しかも生計・寺の経営の成算もない。
恋人に告白もしていない、超晩生、朴念仁なのだ。
至道無難(しどうぶなん) 唯嫌揀択(ゆいけんけんじゃく) 仏道はなにも難しいわけじゃない、ただ選り好みを嫌うだけだ老師から頂いた公案の通り、竹林寺を受け入れる。
福島県には学生時代の友だちが既に別の寺で副住職になっている。
やはりグループだった女性と結婚もして。
友人は竹林寺は元々は幻住派だという、権力に近づかず、山の中に寺を建てることが多い。
さらに友人は、今の福島県だって幻だ、という。
放射能が怖いと言って余所に避難する人たちがいる一方で、その場所に残って元気に生活してる人々も大勢いる。お互い、自分が信じる考え方を勝手に信じてるわけで、これはもう幻としかいいようがない。と。
随所に、丁寧に「礼(お辞儀)をする」場面がある。
省みて、礼を欠いた人生だったと、深い穴どころか地の上を漂うような人生だったと痛切に反省した。
作者は、あとがきで、
道尾秀介の「ソロモンの犬」の登場人物たちのその後を、まったく別な環境のなかで書いてみたかったと書いている。
図書館に「ソロモンの犬」を予約した。
朝日新聞社
立ち止まり、礼をする。
シャカシャカ歩くことばかり考えている自分にグサリと刺さりました。
直ぐに図書館にリクエストし、繋いでいく姿勢が、いつもながら素晴らしいです!
好きなところに住めばいいと私も思います
それがチェルノブイリであろうが、福島であろうが
でもそれは完全な自己決定でなければならず、政府が補償金を節約したいから、福島の事故を終わった事にしたいから 自宅への、自分の布団で眠る と言う郷愁に日々苦しむ人たちを言いくるめて騙して行う事ではないと思います
帰ってもいいけど、その代わり無税 電気はタダ(当然) 水道ガス、および生活費は東電持ち と言う条件くらい突きつけて欲しいと思います
そう言えばすべては意味のある偶然なのかもしれない。
私はほんとにお辞儀をしない、挨拶をしない人生でした。
父母に対する弔慰金があるのですが、それは寺の基金にして自分はなんとか生きていこうとする。
檀家たちが月に三万円供出してくれるのです。
価値観の違う人がいてくれればいいといって。
放射能は怖いから除染をする、それは放射能は怖くないという人たちの手によってやるのです。
二重基準だと小説の中の人物が云います。
以前から疑問だったのですが、小泉という人物は何故自分が総理だった時に脱原発政策を実行しなかったのか?政治音痴のわたしにはそれがわかりません。
日本の政治家って、現役を退いてから綺麗ごとをいう人が多い気がします。
素人としては何故自分が力を持っている時にいま主張していることをやらなかったのと思ってしまいます。
その原因が(小泉を含んだ)原子力村の洗脳によるものとしても。
また原子力村の住人がすべて原発の危険性を明確に意識してはいなかった(悪意ではなかった)とも思います。
多くの善意の人々が原発の安全性に疑問を抱いていなかったのではないでしょうか。
そんなことで総理大臣をやるなんてけしからんと言えばその通りかもしれないが、それはブーメランのように国民に戻ってきますね。
やめてからにせよ、気がついたことを実行に移すだけましではないでしょうか。
ほんとうのところは私も分からない、できることなら少しでも危ぶまれることはしない方がいいのですが、福島に住んでいる人たちは無理にでも安全だと思い込んで生きていかなければならないのだと思います。
文学と科学的観点と切り離して考えないといけないのは私の方かしら。
人は哀しいから、憤りがあるから、喜怒哀楽を音楽や文学といった文化に変えてきました。
この小説が福島に住んでいる人の生きる力になるならいいと思う反面、もっと福島県民の健康調査とか原発事故処理のニュースが報道されない限り、それが、福島の人の思考を誘導するものでなければいいなと心配してしまうのです。
小泉さんは全て知っていたと思いますよ
知っていて自分に都合の悪い厄介なことはやらない
あの人の政策は 全て 自分の都合
そして彼ほど冷静冷酷にその線引きを行った人はいないと思います
ですから その彼の都合という法則に乗っとると 今は 反原発を唱えていた方が 格好がよく 都合も良いという事なのでしょう
吠えてるだけで、何1つ実行していませんから
きっとその反原発も実に簡単にひっくり返ると見ています
信用できない、薄っぺらな人です
まあ、彼に始まった事ではありませんがね
そういう意味では敵視される小説なのかなあ。
私はあまり反感を感じませんでしたが。
こういう考え方ができればいいなと思いました(難しいけれど)。
> cocomeritaさん、そうなのかなあ。
>でも反対していることはいいじゃないですか。
「反対」・・・これは敗戦後の日本の文化人・文学者と相通じる姿勢ですね。
「あの戦争は間違っていた。我々は騙されていたのだ」と、ほとんど例外なくそう言っています。
もっと大事なのは、今になって(起きてしまった、そして自分も片棒を担いだ戦争や原発に)反対することではなく「反省」することだと思います。
小泉氏と連携して行動している吉原毅(城南信用金庫相談役)氏や河合弘之(脱原発弁護団全国連絡会共同代表)氏まで、何一つ実行していないというんですか。
ちゃんと調べてからものを言ってください。
sweetmitsukiさん
城南信用金庫は、小泉さんが反原発を唱え始める前から、つまり福島の事故のあったすぐ後にすでに反原発の活動を始めていますよ
今は連携してるかもしれないけど、 まあ、子供の後だしじゃんけんみたいなもんで、、苦笑
何もやっていない がお気に召さないのなら、そこだけ削除してくださっても構わないけど、そこを削除してもなお余りあって悪です
いやいや、そこだけ削除と言うのは 読む側が(つまり彼が)その部分を鑑みなかったとしても、、って事
私はなにもしてないと相変わらず思っていますが、、、。
そこを考慮しなかったとしても 余り余って悪だってこと
ずる賢さと調子の良さが背広着て歩いてるような人ですから
まあ、彼に限った事ではありませんがね